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第9話 ぬいぐるみは夢から覚める

「いやだ。なんで。サム、戻ってきてよ」  ニッセは、腕の中で段々と雪の塊となっていくサムを見つめ、絶望の涙を流していた。氷のように冷たくなった少年の額に口づけを送ると、とめどなく涙の珠が流れ落ちる。 「一人にしないで……」  ぽたぽたと温かい雫がサムの頬に落ち、唇の中へと流れていった。生まれて初めて感じる孤独感と、締め付けられるような心の痛みに、ニッセは吐き気と眩暈を感じ出す。 「サム、好きだよ。本当に好きだよ。ずっとずっと一緒にいたかったよ」  控えめで可愛いサムなしの生活を想像することなどニッセにはできなかった。  今日は泣いて過ごし、涙が枯れて頭が麻痺しだしたらこれからのことを考えようと濡れる頬を拭った。  不思議なことが起きたのはその時だ。  腕の中で動かなくなっていたサムの瞳から一筋の涙が流れ、小さな体を太陽色の光が包んだ。 「さ、サム?」  温かい光に照らされたら、雪は溶け水となるのだろうか。そんなことになったら、サムは跡形もなく消えてしまう。  ニッセは一心不乱にサムの体を抱えこんだ。  体を包む光の正体など関係なかった。それに触れて自分も一緒に溶けてしまっても後悔はなかっただろう。そのくらい、ニッセはサムを失いたくなかった。 「…ニッセ」  頼りない胸に顔を埋めていたニッセを愛らしい声が呼んだ。頭上から聞こえたそれには温もりが籠っていた。小さな手のひらがニッセの背中をぎゅっと掴む。 「サム?!サム?!」 「ニッセ?泣いてるの?」  涙の原因であるサムからそう問われニッセは茫然とした。何が起きているかなんて全く理解できていなかった。 「だって、サム、死んじゃったでしょ。僕、もうダメだって。え、僕も死んだの?それとも、サムは生き返ったの?意味、え、僕……どうなってるの?」  少しばかり体温を取り戻したサムの体を抱きしめたままニッセは呟いた。こんなにも混乱したことなどなかった。これから先もこれ以上に理解に悩むことは起きないだろう。  頭の中が嵐のようにぐるぐると回っているニッセの耳に、ふふふ、と可愛い笑い声が聞こえた。天使が笑っているようで、ニッセの頬はじわじわと温まる。 「落ち着いて、ニッセ。あのね、魔法が解けたみたい。わっ、すごい!ねぇ、ボク、人間になれたんだよ!見て!」  ベッドから飛び降り、くるくると回って見せるとサムはニッセに向けて両手を広げた。  真冬の雪のように冷たかった体は春風のように温かい。凍って動かなくなっていた腕も脚も、何不自由なく動かせるようになっていた。  サムの心はワクワクと弾む。細かい仕組みは理解できていないが、あきらめていた未来が実現した気がした。 「やった!ボク、人間だ!」 「待って、サム。魔法って何のこと?」 「実はね、」  ニッセの膝に座ったサムの体はもう冷たくなかった。  色白い少年は赤み差した頬を緩めて、体温の通う両腕で大好きな青年に抱き着いた。 「ボクは黒猫のぬいぐるみだったんだ。それでね――」  サムがニッセと出会ってから七日目、二人は一日のほとんどをベッドの上で過ごした。失いかけた少年を両腕で抱きしめながら、ニッセはサムの話を真剣に聞いた。  時にはココアを作るために話を止めて、時にはニッセが質問を挟み、時にはサムがお腹が空いた!と休憩をしながら、二人はサムの生い立ちを話し合った。 「それでね、そのまじょさんは、ニッセが恋に落ちなかったら、ボクは雪になるんだって言ったの!でね、春が来たら水になっちゃうって」 「あ……だからサムは人間になれたんだ」  その言葉が胸にストンと落ちた時には、すでに外は暗くなっていた。寝室の窓から外に目をやると、街灯の下で真っ白な雪が踊っていた。 「それって、そう言うことだよね、ニッセ?」 「え?どういうこと?」  視線を戻すと、真っ赤に頬を染めたサムが自分のつま先を見つめていた。 「だって、ボクが人間になれたってことはニッセが僕に恋してるってことでしょ?」 「そうだね。そうなんだ。失いかけるまで気づかないなんて、僕も鈍感だよね。でも、サムは?」 「うぅ……ボ、ボクも大好きって言ったもん」  照れ隠しに両手で顔を隠したサムに、ニッセの鼓動が速まった。 「聞いたよ。嬉しかった。サムは一人で一週間耐えてきたんだね。頑張ったね。でもこれからは、辛いことも楽しいことも二人で経験しよう」  おいで、とベッドに腰掛けたニッセはもじもじしているサムを手繰り寄せた。 「知ってる、サム?僕たちは両想いなんだよ」 「りょうおもい?」 「そう、僕もサムに恋しているってこと。恋人になれるんだ」  大きな瞳がキラキラと輝いた。  ニッセの両腕に包まれたサムは、”両想い”と”恋人”の意味について想っていた。  難しいことは分からないが、これから先、色々とニッセが教えてくれるだろう。今わかるのは、サムが大好きなニッセが、サムに恋をしたということだけ。 「それって素敵」 「幸せだね」 「んっ。ニッセ、口?!」  サムがうまれて初めて経験する口づけはココア味で、体の真から心まで急速に温める魔法を含んでいるように感じた。驚く少年の赤い唇に、ニッセは飽きることもなく口づけを送り続ける。 「ぷはっ!息できないよっ!」 「ふふ、ごめん、嬉しくてついつい。嫌だった?」 「ううん、もっとしたい」  この行為の意味をサムは理解していなかったが、唇が重なり、ニッセの舌が咥内をくすぐるたびに小さな体は火照っていった。背中に回されたニッセの両手が、時には、一生はなさないと言うかのように力強く抱きしめ、そして優しくサムの首筋から背中を撫でていった。 「んっ!ニッセ、くすぐったいよ」  体をよじらせるサムは上目づかいにニッセを見上げる。  至近距離に大好きな人の瞳があった。青空を思わせるニッセの瞳はまっすぐにサムを見つめている。じっと見つめ返すと体の芯がハチミツのようにとろけていくような気がした。 「サム、大好きだよ」 「ボクも……!ボクを好きになってくれてありがとう」 「サムこそ、ありがとう。僕の人生に現れてくれてありがとう」    こうして怒涛の一日が終わりを告げた。  眠りにつくころには、二人の距離はないと言っていいほど縮んでいたという。体温と体温が重なり、真冬の雪さえも溶かしてしまいそうな熱が二人を温めた。  

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