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第10話
中華鍋で食材を炒める音と、麺をすする音と、お昼のワイドショー。
狭い店内には明らかに地元の常連とおぼしき客がぽつりぽつりと思い思いのランチタイムを過ごしている。
一方、万里の目の前では、海外のお洒落なカフェのテラス席で英字新聞でも読んでいそうなエグゼクティブがゆったりと微笑み、この場所だけ世界観がおかしい。
何故。どうしてこんなことに……?
あの時。
ぶつかった相手は因縁の久世で、万里は頭から瞬間接着剤をかけられたかのようにフリーズした。
折角の休みの日に、よりによって一番嫌な客に会ってしまうとは不運すぎる。
お互い気まずいだろうと思うのに、この男には外では他人のふりをしてくれるくらいの気遣いはないのだろうか。
こんな昼日中から『バンビちゃん』などというふざけた源氏名を呼びながら馴れ馴れしく話しかけてくる男を、それでも無視することはできなかった。
「キグウ……デスネ……?」
我ながらものすごい棒読みだが、久世は気にした様子もない。
「どうやらバンビちゃんとは縁があるみたいだな」などと平気でのたまっている。
これが単なる自分が眩しい運命論者なら「本当ですね!お店でもまたご縁がありますように」とかなんとか適当な営業トークで煙に巻けるのだが、ニヤニヤと意地の悪い笑みを向けてくる久世は、ただ単に万里が困っているのを見るのが目的のようで、ちょっとやそっとでは解放してもらえそうにない。
折角の休日を台無しにされたくないと、必死でこの場を辞す口実に頭を巡らせる。
だが名案が思い浮かぶ前に、お前昼飯は?と聞かれて、反射的にまだだと答えてしまった。
「じゃ、特に連れがいるってわけでもなさそうだし、暇なら昼飯付き合えよ」
「え……ええ……!?」
連れがいないからといって暇だとは限らないだろ、と言ってやりたかったが、本当になんの予定もなかったので断りそびれ。
どんな敷居の高い店に連れていかれるのかと身構えていたら、久世が入ったのは近所の中華料理屋だった。
「どうした、元気がないな。そんなに腹が減ってるならチャーシュー麺大盛りにしていいんだぞ」
そもそもこの男は何なんだ。
そういえば、初めて指名したときもラーメンがどうとか言っていた。
大衆的な食堂が労働階級の万里にお似合いだろうと言いたいのか、腹が立つので「それと餃子も」と追加してやった。
それでも『SILENT BLUE』のソフトドリンク程度の値段にしからならないのだから、この世界は何か色々と間違っていると思う。
遠慮のない奴だ、と嫌な顔でもして見せれば可愛げがあるのに、店主に二人分のオーダーを済ませた久世は、むしろなんだか嬉しそうな顔をした。
「ラーメンはいいよな。俺はナントカ系、みたいなやつよりこういう昔ながらの中華料理屋のラーメンが好きなんだ」
それは、……万里も同意見だった。
店主が決めた厳しいルールがあったり、常連客が他の客の不慣れな振る舞いを注意したりするような玄人向けの店はあまり好みではない。
食事はみんなで楽しく、また最低限のマナーは大事だが、自分の好きなように食べたいと思う。
「俺も……そうです」
思わず同意すると、久世は「そうか」と穏やかに笑った。
……………………。
あの時の発言も、今日この店を選んだ理由も、久世がただラーメンが好きだからだったのだろうか。
自分が悪意的に考えすぎていただけなのか。
なんだか少しだけ、久世という男が近くなった気がした。
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