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第6話

「で、開いてた窓っていうのはどこですか? 見せてもらえます?」  金を財布にしまって本題を切り出したら、桐生はひとつ頷いてリビングを突っ切った。彼が足を止めたのは、奥にある畳敷きの部屋へと続く陽当たりのよい短い廊下だった。床から天井まで窓になっているから、ひなたぼっこをするにはちょうどよさそうだ。庭に続く窓、と事務所で桐生が言った通り、外は芝生のはられた広い庭になっている。 「この窓だ。陽射しがあたたかいからか、ミオはこの廊下で昼寝をするのが好きだ。彼が家の中を好きに行き来できるように部屋のドアは常に開けっぱなしだから、いつも通りここでのんびりしているとき窓が開いていることに気づいたんだろう」 「なるほど。桐生さんが見たときはここの窓、どれくらい開いてました? がらっと全開?」 「いや。せいぜいこれくらいか」  桐生は片手を伸ばし実際に窓を開けてみせた。幅としては五十センチメートル強、これだけ開いていれば人間だって普通に出入りできるので、もちろん猫も好き勝手に通れる。  許可を得てからまずじっくりと、廊下と窓を観察した。真新しい傷や汚れは見当たらず、外から無理やり窓がこじ開けられた様子もない。 「桐生さんは庭で煙草を吸っていたんでしょう、そのときに窓を閉め忘れたかもしれないんですよね。煙草を吸うタイミングとかって決まってますか? 気まぐれ?」  左右に開いているカーテンに手をかけ、そこにも不自然なほころびや皺がないことを確認しながら問うた。自身のミスへの後悔を思い出したのか、桐生は隠し切れない苦渋の滲む低い声で答えた。 「いくら庭に出たってどうしても服ににおいがつくので、家ではほとんど吸わない。おれはもう麻痺しているが、ミオにとってはきっとあまりいいにおいじゃないんだろう。だから仕事へ行く前に一服するだけだ、どうせすぐに家を出て長く留守にする」 「そうですか。じゃあいま一服してくれます? いつもと同じ場所で、いつもと同じように」  特に理由は説明せずに頼むと、桐生は幾度か目を瞬かせた。篤が発した言葉の意味がわからなかったらしい。しかし彼はなにも問わずにいったんリビングへ戻り、煙草とライター、しっかり蓋が閉まる灰皿を持ってきてくれた。  いまは使っていないのだろう古いサンダルを借りて、ふたりで窓から外に出た。要求した通り庭の片隅に立ち黙って煙草をふかす桐生の姿をしばらく眺め、それからそっとまわりを視線で辿る。  世間に知れている顔を見られたくないということか、庭をぐるりと囲う塀にはあとから高く積み直された形跡があった。これでは外から桐生の姿を確認するのは不可能だ。とはいえ敷地のそばで注意深く観察していれば、もしくは離れていても双眼鏡等を使って監視していたら、立ち上る紫煙には気づくかもしれない。  つまり、そう望むものがいたら、桐生が庭で煙草を吸っているのはわからないでもないというわけだ。  しかしわかったところでそれがなんだ? 桐生が一服するのは仕事へ出る前だから、ようするに彼が煙草を吸っていると気づけば、同時にこの家が留守になるタイミングも推測できる。だが、仕事へ出る前、という習慣を知らなければ単に家人が煙草を吸っているなと思うだけだ。 「桐生さん。あなたがこの家でいつ煙草を吸うのか知ってるひとはいます? 親しい友達とか」  念のため訊ねると、桐生は少しのあいだ思案する様子を見せてから短く「いない」と答えた。ならば考えすぎか。彼と同じく幾ばくか黙って思索を巡らせ、ついでにもうひとつ問いを口に出す。 「じゃあ、あなたが猫を飼っていると知ってるひとは?」 「おれを知っている人間なら大抵知っているんじゃないか。あちこちのインタビューで可愛いラグドールを飼っているんだと自慢しているから」 「ああ。すみません、おれはめったにテレビ見ないんで俳優さんとか疎いんです」  なんとなくの申し訳なさを感じて詫びると、無言で小さく肩をすくめ桐生は篤のセリフを流した。まったく気にしていない、というより、自身を注目の俳優だと認識していない人間を前にして、この男はおそらくちょっとした開放感を味わっているのではないか。