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11月
「おい、起きろ一色」
「…、」
国語の先生に起こされて、青はしぶしぶ顔を上げた。
眠たいわけじゃない、ただ、体調が悪いだけ。
そんな無言の訴えを感じたのか、先生は言った。
「体調が悪いなら、保健室へ行きなさい」
「…はい」
隣と後ろの席からひしひしと視線を感じながらもそれらを全部無視して教室のドアを閉めた。
廊下に出ると、一気に気温が下がった。11月に入ってから一気に冬の季節を感じる。窓の外を見れば、あんなに綺麗だった桜の木は木枯らしに巻かれていた。
保健室のドアをガラリと開けると、暖かい空気が青を包んだ。
寒さから逃れるように部屋へ入ると保健医が青に気づいて話しかけてきた。
「一色君、昨日ぶりだね」
「…ん」
「また体調悪い?」
「はい…ベッド借りてもいいですか、」
「勿論。…もしかして一色君、受験勉強を詰めすぎなんじゃない?適度な休憩は必要だよ」
「…はい」
ゆっくりとベッドに横たわり、頭まで布団を被る。
しかし、しっかりと目を瞑っても、眠れることは無かった。
…頭痛い。
11月に入ってから、慢性的な頭痛が青を襲っていた。めまいや立ちくらみ、疲労感も常にあった。ここ最近は、他の事を考える隙を与えないくらいに勉強をしていた。スカウトといえど、推薦試験を受けて合格しなければならないため気が抜けない。
毎日塾と家庭教師と学校に追われてひたすら机に向かう日々。
受験に合格するためでもあるが、心の片隅には瀬戸のことを考えたくないという気持ちもあった。
それが祟ってか、体調は常に不安定になっていた。
多分ストレス的なものだろう、と青は考えていた。
寝ては起き、寝ては起きてを繰り返して、気づいたら放課後のチャイムがなっていた。
「一色君、学校終わったよ」
仕切りのカーテンを開けて顔だけ出した保健医がそう言った。
「あ…はい」
「そういえば、友達がさっきまで来てたよ」
3人組だった、と言われて三上達が来ていたことを知った。
よく見ると、枕元にいちごミルクが3本置いてあった。
それをバッグに詰め込んで、保健室を出る。
冬になると日が沈むのが早い。廊下はもう真っ暗だった。
ゆっくりと玄関までの道のりを歩いていると、目線の先に人影が見えた。
「…?」
スカートを履いているその人は、階段の手すりにもたれかかっていた。
青の存在に気づいた彼女は、ゆっくりの頭を上げた。
「…雪原、さん」
そこに居たのは、瀬戸の彼女の、雪原舞だった。
暗がりに佇む彼女の瞳には何も映っておらず、恐ろしい程の無表情に青は違和感を覚えた。
「青くんに話があって待ってたの」
感情の籠っていない棒読みのセリフにぞくりと寒気が走った。
何…なんか、怖い。
話があると言われた手前、帰ることも出来ずに舞を見つめ返す。
「…青くん最近毎日保健室行ってるらしいね」
「…うん」
「何、病気なの?体調崩しやすいの?…それとも、わざと?」
「いや…え?」
唐突に発せられた信じられない言葉に思わず声を失う。
目の前の舞は、青を睨んでいた。その瞳からは憎悪の念が滲み出ている。
「どっちにしろ、壮士に迷惑かけてることに気づいてる?」
冷たい口調で、舞はそう問いかけた。
「…、」
まだ混乱していたが、その言葉だけは深く突き刺さった。
今回の事でなくとも、瀬戸には沢山迷惑をかけている。瀬戸の優しさに甘えていたのは自分でもわかっていた。
「今日だって、一緒に帰る予定だったのに青くんが保健室に行ったせいで…様子見に行くから先に帰れって」
「え…」
「…何か言ってよ」
そう言われても、何て言えばいいのか分からない。
思い返せば、恋華の時も同じようなことを言われた。瀬戸と関わる度に、瀬戸の彼女が悲しんでいた。
…ほんとうに、人に迷惑かけてばっか。
「…ごめん、」
絞り出した声は小さかったが、舞に届いたようだった。
「…いや、謝ってもらう為に待ってたわけじゃないから」
はぁ、と大きな溜息に、青はビクリと肩を震わせた。
「…なんで青くんが優先されるの?私…私は彼女なのに」
ぽつりと吐き出された言葉にゆっくりと目線を上げる。
その瞳は先程とは打って変わって悲しみに満ちていた。
「最初だって、付き合う条件に青くんのこと出してきて…意味わかんないよ。…青くんは壮士のなんなの?」
「え…?」
舞の言葉に、思わず声が出る。
瀬戸が、自分を条件に舞を彼女にした…?
どういうこと、そんなの…初耳だ。
それ以上言葉を出せない青に、舞はさらに言葉を投げる。
「青くんって、いつもそうやって寡黙なフリして大事な所は他人任せだよね。壮士とか航くんに甘えきって…男のくせに、チヤホヤされてみっともない。馬鹿じゃないの」
「…ごめん」
「だから、謝らないでって言ってんじゃん!!」
その声が、誰もいない校舎に響いた。
残るのは、荒い息遣いだけ。
「…青くんのそういう所が本当に嫌い。…そうやって、咲も傷つけたんだね」
ぽろり、と。
1粒の涙を頬に伝わせながら、そう呟いた。
青は思わず拳を握った。
「その様子じゃ、どうせ好きじゃないくせに彼女にしたんでしょう。咲の気持ちも考えずに、自分の都合で咲を利用して」
「…っ、」
「文化祭が終わった夜一緒に帰ったけど、咲、ずっと泣いてたんだよ」
「え…」
あの日、青にキスをして。
ふっ切れたと、彼女はそう言った。
「そう簡単に忘れられるわけないでしょ。咲の気持ちを踏みにじったんだよ、青くんは」
何も返せない。その通りだった。
文化祭のあの日を思い出してしまう。
自分に泣く権利なんてない。そう言い聞かせて今にもこぼれ落ちそうな涙を堪えた。
黙ってその言葉を受け取った青と舞の間を静寂が包む。
青は、校舎を覆う暗闇に飲み込まれそうだった。
その時、舞が沈黙を破って、ぽつりと言葉を漏らした。
「…青くんがいると、周りの人、みんな不幸になるね」
瞬間、息が止まった。図星を突かれたような気がして、言葉を発することが出来なかった。フラッシュバックのように思い出が頭の中を駆け巡る。考えたくない、思い出したくない。縋るように顔を上げると、舞のポッカリと空いた瞳が、青を映しだした。
『不幸になる』
その言葉が、その表情が、青の頭の中を真っ黒に染めあげていく。
あとはもう、覚えていない。
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