50 / 120

第50話

 逃げる機会を逸した万里は、久世に引きずられるようにして家から連れ出された。  「まだ顔洗ってないんだけど」「ちょっと着替えてくる」と訴えたが、車で来たから気にするなと一蹴されて。  振り払って逃げることも考えたが、久世の意に反して家に戻れば父に文句を言われそうだ。  そうしてまごついているうちに助手席に放り込まれ、自分も運転席に乗り込んだ久世は、さっさとエンジンをかける。 「は、話なら家でも……」 「鈴鹿さんに聞かれてもいいなら俺は構わないが」  そう言われてしまうと何も言えない。  車は滑り出し、万里はどんな顔をしていればいいのかわからず、俯いた。  ふと目に入った自分の履物は汚れたサンダルである。  その上も起きてそのままの格好なので、伸びて薄くなったTシャツに同じような状態のハーフパンツという、家の敷地内でのみ許される装いだ。  隣の久世はいつものように、緩めたネクタイすらも洒落た演出に見えてしまう完璧なスーツ姿だというのに。  あまりにも強すぎるコントラスト。相応しくないと言われているようで、落ち込んでしまう。  しかも卑屈になってしょんぼりする万里には気付かず、久世はやけに不機嫌そうな様子でぶつぶつと文句を言ってくる。 「まったく…昨日はお持ち帰りする気満々だったってのに、唯純には怖い顔で追い出されるし、月華は爆笑しながら電話かけてくるし…」 「そ、それは、悪かった、けど…」  久世の口から出た神導の名前にちりっと胸が疼いた。  迷惑をかけたとは思うので咄嗟に謝ったが、自分ばかり責められるのは理不尽だ。失恋したのだから、涙くらい出る。 「しかもお前、うっかりスマホも返却していっただろ」 「あれは、うっかりじゃなくて…」  過失のように言われて、そうではないと、つい口をついた自己弁護で墓穴を掘った。  失言に気付き口を噤むと、ステアリングを握る久世がちらりと厳しい視線を投げてくる 「……わざと、俺との連絡手段を手放したのか?」 「え……っと。色々片付いたし、もういいんじゃないかなって」 「お前…俺とのことは遊びだったのか…。利用するだけしてポイか」  何かおかしいことを言い始めた。  冗談めかした言い方は言葉遊びの一環かもしれないが、万里は笑えない。  無神経な発言に怒りが込み上げ、爆発する。 「遊びだったのはあんたの方だろ!」 「はあ?なんだそれ」 「お、俺には、オーナーの代わりとか、務まらないから…っ!」  自分で言っておいて著しいダメージを受けた。  鼻の奥がツンとして、うぐ、と息が詰まる。  万里のそんな様子に、久世は難しい顔をして黙り込んでしまった。  拒絶しているのは自分の方なのに、久世が「そうか、わかった」と万里を見切るのが恐ろしく、走行中の車から飛び降りてしまいたい。  刑の執行を待つ死刑囚はこんな気分だろうか。  しばし気まずい沈黙が流れ。 「……………………………………あ、」  唐突な「あ」に万里はびくっとなった。  何を言われるのかと身構えたが、久世はその後も考え込んでいる。 「……………………………ええ?いや、あそこで?……嘘だろ」  果てに走行中だというのにハンドルに突っ伏したりするので、万里は大いに慌てた。 「ちょ、前、前!」  僅かな時間だったので幸いにも事故にはならなかったが、のろのろと顔を上げた久世は何やら気の抜けきった顔で苦笑する。 「は~…バンビちゃんは、……バンビちゃんだったな……」  失望されたと感じ、万里は半泣きになった。 「わ、悪かったな!どうせ俺は子供だし、頭も悪いし、……」 「ああ、事故りそうだからちょっと黙ってろ。うちについたらきちんと話をしよう」 「……………………」  これ以上、一体何を話すというのか。  流石に今日は、久世の意地悪に付き合えるほど元気がない。  だが、走行中の車内から逃げだすこともできず、万里は暗澹たる気分で終わりを待つしかできなかった。

ともだちにシェアしよう!