そういう気楽な態度だと思う。  誰もが知っている親馬鹿、その愛猫が消えた。妙な引っかかりを感じないでもない。だが、ミオの行方不明に他人の意思が介在しているとも思えないし、そもそもひと握りの関係者以外には桐生の自宅がどこにあるのかもわかるまい。  許可を取ってから庭の隅々まで見て回った。しかしこれといって不自然な点は見受けられなかった。高い塀の合間に設置された裏門の真下に一対の靴跡を見つけはしたが、敷地の外へと向かっているので、桐生がこっそり外出する際に残しただけだろう。庭には誰かに荒らされた形跡もないから、表門同様鍵もない裏門とはいえ、そこからの他人の侵入を示唆するものではなさそうだ。  やはりこの引っかかりは気のせい、考えすぎだ。家の様子を見る限り、桐生の言うように閉め忘れた窓から庭へ、庭から敷地外へ、ミオが自ら逃げたと判断するのが妥当だ。いくら大型種とはいえ猫であれば、表門でも裏門でも下部の隙間からひょいと外に出るのはたやすい。 「桐生さんと一緒にいるときは、庭で遊んでいてもミオちゃんは逃げ出そうとしないんですよね?」  最後にそう質問したら、篤が庭をうろつく様子を文句も言わずに眺めていた桐生は、静かに「しない」と答えた。 「彼はとてもおとなしい猫だ。庭にいてもおれの足もとにじゃれついたり玩具で遊んだりするだけで、派手に駆け回ることも外に出たがることもない。だが、もしかしたらミオは、心の中ではもっと自由が欲しいと思っていたのか。おれが彼を縛っていたのか?」  ふと、僅かばかり哀しげな表情を浮かべた桐生に、かける言葉は見つからなかった。そんなことはないですよと言ってやりたくても、自分はミオではないのだから正確なところはわからない。  桐生はすぐにその表情を消し、庭の観察を終えた篤とともに窓から屋内へと戻った。彼が感情をむき出しにしないことに少しほっとし、また少しのさみしさを覚えた。泣きわめかれたところで対処の方法は知らないが、本当は彼はいま泣きわめきたいくらいの気分であるに違いない。そうできないだけ理性的であるのはきっと苦しいだろう。  早くミオを見つけ出して、桐生のもとに返してやりたい。安堵の笑みを見せてほしい。幾度か胸に湧いたその感情は、単に仕事だからというだけではないと思う。  桐生の自宅を去る前に、ミオのお気に入りの玩具と、外出時に使うキャリーケースを預かった。猫自身や家のにおいがついているものがあったほうが迷子猫を探すのには都合がいいし、キャリーケースがあれば見つけた際にすぐ保護できる。 「じゃあこれで。全力で頑張りますからあまり気を落とさないでください。なにかあったらすぐに連絡します。ああ、もし仕事に行くまでまだ時間あるなら、桐生さんはできれば警察署へ遺失物の届出に行ってくださいね」  玄関で靴を履きながら努めて明るく声をかけると、そこで不意に腕を掴まれたので、驚いた。思い起こすまでもなく桐生が篤に触れたのはこれがはじめてだ。 「ミオはおれにとって大切な存在なんだ。ミオしかいないんだ。だから、どうか見つけ出してくれ。おれはもう、失いたくない」  ついびくっと身体を強ばらせた篤に言いつのる桐生の声は、ひどく真剣なものだった。黒い瞳もまた真摯な色を帯びていて、ああ、この男は本気だ、本気で自分を頼り縋る気持ちでいるのだなとわかった。  感情をむき出しにしない、できない。だとしても、桐生は篤相手に思いをすっかり隠してしまうつもりもないのだろう。  もう失いたくない。その言葉がなにを意味するのかはいまいち理解できなかったが、ここで追及するのもおかしいか。あえては訊かず桐生と同様真剣に、かつ力強く「もちろん見つけ出します」と返しながらも、篤の胸に湧いたのは動揺、あるいはときめきのようなものだった。  強く腕を掴む桐生のてのひらが、あたたかい。この美しい男には体温があり、確かに生きているのだと、いまさらながらに実感する。  それにこんなにもどきどきと胸が高鳴るのは、なぜだろう。

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