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10月

蝉の声はもう聞こえてこない。 窓の外を見ると秋晴れの空が広がっていた。 10月も後半。半袖でも長袖でも過ごしやすい季節になった。 午後の授業は先生の用事でなくなり、自習。 教室は休み時間のように騒がしかった。 青は、そんな喧騒から逃れるように窓の向こうを見つめる。 心地よい風が頬を撫で、きゅっと目を瞑った。 「あおーー」 ガタガタと椅子を移動させて無理やり至近距離に座ってきたのは三上。手には1枚のプリントとシャーペン。 この時間中に書いておけ、先生がそう言い残して置いていったプリント。 「青ちゃん書いた?これ」 『進路調査表』とかかれたプリント。 3年生の秋だから最終確認のようなものだ。 文化祭も終わって、3年生の行事は受験だけだ。 「本格的に受験だねぇ…。ずっと体育祭とか文化祭やってたかったよ、俺は」 三上の言葉に、文化祭での苦い思い出を思い出す。 今でも、咲とすれ違う度に胸が苦しくなる。未だに顔を合わせることが出来ずにいた。 「青、大丈夫?」 「…ん。で、何だっけ」 「進路の話。第1志望書いた?」 「…うん。東京の大学」 「俺は京都の大学。離れるの寂しいねぇ」 「…ん」 「えっ青ちゃんがデレた」 「うるさい」 机に伏せながら、ぼんやりと考えていた。 東京の大学に進学を決めたのは、その大学が研究したい分野の専門だったから。それに去年夏休みの課題で書いた論文を読んだ大学関係者が当時からスカウトしてくれていた。 京都にも同じくらい魅力的な大学はあったが、辞めた。 …瀬戸が関西の大学へ進学すると聞いたから。 咲と別れたあの日、青は前を向く決心をした。 叶わない恋をしていても仕方がない。大学生になったら瀬戸を忘れて、1からまた始めると決めていた。 そのために、物理的にも精神的にも距離を置きたかった。 瀬戸は優しいから、同じ関西圏に行けば何かと構ってくれるだろう。でもそれでは駄目だ。一生瀬戸に囚われてしまう。 色んな意味での自立。それが1番の優先事項。 「あお?」 「…ごめん、考えてた」 のろのろと顔を上げる。三上のプリントはまだ白紙だった。 「…京都の大学って書かないの」 青の指摘に、苦笑いで返す三上。 「うーん…ほぼそこで決まりなんだけど、もう1つあってね…でもそこは反対されてるんだ」 確か、三上の第1志望は三上の父さんとお爺さんの母校だと聞いたことがある。ならば、本当に気になっているのは第2希望の大学ということか。 「父さんが、京都の大学に俺を入れたいらしくて…兄さんも入ってるし、断りにくいんだよね」 三上の家は代々エリート官僚を排出する一族。 次男と言えどプレッシャーは相当あるのだろう。 よく見ると三上の顔は少しやつれていた。 「…ご飯たべて」 「え?うん…ありがとう」 気休めにと、昼食で残した食べかけのお菓子を渡す。 それを後ろから見ていた進藤が、手を伸ばしてきた。 「俺にも頂戴」 「…もうない」 空の箱を渡すと、ゴミが入って返ってきた。 こちらもさらにゴミを入れて、再び渡す。そのやり取りが何度か続いたあと、箱をひっくり返してほぼ満タンのゴミを進藤の机にぶちまけた。 「ああああぁぁ」 「…ふっ」 進藤が情けない悲鳴をあげた時、教室のドアが開いた。 「お、壮士」 プリンと片手に持った瀬戸が、教室に戻ってきた。 「どこ行ってたんだよ」 「進路指導に呼ばれてた」 「何、変えんの?進路」 「うん…まあね」 瀬戸がちらりと青を見る。 その視線の意味がわからずに首を傾げた。 一呼吸おいて、瀬戸が答える。 「東京の大学に変えたんだ」 ドクン、と。心臓が跳ねた。 なんで、なんで今更。 「そうなの?なんで今更変えたんだよ」 青の気持ちを代弁するように、進藤が訊ねる。 「まぁ…元々大阪か東京かで迷ってたのもあるけど…最終的に教授で決めた。それに…」 「それに?」 「青も東京でしょ?一緒なら楽しいかなと思って」 「…っ」 その言葉に息が止まる。 驚きを隠せない青に、瀬戸は笑いかけた。 「お前ほんと青好きだな」 「やだ俺京都なのに、青ちゃん取られる!!」 騒ぐ3人をぼんやりと見つめる。 そんな安易な理由で、進路を決めるのか。 でも、来ないで欲しいと思う半面、嬉しいと思ってしまう。 そんな自分が嫌になった。 前を向くと決めたのに、いつまで経っても進めない。 「…青?大丈夫?」 三上が尋ねる。 「…ん、大丈夫」 報われないなら、応えられないなら中途半端に優しくするな。 胸が苦しかった。

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