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第43話

 はっと気付くと、そこは既に自分の部屋で、夕暮れが室内を染めていた。  今日はとても大変な一日だった。  伊達との買い物はよかったことに入るのだろうが、それ以降はナイフを突きつけられて拉致された上、大事なところに根性焼きをされそうになるなどという、今までに経験したことがない恐怖体験だったと言える。  本当ならば、恐ろしくて一人になった途端足が震えるとか何かあってもいいはずなのに。  それらは全て、久世との別れ際のキスによって霧散していた。  今日はゆっくり休めと言われて、車を降りた後。  ぼんやりしたままエレベーターで自分の部屋に戻り、「あれって……」と考えていたら夕方になっていた。  いや、だが、あれは一体どういう展開なのか。  もしかしたら、万里の恐怖を払拭するために……?  いや、それにしてもあそこまでやる必要はないはずだ。  つまり『俺とバンビちゃんの仲』ということなのか?  嫌ではなかったということは、自分も久世のことを……?  というか、久世が万里のことを……?  離れがたいと思う気持ちは、尊敬とか、頼れる大人を慕うような気持ちなのかと思っていた。  極力冷静に考えると久世の方も、確かにそういうことでからかってくることは今までにもあったものの、本気かどうかはにわかに信じがたい。  それに、あれだ。  折角の救出劇だったのだから、惚れた腫れたの関係だというのなら、もう少しそれらしいやり取りがあってもよかったのではないか。 『大丈夫か、バンビちゃん…!』 『あ、あの…ありがとう…。あんたが来てくれるって……信じてた……!』 『バンビちゃんが無事でよかった…』  ひしっ(抱き合う二人)  …的な。  そうしたらこちらももう少し、見直したり礼を言ったりできたものを。  それをあんな車内で強引に……、  ……ではなく。とにかく、久世とのことを反芻するのはもうやめよう自分。  事態は、動いたのだ。しかもいい方に。  自宅に戻れるということであれば、すぐにでも出て行けと言われるかもしれない。  荷造りは……言われてからでもいいか。後回しにしよう。  今日のところは風呂に入って早めに寝ようかと思ったところで、とても空腹なことに気付いた。 「なんか……食べようかな」  冷蔵庫に何かあっただろうかと物色すると、冷凍庫にボンゴレ・ビアンコのパスタソースが。  ……違う、これはたまたま、下の高級スーパーで見つけて、美味しそうだったから買っただけで、断じて久世を思い出したりなどしていない。  自分に言い訳をしながら、そっと冷凍庫を閉じて、戸棚のカップラーメンを手に取った。  その夜から翌日にかけては関係者からの連絡が入ることもなく、夕方になると万里はいつも通りに出勤して、賄いに舌鼓を打ち、そして仕事をした。  父の再教育が難航していると言っていたし、もしかしたら、もう少し時間がかかるのかもしれない。  まだここにいられる……とどこか安堵していたのも束の間、閉店間際に神導がやってきて、ボーイの仕事をしていた万里をつかまえて、こう言った。 「万里、この後少し時間もらえる?」  それは、本当なら喜ばしい呼び出しのはずなのに。  万里は一瞬言葉に詰まり、出ない声の代わりに控えめに頷いた。

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