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第14話

 その日、案の定というべきか久世は店を訪れなかった。  客足自体が鈍かったので万里に指名はなく、先輩たちの接客をさりげなく見学しながら過ごした。  退勤して広い部屋に戻ってくると、いつもどこにいていいのかわからず、所在なくソファに座る。  早く制服を脱がなければと思うのだが、仕事から解放されるとやはり気が抜けてしまう。  本格的に根を生やす前に立ち上がらなければ……と思いつつ手に取ったスマートフォンには、大学の友人から安否を気遣うメッセージがちらほら来ているだけで、父親からの着信はない。  職場にいると、仕事以外の時間も賑やかなので紛れるのだが、自分一人の部屋に戻るとやはり考えてしまう。  ……家と、父親のことを。  流石にここまで音沙汰ないのはおかしい気がする。  無責任に逃げ出したというのなら、……許しがたいが、まだいい。  不安なのは、危険な目に遭っていないかということだ。  自業自得とはいえ実の父親であるし、無事で戻ってきてもらって、ちゃんと自分のしたことの責任を取ってもらいたい。  神導に会えたら聞いてみたいと思うのだが、あの男が店に来るのは営業時間内のことが多いのだ。  接客中だったりすれば話せないし、そもそも勤務中に仕事に関係のない話をするのもどうかと思う。  名刺をもらっているので電話……と思わなくもないが、もちろんプライベートの番号ではないわけで、どんなふうに取り次いでもらえばいいのかと尻込みしてしまい、まだ実行できていなかった。  決定的なことを聞くのが、怖いのかもしれない。  『SILENT BLUE』は、思いの外居心地がいい。以前の生活に戻りたいと思う一方、心のどこかで、この場所を、時間を失いたくないと思ってしまっている自分もいる。  わかっている。逃避だ。  父が無事だったにしても、全てが元通りになるわけではなく、これから先万里は返済のためだけに生きることになる可能性が高い。  そこから目を逸らしたいだけなのだ。  そんなことではいけないと、次に店で顔を合わせたら、話をする時間を取ってもらえないか聞いてみようと万里は決意した。  それから数日後。  バックヤードからフロアへと足を踏み入れた万里は、今まさに向かおうと思っていた従業員用のカウンターに座る人物を見て凍り付いた。 「よう、バンビちゃん」  久世だ。  カウンターの上には、コーヒーカップと何か軽食が載っていたと思われる皿があり、どうやら軽めの夕食を済ませたところだと推測された。  営業時間前だというのに、何故こんなところに久世がいるのか。そして何故従業員用のカウンターでお食事を召し上がっていらっしゃるのか……。  事態を飲み込みきれずに立ちつくしている万里に、久世が「座るか?」と隣の椅子を示す。  フリーズした思考のまま、それでもここで拒否するのだけは違うだろうと思い隣に座った。  鹿島が「今日は何にする?」と聞いてくるが、「お任せで」と返すのがやっとだ。  ここにいる理由を聞いていいのか、黙っていた方がいいのかわからずにそわつく万里を、久世は面白そうに見ている。 「今日は客じゃないから指名をしてやれなくて悪いな」 「だ、大丈夫です」  何が大丈夫なんだ自分。  他の客なら「残念です」くらい言えるはずなのに、久世の前ではどうやっても調子が出ない。  案の定、久世は「なんだ、寂しがってくれないなんてつれないな」と苦笑している。 「昴サン、あんまりうちの新人をいじらないでくださいよ」 「一輝。人聞きが悪いな。可愛がってるだけだろ」  鹿島が助け船を出してくれたが、久世には改める様子もなくオーバーな動作で肩を竦めた。  そういうのが様になるのが腹立たしい。  何が可愛がってる、だ。いじめてるの間違いだろ。  眉間に皺を刻んだ万里は、隣に座る意地の悪い男に、頭の中でツッコミのワンパンを入れた。

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