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最終話
帰る日の朝、俺たちは、肩をぴったりくっつけて机に向かっていた。
俺の書いた短編に、薫さんが目を通している。
と言っても、既に5回赤を入れて返されているので、いまさら目新しさもないはずなのだけど……いつものようにさっと速読するのではなく、じっくりと読んでくれていた。
「あの……?」
最後のページを凝視したまま動かない薫さんに、おそるおそる声をかける。
薫さんは、原稿用紙に目を落としたまま、ボソッと言った。
「君、筆名がまだだね」
「へ?」
「決めていないでしょう。いや、何かあるのかな」
「えっと……ないです」
質問の意図をはかりかねて、顔をのぞき込む。
薫さんは、無表情でじーっと俺の顔を見つめたあと、棒読みのように語り出した。
「君はたしか、作家になって周りを驚かせたいというようなことを言っていたね。ならば大河という名前はそのまま使いなされ」
「はあ……はい」
「それで、名字なんだけども」
薫さんは、あさっての方向を向いて頭をぽりぽりとかいた。
「常葉をあげよう」
「え?」
「常葉大河。響きは悪くないと思うけど、どうだろうか」
びっくりして、言葉を失う。
名字を? くれる?
「えっと、弟子とか……そういうことですか? 俺ミステリーだし、畑違いですけど」
「いや、そうじゃないよ」
そう言ったきりしばらくそっぽを向いていたと思ったら、急にこちらに向き直り、真顔で言った。
「昨晩、一生大事にすると言ったでしょう。だから、君に名字をあげようと思ったわけだ。意味は分かるかね?」
問われて、ハッとする。
とっさに頬に手を当てた――めちゃくちゃ熱い。
うろたえてしまって、思わずななめ下の畳に目をやる。
どうしよう。
それってなんか、プロポーズみたいだし、もしももしも、俺が作家になって本屋に並んだら……日本中のひとに向けて、俺たちは同じ常葉姓を名乗ることになるわけで。
そろっと顔を上げて、薫さんにたずねた。
「あの、それって……伴侶的な……?」
しかし薫さんは、何も言わず、アヒル口をぎゅっと結ぶ。
「笑ってないで教えてくださいっ」
頭突きの勢いで鎖骨のあたりに顔を埋めたら、薫さんは大笑いしながら俺の頭をなでた。
「僕の原稿が書き上がったら、一緒に編集部へ行こう。よく書けました。早くデビューしてくれないと結婚できないよ」
「け、……っ」
「なんだ、本当にウブだね君は。どれだけ床上手になっても、そういうところは一生変わらないんだろうな」
「とこじょうずってなんですか」
「エッチがうまいこと」
思わず背中を殴った。それでも薫さんはケラケラ笑っている。
「誕生日に着物を仕立ててあげよう。それから、なじみの帽子屋にもね。カンカン帽、1度かぶったら、これなしでは出られなくなるよ」
「俺、似合いますかね?」
「たぶんね」
そう言ったきり片頬を噛む薫さんの顔を両手ではさんで、やけくそにキスをした。
<完>
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