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第60話

 幸せなのは嘘ではないが……二人の眼差しがやたらと優しくて、なんともいたたまれない。  これ以上何を言えばいいかわからずにもじもじとストローを弄んでいると、伊達が「それから…」と話を進めてくれたので、少しほっとしながら視線で続きを促す。 「今日はお祝いともう一つ、スカウトに来たんだ」 「スカウト?って……『SILENT BLUE』に?」  驚いて目を見開く万里に、二人は力強く頷く。  まさかのお誘いである。だが、この二人は面白半分で他人を担いだりするような性格ではないので、ドッキリなどではないはずだ。  しかし、正直万里はそれほど優秀なキャストではなかった。指名客も日に一人以下だったし、そんな自分を再雇用して、『SILENT BLUE』に何かいいことがあるのだろうか。  戸惑う万里に、桜峰が説明をしてくれる。 「実は、鈴鹿が最後にシフトに入った日に久世様が…」  あの日、久世に『好きなものを頼め』と言われたので、困らせてやろうと高価なロマネ・コンティを指差すと『タワーで頼めばコールもしてくれるのか?』という余裕の冗談で返された。  その一連の会話が何故か他のスタッフに伝わっていて、ひょんなことから『SILENT BLUE』の財布の紐を握る経理の三浦の耳に入ってしまったらしい。 「三浦が『何で押さなかった』ってえらいご立腹で、うちは、ほら、席料は高いけど、飲み物はお茶とかコーヒーの人も結構いるから」  伊達が眉を八の字にして、困ったように笑う。  どうやら、それ以前にも万里が久世を酔わせようとして飲み物を強引に勧めていたのが多少の売り上げになっていたらしい。 「鈴鹿がいないと久世様もいらっしゃらないし」  桜峰にそう言われてうっと詰まる。  起こった出来事だけを見ると、『バンビ』が『眠兎』から顧客を奪い、しかも退職と一緒にその客も卒業させてしまったようなものだ。 「す、すみません……」 「あっ、ごめん、別に責めてるとかそういうのじゃないよ?元々久世様はそんなに頻繁にいらっしゃってたわけじゃないし」  そうだったのか。万里が店に出ていた間は週に一度くらいのペースで会っていた気がするのだが……。 「まあ、三浦のことはちょっとした口実というか、この間一輝と湊と三人で『万里がいないと寂しいね』って話してたら、たまたまそこに月華が来て『じゃあもう連れてきたら?どのみち昴と一緒にいるならうちの関係者みたいなものだし、本人がよければ僕は構わないよ』って言ったんだ」 「そこに三浦さんもいて、『そういえば鈴鹿万里は飲み物を勧めるのが上手いようだな……』って、そういう流れ」  そんなことがあったなんて。  いなくなった後、彼らに話題にしてもらえているなんて思っていなかった。  くすぐったさに口元がゆるんでしまう。 「だからね、もしよければ戻ってこない?って、そういうお誘いに来たんだ」 「大学の方も忙しいようだし、週に何日か、とかでも大丈夫だよ。そういうシフトの組み方の人もいるしね」  ティーカップを傾けた伊達は、もちろん断ってくれてもいいから、と気を遣ってくれる。  その隣で、桜峰が何かを思い出したように僅かに表情を曇らせた。 「もしかしたら、彼が嫌がるかもしれないから、そこは相談してからの方がいいと思うけど」 「………桜峰さんは嫌がられてるんですか?」 「えっ、う、うん……。『SILENT BLUE』はいかがわしいお店じゃないよ、って言ってるんだけど、なかなか信じてもらえなくて」  桜峰は何か釈然としない顔をしているが、万里は内心そうだろうと頷いていた。  先程あの短い間に二人の店員に掴まっていた様子を見るに、例え桜峰の仕事がコンビニの店員だったとしても、恋人は嫌がるのではないだろうか。  あれでは……心配だろう。  久世は……嫌がるだろうか。  あからさまに難色を示す久世、というのはあまり想像できない。  反対されないことを信頼の証……と思うほど自惚れられないが、万里を『SILENT BLUE』に二度と近づけたくないのであれば、この二人がこんなことを言い出す前に神導に対して関わらせるなと根回しくらいはしておきそうだ。  気持ちとしては働きたい旨を伝え、ちゃんとした連絡は後日、ということにした。  連絡先を交換し、店を出ると、いただいた結婚祝い(……)への礼を言って二人と別れる。  二人は、万里に手を振るなりすぐに横付けされた車に乗り込むと、風のように去っていった。  ……あの車は、ずっと近くに待機していたのか……。  桜峰の『係の人』が乗っていたような黒いセダンではないが、国産の古いスポーツカーだった。  色々と謎が深い。  予定は少し狂ったが、図書館で調べ物をした後は久世の部屋に行くことになっていたので、万里は電車に乗ろうと駅の方へと歩き出した。

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