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「それではどうぞ、お客様。今宵もあなたのための一皿を、存分にお召し上がりください」  ゆるく流れる濃茶色の髪の毛先を強い照明にきらきらと溶かしながら、凜々しく整った顔立ちの美丈夫が甘く微笑む。  彼の笑顔を映し出す画面の向こう側では、いったい何人の……いや何万人の女性たちが感嘆の息をこぼすことだろう。  今をときめくイケメン俳優・続木黒也(つづきくろや)。  カメラは彼が丁寧な所作で差し出した皿の上の料理よりもよほど長い時間を掛けて、続木黒也の顔を収めている。当然のごとく撮られ慣れたようすの俳優は、余裕たっぷりに瞳を細めてみせた。  均整の取れた体躯は真っ白なコックコートに包まれており、その手元の皿にはくるりと盛り付けられたトマトソースのパスタ。コック帽こそ省略しているが、いまの彼は『隠れ家風レストランのオーナーシェフ』だ。  とはいえ、トマトパスタのレシピはほとんど初心者向け、「簡単お手軽お洒落レシピを紹介!」と謳う番組のため、なにひとつ凝った食材は使っていない。にも関わらず、続木黒也の提供する一皿は、まるで一流のシェフが手掛けたそれのようにすら見えてくる。 (ほんと、イケメンって得だな……) (……っと)  カメラのずっと後方、撮影セットに向けられる眩い照明の光など届かないフロアの片隅で、高橋章太(たかはししょうた)はうっかり吐きかけた溜息をすんでのところで飲みこむ。今日の自分の仕事はほぼ終わった。とはいえ、周りには大勢の番組スタッフがいて、当然、彼らはまだ忙しく働いている。しがないフードコーディネーターの分際で、その気はなくとも疲労感を漂わせかねない態度は御法度だ。 「高橋さん高橋さん、パスタのソースってあれ、鍋ぜんぶもう完成してます? まだ手ぇ入れます?」 「えっ、あ、三つともOKです。もし冷めてるのがあれば、適宜あたためてもらうくらいで」 「了解です、あざまーす」 「あの、良ければオレも手伝いますよ。これから二十人分の麺を茹でるんですよね?」  収録中に作った料理は、撮影終了後、そのままスタッフの賄いになるのがこの番組の通例だ。もちろん、ケータリングや弁当などもそれとは別に用意されているが、慌ただしく動き回る撮影中、ずっと良いにおいをさせていた料理に晴れて自分の箸が付けられることを喜んでくれる現場の人間は意外に多い。 「いや、高橋さんはいいスよ」  章太の申し出に、相手は「何を言ってるんですか」とばかりに苦笑を返した。 「だってほら、高橋さんには『お呼び』が掛かるじゃないですか」 「え……」 「とりあえずソースの件は了解です、おつかれっしたー」 「高橋章太」  そつのない笑顔を見せて去ってゆくADの背を見送る暇もなく、章太は響きのいい低音に名前を呼ばれる。 (お呼びが掛かる、って……)  そういえば、撮影をすべて終えた『彼』からフルネームを呼びつけられたのは、これで何度目になるだろう。  少なくとも前回の収録時もそうだったし、前々回、さらにその前へと遡っても、これと同じ記憶がある。  おそるおそる振り返った章太の目線を有無を言わさぬ強い力で引き寄せ、続木黒也は──ついさっきまで眩しい照明に晒されながらカメラを相手にしていたイケメン俳優様は、素晴らしく精悍な顔立ちをにっこりと笑ませてみせる。 「俺のごはん、持って来て」  ──そう、その、およそ紳士的ではない要求のために。

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