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乱歩の熱烈なファンの男性が脱サラして始めたカフェ。
どんな陰気なところなのだろうと思っていたのだけど、たどりついた店の様子に、驚いてしまった。
普通におしゃれなカフェ。海外のコーヒー屋さんみたいな。
想像と違いすぎて、逆にどんな感じで入ったらいいか分からず、扉の前でまごまごしてしまった――変な店の方がまだ入りやすかった気がする。
意を決して入ると、やっぱりおしゃれ。
でも、大きな本棚には乱歩がびっしりだし、壁にも写真などが飾られている。
場違いな雰囲気に飲まれつつ、店内をキョロキョロと見回す。
先生は居ない。
「いらっしゃいませ」
戸惑う様子を見兼ねたのか、奥からひとが出てきた。
ネットで見た、ここの店主だ。
店の雰囲気に違わず、イマドキっぽい感じのさわやかな好青年で、乱歩狂だなんて見た目じゃ全然分からない。
目の前まで来た背の高い店主を見上げて、思い切って聞いてみた。
「あの……着物のひと、来ませんでしたか?」
着流し姿の客なんていたら、絶対覚えているはず。
すると店主は、こちらの目線を合わせるように、少し身をかがめてにっこり笑った。
「薫先生のことかな?」
「えっ? 知ってるんですか?」
「うちの常連さん。これから来るよ」
まだ来ていなかった。
ということは、俺がここにたどり着くのにもっと時間がかかると思っていたんだ――ちょっと成長した気がする。
「あの、間違ってたら申し訳ないんだけど……もしかして、大河くん?」
「あ、はい。そうです」
「そっかそっか、君が大河くん。どんな子か会ってみたかったんだよね。乱歩が好きなんでしょ?」
「はい。好きです」
初対面の大人と話すのは苦手で、質問の返事で話が途切れてしまう。
「よかったらカウンターで話さない? あ、僕は店長の福地 陽彦 です」
ニコッと微笑まれたら断ることはできなくて、そのままカウンター席に通された。
出されたレモンティーは、なんだか本格的な味がする気がした。
「薫先生、来ると必ず大河くんの話をするんだよね」
「えっと、どんな……」
「ミステリー作家を目指してるんでしょ? なかなか良い文を書くんだってほめてたよ」
「そうなんですか」
本人からそんな風にほめられたことなんて、1度もないんだけど。
というか、そんなにしょっちゅう来るという先生は、俺たちの関係をどこまで話しているんだろうか。
「熱心に相談室に通ってくるから教えがいがあるって、うれしそうにしてて。ねえ、いま、書いたもの持ってないの?」
「えっと……一応あります」
あまりひとに見せたくないというか、乱歩マニアからしたらどう考えてもお粗末だし、とてつもなく恥ずかしい。
でも、ここでふと気づいた。
先生と仲がいいのなら、当然、先生が書いた本も読んだことがあるだろうと。
俺はノートをとりだし、福地さんに渡した。
「あの、読む前に、1個質問いいですか?」
「答えられることなら、なんでも」
「先生はどんな……」
言いかけた瞬間、ドアが開いて、背後からカラコロと下駄の音がした。
背後まで近づいてきたと思ったら、ボサッと何かが視界を覆った。
「うわ!」
「君、反則はいけないよ」
「あ、噂をすればなんとやら」
押しつけられたカンカン帽を無理やり取って突き返し、やっと会えたというのに、つい憎まれ口を叩いてしまった。
「ペンネームを聞こうと思ったわけじゃありません。それに、忌引きだなんて嘘ついて仕事休むひとに言われたくありませんよ」
「忌引き……? はて、どこからそんな話が出てきたんだね」
「クラスの女子が言ってました」
先生は「ふーん」と言いながら俺の隣に座った。
「まあ、忌引きみたいなものか。でも別に、身内は死んでないよ。あ、ココアね」
「はい、かしこまりました」
福地さんは、カップを用意しながら、ニコニコと俺たちの顔を見比べた。
「仲良いんですねえ。先生と生徒って言うより……」
「ゴホッ!」
思わずむせた。
「わ、大丈夫?」
慌てる福地さんの前に、片手を出す。
「ゴホッ……す、いません。大丈夫です」
先生は、顔を背向けてぷるぷる震えている。
「ふたりは、なんかね」
何を言われるのか、ドギマギする。
先生が要らないことを言っていませんようにと、祈るような気持ちで福地さんの顔を見上げた。
「歳の離れた兄弟みたいに見えるよ」
「えっ? きょうだい? ですか?」
思わず腑抜けた声で聞き返してしまった。
先生は黙ってテーブルに突っ伏している。
面白がりすぎ。
眉をひそめつつ、ふと、またひとつ良い質問を思いついた。
「兄弟どころか、僕、先生が何歳かも知らないんです。先生っていくつなんですか?」
「ああ、薫先生は僕より……」
「あー、陽彦くん。客のプライバシーを侵害するのは商売人の心得としてどうなのかね」
棒読みで阻止する先生を見て、今度は俺が噴き出した。
「ぶは。先生必死ですね」
「陽彦くん、悪いけど、今後この子から僕の身辺のことを聞かれても、何も答えないでくれる?」
「なんでですか?」
「なんででもだよ」
「先生のペンネームを当てるっていう問題を出されてるんです」
付け加えたら、先生がじとっとこちらを見た。
福地さんは、あははと笑いながらココアを先生の前に出した。
「せっかく三鷹からこんな遠くまで来てもらったのに、収穫ゼロじゃかわいそうですよ。僕からひとつヒントを出してもいいですか?」
「うーん。当たり障りのないのにしてよ?」
不審の目で見つつ、ココアをすする。
福地さんは、小首をかしげた。
「新葉薫って、既にペンネームみたいじゃない?」
「そうですね」
これは福地さんの言う通りで、先生の雰囲気に合った綺麗な名前だし、この名前が似合うのはこの世でこのひとだけだと思う。
「ペンネームも同じような世界観だよ。本名とさして離れていない」
「あーあーあーもういいでしょ。もういいね。大河クン、推理好きの君なら半紙に向かって50枚くらい新葉薫と書けば答えがわかるんじゃないの? きっと分かる。終わり」
まくし立てて強制終了。いつもの手口だけど、大人げなさすぎる。
あっけにとられて先生の顔をぽかんと眺めていたら、ついに耐えきれなくなったらしい福地さんが、大笑いした。
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