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第19話
確かに、久世から情報を得るために接近することが今日の目的ではあった。
虎穴に入らずんば……と考えていたのは他ならぬ自分ではある。
しかしいきなり敵の部屋にお邪魔してしまうとは……。
虎穴にしてもちょっと深くまで入りすぎている気がするのだが。
恐る恐る足を上げた久世の部屋は、やはりというべきか、現在万里が寝起きしている部屋と同じような、とても高級そうなマンションの一室であった。
一応足を洗っとけとバスルームに押し込まれて、洗濯してやるとズボンを回収されてしまった。
退路を断たれ続けている気がするのは気のせいか。
目論見に気付かれているのだろうかと不安に思うが、だとしてもプライベートな空間に連れてくる理由はよくわからない。
落ち着かない心地のまま、先刻水に浸かった足をシャワーでざっと洗う。
代わりにこれでも穿いとけ、と置いていかれたジャージのパンツは、案の定色々余るので屈辱を感じながら裾を折る。
それでも細身のものを用意してくれたらしく、ずり落ちることはないのだが、それもまた複雑だ。
どんな態度でいたらいいのかと思うともたついてしまい、のろのろとバスルームから出ると、何やらガーリックのいい匂いがしている。
匂いにつられるように廊下を進むと、広いリビングがあり、左手の対面式キッチンに久世が立っていた。
ワイシャツの袖をまくり、フライパンを握っている姿が意外で、目を瞠る。
「え、あんた料理でき……、あ、その」
うっかりラフな話し方をしてしまい口を噤んだが、久世は脱力したように苦笑する。
「まだそれこだわってるのか?店ではともかく、オフの時くらい話しやすいように話せばいいだろ」
今更感しかないのは万里にもよくわかっている。
ただ、久世は敵になるのかもしれないのだ。あまり親しくするのはどうか。
しかし、よく考えてみれば接近して情報を得ることが目的なのだから、久世の望むように(
?)する方がいいのかもしれない。
「バンビちゃんは?料理とかしないのか?」
万里が考え込んでしまったので、久世は違う話を振ってきた。
「た、たまには」
もごもごと見栄を張ったが、してないって顔だな、と決めつけられる。
むっとするが、事実なので反論できない。
母親が亡くなってから、遊び人の父は当然料理などできないので、食事は家事代行サービスに頼っていた。
友人達と学校帰りに何かを食べたりするようになってからは、生活費を渡されてお互いに適当に済ませるようになったが、父と同様、万里にも自分で作るという発想はなかった。
久世の手つきには迷いがなく、日常的に料理をしている人間のそれだ。
アサリの転がるフライパンに、茹でてあったパスタや調味料などが投下され、見る見るうちに料理が出来上がっていく。
うっかり見惚れていると、久世がニヤリと口の端を釣り上げた。
「涎が垂れてるぞ」
「た、垂れてない!」
反論しつつ、思わず口元を拭う。
やはり垂れてなかった。
どうしてこうこの男は意地が悪いのか。
「ラーメンの腹になってたかもしれないが、服が乾くの待ってたら遅くなるからな。今日のところはこれで我慢してくれ」
アレルギーとかないかと聞かれて、首を横に振る。
器に盛られたあさりのパスタは、……お洒落なカフェとかで見るような、イタリアンの……、あの……、
「これ、なんだっけ?」
思い出せなかった。
「ボンゴレ・ビアンコ。パスタはあまり食べないか?」
「なんか割高な気がして」
なるほどな、と笑われるが、限られた予算内でいかに食べ盛りの腹を満たすかは深刻な問題だ。
とはいえ、好きではないとかそういうことではない。いただける美味しいものはいつでも食べたい。
美味しそう、と思った瞬間、腹が鳴った。
思わず発信元を押さえても、音は戻らない。
「……バンビちゃんを陥落させるには胃袋を掴むのが一番早そうだな」
…またしてもからかわれてしまった。
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