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その後のいじわる社長と愛されバンビ8
翌日も仕事が入ったらしく、久世からは朝一度連絡が入ったきり会えないまま、夕方になったので出勤した。
正直、昨晩の己の痴態を思うと、顔を見たら挙動不審になってしまいそうだったので、タイミングがよかったと言えなくもないが、それでも寂しい気持ちは完全には拭えない。
父も、万里が出て行く時間になっても帰って来ず、飲み過ぎでどこかで倒れているのではないかと少し心配だ。
落ち着かない気分のまま開店を迎え、しばらくすると万里にも指名が入った。
「北条様、ご指名ありがとうございます」
指名してくれたのは北条遥樹という男で、来店は二度目だ。
「や、お疲れ。バンビ君」
年頃は久世と同じくらいだろうか。のんびりと挨拶する眼鏡の奥の瞳は優しく、流石は医者というべきなのか、見るものを安心させるような柔らかい笑顔を絶やさない。
「今日は会えてよかった。この間来たらいなかったから」
「あ…、いない日にいらしていただいていたんですね……申し訳ありません。学生なので、平日は入ったり入らなかったりで」
「なるほど、学生さんか」
オーダーした飲み物が来ると、北条は乾杯もそこそこにグラスを呷った。
ストレートのウィスキーだ。
どうやら酒豪のようで、前回も強い酒をしこたま飲んでいったような気がする。
「はあ……聞いてよ、うちの親父がさ」
前回もこんな出だしがあったような気がした。
父親に振り回されて苦労しているということで、心の底から深く深く同意したのを気に入られ、今回のリピートに繋がったのかもしれない。
万里は「お父様がどうされたんですか?」と話の続きを促した。
「内視鏡系のやつ全部こっちに回して、自分は開頭手術とかしてんの。最近は開腹できるオペも減ってさ。これじゃ何のために医者になったんだか」
怒っているポイントが万里には意味不明すぎて、本当に何のために医者になったのかお聞きしたい。
北条は基本的にはいい人なのだが、時折理解し難いところは、いかにもこの店の客……つまり神導の知り合いである。
とりあえず、同意できるポイントにだけ同意する。
「父親って、やりたくないことを息子に押し付けてきますよね。うちも……」
父親に押し付けられた雑事エピソードを披露し合い、二人してうんうんと頷き合った。
「うちは祖父も医者なんだけど、じいさんも親父そっくりでさ。北条時宗が好きだったから、息子の名前を、渡るに世紀の紀に吉宗のむねで『ドキムネ』なんてつけたんだよ。バカなの?って感じだろ?普通にそのまま時宗にしといた方がまだマシなのに」
「渡紀宗はすごいですね」
笑ってしまいながらも、あまり他人事じゃないよなと心の片隅で青褪める。
万里の名付けは祖父で、父が関わっていないことを神に感謝したい気持ちでいっぱいだ。
あの父に名付けられていたら、『キャベ一郎』なんて胃薬なのか駄菓子なのかわからない酷い名前にされたりして、いじめに遭って今頃世を儚んで自殺とかしていたかもしれない。
「ま、親父様もそんなの気にするようなタマじゃないんだけどさ」
「北条様は一家でお医者様なんですね」
「うん?そう。うちは昔っから医者一家だね。医療関係の仕事に就いてない親族とかいないんじゃないかな?」
以前指名を受けた後に、一応北条のことはリサーチした。
北条家は江戸時代は御典医なども務めたことのある由緒正しい医者の家系であり、現在も『北条総合病院』という大きな病院を経営していて、彼もそこで医師として働いている。
「……他のことがしたいとは思われなかったですか?」
「昔っから腑分けが好きだったから、医者になるまであまり他の職業のことは考えたことなかったなあ。逆に今の方が、他のことをするのも面白かったかも、と思うかな。あくまで、違う道を歩んだ自分を想像してみるのも楽しいなってくらいのことだけど」
「例えば?」
「警察官とか?」
「警察官」
意外だ。
「病気って、一種の推理ゲームなんだよね。もちろん、検査でわかることもあるけど、開けて実際見てみないとわからない病気ってのも、たくさんあるわけ。患者さんやご家族から話を聞いて、やれるだけの検査をして、可能性を絞り込んで「これだっ!」っていう治療を試みるわけだけど、それが合ってた時のあの気持ちよさがね。『犯人はお前だ!』ってオペ中に言いたくなることもあるな」
それは警察というより探偵では。
医師としての彼に少し不安を感じるが、ブレずにやりたいことがあるのはやはり羨ましい。
「そんなことを聞くってことは、バンビ君は、何か己の進路に思うところでもあるのかな?」
「あ、いえ、思うところというか、何をしていいか分からないというか」
「卒業したら、ここに就職しないの?」
「ここで働くのは楽しいし、勉強になることも多いですけど、会社に勤めてみたい気持ちもあったり、なんだか迷ってしまって……」
「未経験で中途採用は大変そうだから、会社勤めがしたければ新卒の方が楽な部分はあるかもなあ。けど、君の場合月華がいくらでも縁故採用してくれるんじゃない?ここで作ったコネクションを利用するってのもありだと思うし」
「それは……考えてませんでした」
バンビ君は真面目そうだもんなあ、と笑われる。
真面目というよりも不器用なのだろう。
北条はボーイを呼び止め、追加の酒を頼んだ。
もう飲み物がなかったかと慌てたが、見れば彼のグラスにはまだウィスキーが残っていて、口に合わなかったのだろうかと不思議に思っていると、すぐに別のウィスキーのボトルが運ばれてきた。
グラスは二つだ。
「答えが出ない時は、パーっと酒でも飲むのがいいよ。いい考えは、リラックスしてる時にしか出てこないんだから」
「そ……そう、ですね?」
確かに、考え込んで今すぐに答えが出る悩みではない。
なみなみとアルコールの注がれたグラスを渡され、万里は「(お酒で解決すれば世話ないけど)」と内心思いつつも、北条と二度目の乾杯をした。
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