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第5話

 翌日火曜日の朝、便利屋事務所から桐生に電話をかけた。  応接間での様子を見た限り、桐生が本気で猫の心配をしているのは事実なのだろう。ならばまずは現在の状況を伝え今後の方針を説明してやったほうが、彼もいくらかは安心できるに違いない。こういうときには留守番電話にメッセージが残っているだけでも心強いものだ。  昨日は深夜まで仕事だと言っていたからまだ寝ているか、もしくはそこそこ多忙な俳優のようだからすでに今日の現場に入っているかと思ったのに、留守番電話サービスのアナウンスを待つまでもなく呼び出し音はすぐに途切れた。電話がつながるなんてまったく想定していなかっただけに、びっくりした。 「お、はようございます。東町萬屋です」  心の準備ができていなかったため、不覚にも声がひっくり返ってしまう。回線の向こうの桐生は、それを気にもしていない調子で篤に応えた。 『桐生です。おはよう、篤くん。なにかわかったのか。ミオは見つかったのか?』 「いや、すみません。まだです。ミオちゃんについてまずはわかった、と言いますか、わからないことがわかったので、ちょっと相談をさせてもらえればと」  桐生の冷静な口調の裏に、ほんの僅かであれ隠し切れない期待が見え隠れしていたので、申し訳なさを感じながら返事をした。姿を消してから三日間戻ってこない猫が、便利屋に依頼した途端に見つかるわけもない、と桐生も理解はしていようが、それでももしかしたらと慌てて電話を取るだけ急いているのだろう。  篤が、現時点で保健所や動物管理事務所にはミオは届けられていないこと、もし目にしたらすぐに便利屋へ連絡してもらえるよう手配したことを告げると、桐生は短く「そうか」と答えた。あからさまではないにせよ消沈した声にまたの心苦しさを覚え、これはなにがなんでもミオを見つけてやらなくてはと決意を新たにする。  名が廃るとか沽券に関わるとか、もうそんな問題ではない。この男のがっかりする声を、何度も聞きたくはない。  ミオがどこからどのように逃げ出したのかがわかれば捜索のヒントが得られるかもしれないから、自宅の中を見せてくれないかと頼むと、桐生はすぐに了承した。いくら相手が便利屋であれ、芸能人ならそう簡単にはプライベートを他人に明かすまいと予想していたので、あっさりとした桐生の返答に再度驚いた。  駄目元だとしても言葉を尽くして説得するつもりだったのに意外だ。誰に私生活を見られても構わないから、なんとしてでも手がかりが欲しい。そう願うほど彼はいま真剣にミオを心配しているということだろう。  仕事の都合を訊ねると、桐生は、昨日の撮影が遅くまでかかったため今日の午前中はオフだと答えた。ならばいまからうかがいますと半ば一方的に告げ、篤はさっそく車を出した。便利屋事務所でもばたばたと忙しそうにしていた桐生が休みだなんて貴重なチャンスは逃せない。なによりこの手の仕事は早く進めたほうがいいのだ。  昨夕と同じく住宅街外れのコインパーキングへ車を停め、桐生の自宅へ向かった。朝の陽で見ても、俳優が暮らすには不似合いなほど古めかしい家だなという印象は変わらなかった。普通の会社員家族が住んでいそうな住宅だ。  鍵のない門の横にあるインターホンを押して名乗ったら、『ドアはロックしていないから勝手に入ってきてくれ』という桐生の声が聞こえてきたので、指示に従いおそるおそる門を横に引いた。それから、さらにおそるおそる家のドアを開けると、すぐに桐生が姿を現した。 「おはよう。手間をかけさせて申し訳ない」  改めて挨拶され、慌てて「おはようございます」と返し小さく頭を下げた。オフだからだろう、今日の桐生は昨日よりもラフな格好をしていた。ジャケットもよく似合っていたが、いかにも力の抜けたシャツを着ていてもさまになるなんて大したものだなと、腹の中でつい唸る。  差し出されたスリッパを履き廊下を踏んだ。招き入れられたリビングには、外観から想像していた以上に生活感があった。柱に細かい傷があるし、二台向かいあうソファやそのあいだに置かれたローテーブルなどの家具もそこそこ古いものに見える。俳優の自宅というよりは、やはり普通の家族が長年住んでいる家といった印象を受けた。  現在はひとり暮らしなのであれ、以前は家族と住んでいたのではないか、と推測はできた。しかし口には出さなかった。昨日はじめて顔を合わせた客にそう突っ込んだことを訊ねるのは不躾であるし、迷い猫探しの仕事には関係もなかろう。 「そうだ。昨日は慌てていたものだから金の話をしなかった。君の能力を言い値で買おう、いくらかかっても構わない。金額は? 現金でいいならいま渡す」  部屋の中をきょろきょろと見回していると、背中から桐生にそう声をかけられた。思わずはっと振り返り、慌てて胸の前で両手を振り答える。 「ああ、そうか。おれこそ説明するの忘れてましたけど、そんなに取らないですよ。安くて早くて確実にが売りなんで。あと、うちは完全成功報酬制だから、ミオちゃんが見つかってからもらいます」 「そういうわけにもいかない。なにをするにも金はかかるんだし、いくらかでも先に渡しておいたほうが気が楽だ。おれは君がミオを見つけ出してくれると信じているから無駄にはならない」 「……困りましたね。じゃあ、最低限の必要経費だけもらいます」  いらない、あとでいいと言い張っても桐生が頷かないことはわかったので、少し悩んでから折衷案を提示した。東町萬屋が完全成功報酬制なのは事実であり、万が一仕事に失敗したら一円たりとももらわない方針だが、失敗したら、という可能性をいま桐生に示すのは酷なのだろう。  とはいえ最低限の必要経費なんて、ガソリン代、プリンター用紙代、考えてもそれくらいしか思いつかない。とりあえず一万円札を一枚だけ受け取ると、桐生は幾分か不服そうな顔はしたものの、諦めたのかそれ以上は言わなかった。

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