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「それで、愛美さんに伝言してまでここへ来させた理由はなんなんですか?」  福地さんに俺のノートを読んでもらっている間に、率直な疑問をぶつけた。 「いやあ。純粋に、この店を見せてやりたくてね。人間、好きなものを極めるとこうなるんだよ。それにここへ来れば、いかに君が勉強不……いや、まだまだ君の知らない世界があるのだということが分かるかなと思ってね」  そう言って微妙に口をとがらせたので、本気で言っているのか面白がっているのか、全然分からなくなった。  でもたしかに先生の言うことは正しくて、自分は乱歩が好きだと思っていたけど、全然まだまだ知らないことだらけだったと思った。  先生は、こそっと耳打ちした。 「君、家に帰らない言い訳は考えてあるの?」  突然振られて、ぶわっと顔が熱くなる。 「え、と。考えてないです」  先生はクスッと笑って、頬杖をついた。 「きょうは6月19日。僕はただ有給を使っただけなんだけど、なぜか忌引きの噂が立ちました。職員室での会話がどこかから漏れ出たのかな。さて、なぜそんな噂が立ったのか分かるかい? 三鷹野高校の市井くん」  これは、前にも出たパターンだ。  わざわざ『三鷹』の名前を出して連想させるのは、太宰治。  なるほどそうか、きょうは6月19日。 「桜桃忌(おうとうき)ですね?」 「お見事」  6月19日は、太宰治の誕生日であり、自殺した遺体が見つかった日でもある。  太宰の小説『桜桃』にちなんでつけられたこの日は、三鷹市内でたくさんの太宰イベントが催される。 「お母上には『友達が、桜桃忌に太宰の墓で肝試しがしたいと言い出した』とでも言ったらいいよ」 「さすがに苦しくないですか?」 「あるんだなあ、そういうイベントが」  先生がスマホで見せてくれたのは、『桜桃忌・夜の太宰治ツアー』。  要するに、平日の昼に来られない社会人向けのイベントで、太宰の聖地巡りをし、最後は太宰のお墓がある禅林寺へ行くらしい。  もちろん、肝試しではない。 [きょう、友達の家に泊まっていい? 夜の太宰治ツアーっていうのに参加しようって盛り上がってて、そのまま遊びたいんだけど。いいかな?]  すぐにOKが来た。  胸が痛む。母はきっと、俺と同じく読書好きの友達ができたと思ったに違いない。  読み終えた福地さんが、ニコニコしながらノートを手渡してきた。 「ありがとう。面白かった」 「こっちこそ、読んでくれてありがとうございます」  ひょこっと頭を下げる。 「トリックよりは、探偵の鋭い質問に犯人が降参するところを魅せたいのかな?」 「あ、はい。そうです」  プロみたいな感想をもらって、ドキドキするけどうれしい。  福地さんはこちらに背を向け、いそいそと作業を始めた。 「もし可能なら、読者をもう少し信頼してあげてもいいんじゃないかな。1から10までセリフで教えるんじゃなくて、1か2は残して、読者の想像に任せるとかね」 「残すって?」 「わざわざ言葉で説明しなくても、前後の話や状況で分かることってあるでしょ?」  福地さんは、よいしょと(かが)んでタッパーを取り出し、中から何かを取り出している。 「たとえば、朝の太陽がどれだけまぶしいかを長く話すシーンがあったけど、あれは1行でいいと思う」  彦星零士はすごく朝に弱いということが書きたかったんだけど、そこはシンプルでいいのか。  読者を信頼……難しい。  悩んでいると、先生の前に大きなパフェが置かれた。 「あれ? パフェなんて注文してました?」 「さくらんぼパフェ。桜桃忌にちなんで、毎年ここで食べると決めているんだ」  先生を表情を変えることもなく、長いスプーンを手に取る。 「おいしいんだよ、陽彦くんのパフェ」  スプーンでクリームをたっぷりすくった先生は、俺に無理やり食べさせた。  たしかに、おいしい。  もぐもぐしていると、急に先生がキスしてきた。 「……っ!?」  そしてさくらんぼを口移しされ、気が動転しすぎてついそのままもらってしまう。  慌てて顔を離しさくらんぼを吐き出して、見られていないかと福地さんを見たら……案の定、バッチリ見られていた。  しかし福地さんは、特に動揺するでもなく、腕を組んでこちらを見ている。  そして、真面目な顔で続けた。 「いまの会話をお話に書くとして、大河くんだったらきっと、先生のセリフに『桜桃というのはさくらんぼのことだよ』とか書きたくなると思うんだけど。でも、そうとは書かないで、何も語ることなくさくらんぼを口移しなんて印象的なシーンを描いてあげたら、それでうまくいくかも知れない。それが10書かないということかな」  さすが、たくさん読んでいるだけあって、すごく分かりやすい。  ただ、その説明より先に、気になることがある。 「あの……福地さん。驚かないんですか?」 「ん? 驚く? 何が?」 「いや、先生が急にあんなことするから……」  尻すぼみに答えると、福地さんはあははと笑った。 「いいもの見せてもらった気分」  一瞬意味がわからなかったけど、乱歩=少年愛ということを思い出したら、納得と同時にとてつもなく恥ずかしくなった。

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