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巫山の夢(15歳と17歳の話)

「兄さん。……お願いだから俺から離れないで」  義弟が涙を零すのを、その時初めて見た。  ◇  その夜のことは、ちろりと2つの盃が載った盆を手にした義兄のノックから始まった。 「お父さんから貰ったけど、どう?」 「あんたが受け取ったものでしょう」 「一人で飲むのはつまらないから」  一年を飛び越えた押し問答に、結局根負けして部屋に入れてしまう。文机しか無いため、必然的に向かい合った座布団に座ることになる。風呂上がりで、まだ水気が残る髪をまとめた義兄と目が合うと、僅かに緊張が走る。 「はい、どうぞ」 「…どうも」  分けてもらって、更に酌をさせていいものかと悩むが、本人は気にも留めた様子もなく、自分の盃に口づけた。少し薄い般若湯を呑むにつれて少し色づく目元を、頬を、なるべく直視しないように努めた。  当たり障りのない話題が時間の経過と共に尽き始めると、口はなんとなく重くなる。ちろりの底が見えかけた辺りで、義兄がポツリと呟いた。 「(りゅう)」 「はい」 「今まですまなかった」 「は?」 「兄弟だからってひっついたり、趣味に付き合わせたりしたよな。ごめん」  伏せられた睫毛が、微かに震えている。 「ごめんな、普通の兄さんになれなくて」  いつも奔放なまでに堂々と振る舞う義兄の口から転がる一言に、理不尽にも我慢が出来ずに声を荒げた。 「そんなことをあんたが言うな!聞きたくもない!」  彼は反射で身をすくめたが、キッと鋭い眼差しでこちらを見据えてくる。 「兄さんだと思ったことは無いって言ったのは流だろう!僕が他の男と違うから、」  そうじゃない。否定する勢いのせいにして一息に告げる 「兄としてではなく好きなんです。……昔からずっと」  言えば楽になれるのかとぼんやり想像していたが、まるきり違って、すぐに怖くなった。離れたくて遠ざけたくて、寄せ付けない態度をとったくせに、決定的に拒まれるの恐れて、曖昧な言い方しか出来ずにいたのだとようやく気がついて、顔が上げられない。  下げた視界の中で、無言を貫く義兄が膝立ちになるのが見えた瞬間、鈍い音と共に思いっきり頬を殴られた。咄嗟に畳へ手をつく前に、胸へ抱き寄せられた。昔のような、しかし場違いな仕草に呆然とする。 「好きって言うならなんで僕が同じ気持ちだって気づかなかったんだ。僕の何を見てた」 「…………」 「……流も僕も、大事なことを言うのが遅いよ」  激するというよりむしろ静かな言葉の意味は、この上なく嬉しいはずなのに、満ちるのは淋しさと後悔も混ざった感情の濁流であった。  こんなにも俺をかき乱すまま、この人は遠くに行ってしまうのか。  ほっそりした背を掻き抱き、兄さんと呼びかける声はみっともないほど震えた。 「……お願いだから俺から離れないで」  頭を胸から引き剥がされたと同時に、答えるのを拒む、どちらのものか分からない涙が交じる接吻を受けた。  目覚めた時、すでに義兄の体温が失せた布団に取り残されていて、懇願は聞き入れられなかったことを知った。

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