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・週刊誌に撮られた話 -01
ふと見た時計が、定時間際だ。章太は事務室内を見回した。今日は、残業の気配はなさそうかな。のんびり帰り支度を始めていると、デスクに置いているスマホが通知音を上げた。
(! 続木さんだ)
誰が覗き込むというわけでもないけれど、なんとなく急いで携帯電話を手に取り、章太は慣れたやり方で画面を開く。メッセージアプリには、簡潔な一言。
『章太、いま電話していい?』
『はい。もう仕事上がるとこなので、ええと、五分後くらいなら大丈夫です』
律儀な黒也は、ちゃんと五分後にコールをくれた。きっかり定時でタイムカードを通すことができた章太は、教室の小さな門を抜けながら、その電話を受ける。
「どうしたんですか?」
短いあいさつを交わした後、章太の方から訊ねた。聞くかぎり、黒也の声音に変化はない。いたっていつもどおりではあるけれど……。
『うーん。章太さ、これから、俺の事務所に来れる?』
「え?」
『週刊誌に写真、撮られたんだって。俺ら』
駅から徒歩五分ほど。一等地に建つオフィスビルは、見上げた首が痛くなるほど大きくて、そしてなんだかとてもおしゃれだ。
「高橋さん、こちらです」
「瀬野さん!」
どう足掻いても場違いな自分がビルの前に足を止めたことで、警備員があからさまに不審の目を向けてきた……のは、たぶん、気のせいじゃない。どうしよう、とうろたえた章太のことは、黒也のマネージャーである瀬野が出迎えてくれた。
章太を伴った瀬野は、きらびやかなエントランスへは向かわずに、関係者用入り口からビルへ入って行く。
「このたびはわざわざご足労頂き、申し訳ありません」
「いえっ……そんな」
二人きりのエレベーターでそんなふうに労われてしまい、章太は恐縮して首を振る。「こちらこそすみません」とつい口を吐きかけた言葉を、ぐっと飲み込んだ。
(……そういえ、ば)
瀬野ははたして知っているんだろうか。黒也と自分のことを。どこまで?
「章太、道ちゃんとわかった?」
「あ、はい。駅からそんなに離れてないですし、出口さえ間違わなければほぼ目の前だったので」
「そっか。良かった」
通された会議室には、すでに黒也の姿がある。章太のことを笑顔で迎えてくれた彼のようすは、やっぱりいつもと変わらない。
章太に椅子を薦めてくれながら、黒也は軽く首を傾げてみせる。
「てか、今日ジャケット? 着替えてきた?」
「あっはい。あ、いえ、ええと……今日は、卒業式だったので」
「卒業式?」
意外な単語を聞いた、とばかりに目を丸くした黒也が、次に斜め右上へ目線を上げる。今日って何月だっけ、と考えている顔だ。
「あの、うちの教室では、一月期と七月期に初心者さんコースがあるんです。六ヶ月で一通りちゃんと料理が出来るようになるコースなので、一月に入ってくれた皆さんの、卒業式です」
「なるほどな。良いな、卒業式」
「ほんとに形だけと言うか、特になんの資格をあげられるわけでもないんですけど……それでも卒業証書をお渡しして、その後で立食パーティーみたいなものもあるので、講師にも一応、フォーマルな格好が求められてて。ほかのコースは修了証が出るだけですし、教室で卒業式があるのは初心者さんのコースだけだったりします」
「章太にとっても、初めての卒業式?」
「!」
そっと微笑みながら訊いてくる黒也に、章太は心底びっくりしてしまう。
「え、え、あの」
「『君さら』撮ってる時、……一月? 二月かな。章太は『今年になってレッスンを受け持つようになった』って話してくれただろ。それを思い出した。その話を聞いた時は『今年度』って意味の『今年』、つまり四月からかなと思ってたけど、コースが一月期って言うんなら、元旦からの『今年』だ」
「……すごいです、ね」
「じゃあ当たり?」
「はい」
しがない料理教室講師の身分とはいえ、初めての生徒さんたちと迎える最初の卒業式は、思うよりも特別な日だった。さすがに涙ぐむとか涙腺に来るといった大げさな感動ではなかったものの、心のアルバムの中で、特別な枠飾りを付けて残しておきたい記念の日だ。
そのことを、ちゃんと黒也が気付いていてくれた。
(すごいな)
どうして、いつも当たり前みたいに、いちばん欲しいものをくれるんだろう。
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