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第13話

「ほら、鈴鹿。できたぞ」  どん、とカウンターに置かれたのは、ほかほかと湯気を立てる親子丼だ。  今まで食べたことのないような最上級の素材ばかりで作られた、とろふわの卵とぷりっとした鶏肉が白米と奏でる天上のハーモニー……。  先日はたまにはジャンクなものが食べたいと思ったが、それはそれとして美味しいものもいつでも食べたい。 「いただきます!」  手を合わせて、有難くいただく。  鹿島と伊達の微笑まし気な視線が少し痛いが、今は食べることに集中しよう。 「唯純さんは何か食べますか?」 「僕は大丈夫。オープン前に一輝は少し休んだら?朝仕入れに行ってからずっと厨房にこもってるんじゃないの?」 「毎日こんなもんです。師匠に召し出される時よりは今日はのんびりできました」  二人の話を聞くとはなしに聞きながら極上の親子丼をかきこんでいると、バックヤードへと続くドアが開いた。 「おはよー。あれ、唯純来てる」  顔を出したのは副店長の染井(そめい)望月(みづき)だ。  万里より小柄ながら、その身体は今日も生命力に満ちている。  年齢不詳なアイドル顔なのに、あらゆる苦難を『努力と根性』で越えていきそうな辺りに万里は少し引いてしまうのだが、もちろん横暴な上司ではない。 「あ、親子丼じゃん。いいなー」 「死ぬほど美味いです」 「知ってる。一輝の親子丼は美味い」 「お褒めに預かりまして。望月さんも食います?」 「いや、俺は今はいい。食いたくなったらお客様におごってもらう」 「流石ですね。空腹すらも売り上げ用に取っておくわけだ」 「いい食いっぷりはエンタメだからな」  ふっと笑う副店長の横顔は王子様のようなのだが、万里にはあのブースで接客をしながら親子丼をかきこむ胆力はない。 「あ、望月……わっ」 「「「危ない……!」」」  立ち上がりかけた伊達が座っていたスツールに足を引っかけて転倒しそうになったところを、慌てて三人で受け止めた。 「あ……ありがとう、三人とも」  恥ずかしそうに礼を言う伊達の周囲に生温かい空気が流れる。  全てにおいて完璧のように見える伊達の欠点……、  それは運動神経がないのか注意力が欠けているのか、『やらかす』ことだ。  何もないところで転ぶ→ぶつかった何かが転がる→次々と転倒する人々→損害たくさん……そんなバタフライエフェクトを引き起こすトリガーとなる特性……所謂ドジっ子である。  しかもかなり神がかったレベルの。 「よし、唯純がいるなら今日はシャンパンタワーだ!」 「いやいや、被害総額がいくらになるかわからないですから」  突然恐ろしいことを言い始めた副店長を鹿島が止める。万里もさりげなく頷いて参戦した。  大変なことになる予感しかしない。  しかし副店長は「副店長権限で許可する」などと重々しく頷いている。 「だって俺昨日グラス割っちゃったからさー……タワー単位で割れればまぎれるかなー……と」  あまつさえのこんな本音に、伊達が焦って「ちょっと」と反論した。 「さりげなく木を森の中に隠そうとしないで?僕も三浦に睨まれるのは怖いんだから」 「でもあの守銭奴は唯純には多少優しいし、何なら俺が割ったっていうより奴にとってもいいかもしれない……」  副店長の言う『あの守銭奴』……三浦というのは『SILENT BLUE』の経理担当の男だ。  ……ということ以外はよく知らないが、いつも不機嫌そうで正直とても怖い。  運営費用においては、一スタッフの窺い知らないシビアな戦いがあるようだ。  ……金の問題はどこでも深刻である。  ちなみにシャンパンタワーだが、『SILENT BLUE』で見たことはない。  メディアで見るホストクラブのようなパフォーマンスは一度も見たことはないのだが、客が望めばやるのだろうか……。  『SILENT BLUE』のキャスト一同のシャンパンコール。  見てみたいような、怖いような……。  こんな調子で、営業時間外の『SILENT BLUE』は意外と緩いノリだ。  客の指名を取るようなクラブは、もっとランキングなどがありギスギスした雰囲気だと思っていたから、スタッフがこうして仲がいいのは嬉しい誤算だった。  ただのアルバイトとして自分でこの店を選んだのだったらもっとよかったのだが。  親子丼を食べ終えたタイミングで、鹿島が茶を出してくれる。  ほうじ茶だ。  深い香りが優しく漂い、なんだか少しだけほっとする。  久世のことはよくわからない。  ただの嫌な客なのだから(しかも万里にだけ)、その時間をやり過ごすことだけを考えればいいはずだ。  接客業に嫌な客なんてつきものだろう。どうしても合わない相手というのも、一定数いると思う。  そう思っているはずなのにどうして、先日見せた穏やかな表情を、自分の接客で引き出したいと思うのだろうか。  きっと、向上心だ。  ……断じて、久世だからそう思うのではない。  万里はそう決めつけて、定まらない気持ちを一呑みするように、熱いお茶をぐいっと飲み干した。

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