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謎② 雛の本能

 新葉先生は、書生になれと言った割に、なぜか連絡先を教えてくれなかった。  仕方がないので、相談室が空いている月・水・金の放課後に、顔を出すようにしている。  それに、全然小説を見てくれなくて、俺が高校に入ってからの時系列を聞かれたり、小説を読み始めたきっかけや、普段何をしているのかとか……要するに、ごく普通にスクールカウンセラーと面談をしている形だ。  きょうこそはと息巻いて、相談室の扉をノックする。  すきまから名乗ると「どうぞ」という声が聞こえたので、中に入った。  目が合って早々、先生が小首をかしげた。 「およ? なんだか疲れてるね」 「そんなことないと思いますけど」  うわばきを脱ぎ、シューズボックスへそろえて入れる。 「いいや。きっと新学期で気を張っていたんでしょう。連休でリフレッシュしなされ」  俺は黙ってしまった。  あしたからゴールデンウィークだ。  と言っても、いつも通り部屋で書いているか読んでいるかで終わるだろうから、連休でリフレッシュできるとは思えない。  先生は部屋の奥にあるミニ冷蔵庫を開けた。 「君、バーって行ったことある?」 「え……?」  相談室に通い始めて、分かったことがある。  先生は、すごく頭がいい。けど、同じくらい頭がおかしい。  気が弱くってひととロクに話せない俺だけど、このひと相手だと、全てがどうでもよくなってしまう。 「バーだよ。ないの?」 「あるわけないじゃないですか。高校生ですよ?」 「ふうん、まじめだねえ」  取り出してきたコンビニ袋を、ローテーブルの上へごそっと置く。 「食べる?」  出てきたのは、大きなパフェ。 「いや、食べないです」 「そう。じゃあひとりでいただくね」  ビニールをパリッと破いて、スプーンを取り出し、口にくわえる。  ドーム状のふたをとると、重量感のあるバナナがどでんと鎮座していた。  くわえていたスプーンを取り、つんつんとクリームをつつく。 「甘いもの好きなんですか」 「うん、大好き。生クリームは、暴力的であればあるほど好ましいね」  仕事中に食べていいんですか、と聞こうとしたけれどやめた。  先生にとって、俺との面談はたぶん仕事ではない――校舎内ですれ違うときは、優しい新葉先生があいさつしてくれる。 「それで、バーは何なんですか?」  先生は、大きすぎるひとくちを飲み込むと、うんうんとうなずいて言った。 「記念すべき1回目のお手伝いです」 「バーで?」 「そう」 「先生が一生徒を個人的にバーへ誘うとか、ニュースになるやつじゃないですか?」 「いやらしいところじゃないよ」  会話にならない。  あきらめて黙ると、先生はパフェを凝視したまま言った。 「僕ね、あれから考えたんだけど。君を編集者に紹介するの、『うまく書けたら』って言ったじゃない? でも君、卒業までにうまく書けるとは限らないでしょう。そしたら働き損になっちゃうよね」 「まあ、そうですね」  暗に下手だと言われて悲しかったけど、先生の言うことは正しかった。 「そういうわけで、もう少しフェアな条件にしようと思います。うまく書けなくても、この問題が解けたら、無条件にご紹介」 「何ですか?」  先生はすっと目を細めて、ほのかに笑った。 「僕の筆名と、その由来を当てるの」 「筆名? ペンネームですか?」 「そう。前にも言ったけど、本も出してるしエッセイの連載も持ってるから、本屋にこまめに足を運んでいれば、分かると思うよ」  たしかにその条件は、『うまく書けたら』という先生の主観よりは、はるかにフェアだった。  でも、ひとつ確認しておかなければならないことがある。 「先生、ひとつだけ質問してもいいですか?」 「どうぞ」 「先生は、世に顔は出してるんですか?」 「まさか。そんなことしたら、ネタあ……生徒のカウンセリングなんてできないでしょう」  やはり出していないのか。  まあ、こんな問題を出すのだから当たり前か、と思う反面、やっぱりこのひとは頭が良いのか悪いのか分からないと思った。  このルックスだったら、5センチ四方の白黒写真1枚でも、300人くらいは女性ファンがつきそうなのに。

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