4 / 120
第4話
万里は、桜峰には『何とかなる』と軽く言ったが、初めてキャストとして接客をすることを甘く見ていたわけではない。
研修は、はっきり言って相当厳しかった。
確かに最初はアルバイト経験があったこともあり、客のほとんどは同性だというし、適当に話を合わせて酒の相手をすればいいのだろうと思っていた。だが言葉遣い、表情、歩き方まで直されて、あまつさえ教養が足りないと様々な本が部屋に届いて……(研修が大変すぎてほとんど読めていない)。
そこまで意識を高くして生きられる気はしないのだが、ボーイや雑用としてフロアに出ていた研修期間中、真摯に客と向き合うスタッフたちを見て、そんなに簡単な仕事ではないことが分かり、自分なりにどんな風に接客をするかなどを考えてきたつもりだ。
ロールプレイも何度もした。
だが、そもそも困った客はいないという前提で全てが進んでいた。
『お客様はみんな優しいから大丈夫』『なんでもお客様に聞けば教えてくださるから』
……と、何度も桜峰に繰り返された言葉が脳内に響いてくる。
それはまあ、あの桜峰相手に優しくしないという選択肢は良識のある人間ならないだろうが。
いや、わからない。目の前でニヤついている根性悪のこの男なら、あんなに客を大切にしている桜峰にもいつもこんな風に絡んでいた可能性もある。
だとしたらかなり許し難い。
「あ、あんたな……っ!」
まずいと思いながらも、流石にお戯れが過ぎるのではないかと噛みついた……、
「そうそう、それ、そっちの方がいいぞ」
……というのに、何故かかぶせ気味にそれを肯定されて面食らう。
「は、はあ……?」
「お前が口開いたときから、畏った口調がなんか気持ち悪くて」
うんうん、と何かに納得するように何度も頷いている男をポカンと見つめてしまった。
『なんか気持ち悪い』とか失礼な……。
どういう事態なのかよくわからないが、では、久世はわざと万里を怒らせようとしていたということなのか。
つまり、リラックスさせようとか、万里らしくあるべきだとかそういう好意的な……、
「『SILENT BLUE』初の庶民派キャラでいくといいんじゃないか?『好きなもの頼め』って言われたらラーメン頼むみたいな」
……わけはなかった。この言い方、いや、言葉以上に表情が語っている。
少なくとも善意ではない。
かといって怒り出すわけにもいかないし、困ったお客様として店長に通報するべきなのだろうか?
いや、それはまだ早い。見かねてフォローされるくらいまではもう少し頑張りたい。
先ほど出掛かった素を咎められなかったことに感謝して、以降きちんと接客すればいいのだ。
「アドバイスありがとうございます。検討いたします」
「と言いつつ、キャラ戻るのかよ」
「ラフすぎる距離感でいいのかどうか、責任者にも相談が必要ですので」
「『李王 』も『満月 』も客が容認してればいいって言うと思うけどな」
『李王』は店長、『満月』は副店長のことだ。
指名をしたことがある、というよりは知り合いのような気安さがのぞいていて、常連の中でも関係者よりの人間のようだ。
何故、そんな人物に自分だけがこんな嫌がらせを受けているのかわからないが……。
ふさわしくないから出て行けということなのだろうか?
だとしたら、万里も好きでこの場所で働いているわけではないので釈然としないものを感じる。
ただ、店長や副店長と親しいのであれば、そんな回りくどいことをしなくても万里を辞めさせることくらいできそうな気もするので、じゃあ一体何なのだ、と万里は頭を抱えたくなった。
「おっと折角の飲み物があったまっちまうな。乾杯するか」
「は、はい」
「じゃあ、バンビちゃんの、お客様への初反抗に」
「…………か…………、乾杯………………」
……根に持ってた……!
何が楽しいのかニヤニヤしている男に頭からカクテルをかけてやりたい気持ちと闘いながら、これから過ごす時間を思い、絶望感とともにグラスを合わせた。
ともだちにシェアしよう!