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第37話

 首筋に押し当てられたナイフが、冷たかったはずなのに今は熱く感じた。  少しくらい切れてしまったかもしれないと思うと、恐怖で暴れて逃げ出したい衝動がこみあげてくる。  ……落ち着け、万里。  最終的にどうなるかはわからないが、大竹は万里と引き換えに父に何かをさせようとしているようだ。  その場合ここで万里を殺してしまっては、人質としての役割を果たさなくなる。  ならばすぐに命を取られるようなことはないはずだ。  映画や漫画などの展開から想像する拙い仮説ではあるが、今はそれに縋るしかない。 「わかってねえなお前はよ」  必死に平常心を失わないようにしている万里のもとへ、窓際にいた咥え煙草の男がニヤニヤしながら近寄って来た。 「兄貴」 「黙らせてどうすんだ。こういうのは悲鳴が聞けなきゃ、パパもその気になれねえだろうが」 「見えるところに痕を残すなよ」  大竹のどうでもよさそうな注文に「心配すんな」と男は肩を竦めた。  何をするのかと身構えると、下着ごとズボン下ろされて、上げかけた悲鳴を飲み込んだ。 「(な……!)」  こんな場所で下半身を露出させられ、カッと頬が熱くなる。  男は、片方の手で煙草を摘まみ、もう片方の手で万里の太腿を押さえた。   「こんなとこ、火傷したなんて恥ずかしくて誰にも言えねえだろ?なあ」  意図に気付き、上った血は急速に下がっていく。  煙草の先端が下腹部に寄せられ、万里は全身で縮みあがった。  このまま押し付けられたら、どれほどの痛みだろう。  恐ろしくて、ぶるぶると震えながら腰をもがかせる。 「やめろ!ああ…息子のかわいい息子がー!」  父の抗議の声がとても遠く聞こえた。  父さん…せめて『かわいい息子の息子』って言ってほしいんだけど!  自慢できるほどではないかもしれないけど普通くらいだから!  …などと、考えている場合ではないのはわかっているが、恐怖に惑乱した脳はつい現実から目を背ける。   「暴れると、毛に火がついて根性焼きより酷いことになるかもしれないぜ」 「や、」  恐ろしい宣告に、目を瞠った。  暴れたくはないが、体が勝手に怯えて逃げるのだ。  ナイフとは違う。性器に火傷では、死ぬことはないだろう。  だからこそ、これは本当にやられる。 「(誰か、助け……!)」  熱い。  その瞬間を直視できそうもなく、ぎゅっと涙の浮かんだ目を瞑った。  その時。  ピンポーン、と、どこか間の抜けたインターフォンの音が響いた。  熱が遠ざかったので万里が恐々目を開けると、男たちは用心深い表情で玄関の方へと視線を向けていた。 「お前、つけられたか」 「いえ、そういう気配はなかったと思いますけど……」  音が途切れるタイミングで、何度も鳴らされる。  この中の誰にも心当たりはないらしい。  鳴りやまないため、煙草の兄貴分はスカジャンの弟分に「お前見てこい」と命じた。  スカジャンが廊下に姿を消すと、望まぬ訪問者であることを懸念してか、兄貴分は煙草を灰皿に押し付ける。  一時かもしれないが悍ましい仕打ちから逃れられたことに安堵して、万里は震える息を吐き出した。  その時、玄関の方から「てめえ」という罵倒が聞こえてきた。  次いで、何やら揉み合うような音がして、すぐに鎮静する。  二人分の足音が聞こえてきて、廊下に続く戸口に姿を現した人物に、万里は目を瞠った。 「(久世……?)」  それは、万里のよく知る人物、久世昴であった。

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