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第4話

事務所をあとにしたその足で、篤はまず保健所と動物管理事務所を訪れた。ペット探しの仕事ならばまま引き受けるから手順は知っている。  所員に写真を見せても期待していた反応は得られなかった。迷い猫としてすでに届けられているなんて幸運はさすがにないようだ。そうしょっちゅうは見かけない七キロもある大型猫なので、保護されていればすぐにわかるだろうから、いまのところミオは関係各所にはいないということになる。  写真のカラーコピーを渡し、目にしたらすぐに教えてくれと便利屋事務所の連絡先を伝えた。とりあえず第一段階はここまで、次は現場だ。  教えられた住所を頼りに車を運び、桐生の自宅近くへ辿りついたのは十七時すぎだった。九月のはじめ、まだあたりは明るいから下調べをするのに不都合はない。  住宅街の外れに発見したコインパーキングに車を停めて、桐生の自宅を見に行った。家の中までは見られなくても、建物の大きさやあたりの環境といった諸々を早い時点で把握していたほうが迷い猫探しには有利だ。  桐生の自宅は、篤の想像を裏切る地味な木造一戸建てだった。門の外から見る限り、ひとり暮らしではかえって手間がかかるのではと思うほどには広そうだったが、なかなかに古めかしい。建てられてから二十年以上はたっているのではないか。敷地内に駐車場がないのは、家屋や庭に土地を使いたかったからだと思われる。  知明によると、桐生は現在舞台のみならずドラマや映画にもしばしば顔を出す注目の俳優であるらしい。高級で洒落たぴかぴかのデザイナーズハウスにでも住んでいそうなのに、意外ではある。  それから三十分ほどかけて、桐生の自宅周辺をざっくりと見て回った。本腰を入れて捜索をするにはいくらか道具も必要なので、今日のところは下見だ。  住宅街の家々はゆとりをもって建てられており、ところどころに近隣住人が使うのだろう駐車場があった。名前も知らない綺麗な花が咲いた植え込みも多々見られる。  経験上、室内飼いの猫は家出をしてもそれほど離れた場所には行っておらず、好奇心で逃げたはいいものの怯えて狭い隙間に隠れていることが多い。家と家のあいだ、車の下、植え込みの中と、こんな土地ならば身を潜める場所は山ほどありそうなので、根気強く探せば見つかる可能性は高いだろう。  ひと通り住宅街を歩き状況を確認してから、ピザを買って便利屋事務所へ戻った。店番ついでに伝票整理をしていた知明は、篤が手にしているピザの箱を見つけてたいそう嬉しそうな顔をした。普段は十八時頃には家へと帰るアルバイトを引き止めるには、これくらいの褒美を用意すべきだろう。  知明は姉の息子だ。姉には三人の子どもがおり、高校二年生の知明が長男だ。部活には入っておらず、学校が終わると真っ直ぐに篤の切り盛りする便利屋へやってくる。信用のおける身内ということもあり、本人が了承さえすれば比較的遅くまで仕事を手伝ってもらえる。  大工の真似事も掃除も洗濯も、大抵の仕事は難なくこなせるが、篤はデスクワークが苦手だった。ついでにテレビやパソコン、インターネットまわりの事情に疎い。対して知明はそのあたりに詳しいようなので、頼れるところは素直に頼ることにしている。 「知明。まずはしこたまピザを食え。で、そのあとちょっと仕事の手助けをしてくれないか」  ざっとデスクを片づけてピザの箱を置き声をかけると、知明はいかにも腹が減ったという顔をして篤の手もとを覗き込んだ。小生意気な面がないわけではないにせよ、こういうところはいたって普通の高校生だ、賢い子犬みたいで可愛いものだと思う。 「いいにおい。この事務所お菓子もないし、店主がいないのでおやつの買い出しにも行けなかったから、僕いまおなかぺこぺこですよ。それで、なんのピザですか? おいしいやつなら手助けしないでもないです」 「チキン……チキンなんとか? あとベーコンなんとかが半分ずつのってるやつ」 「完全に肉食だ。栄養が偏るので、篤兄さんはもっと野菜を摂取するって意識を身につけたほうがいいですね。でもおいしそうです。しかたがない、餌づけされましょう。ちゃんと手助けしますから遠慮なく食べますよ」  箱を開け促してやると、小言を言いつつも知明はさっそく手を伸ばしてピザに噛みついた。本当に腹が減っていたらしく両手をべたべたにしてピザを頬張る知明を眺め、なんでもうまそうに食べる人間は見ていて気分がいいなとどうでもいいことを考える。  自分はペットボトルの炭酸飲料を飲みながら、知明に頼みたい仕事を説明した。単純にいえば、桐生の自宅近辺に配る迷子猫のチラシを作ってほしいというだけのものだ。そんなことはおのれでやれと言われそうだが、残念ながらセンスのかけらもないので、チャレンジしてもすぐに捨てられそうなみっともないチラシにしかならないだろう。 「写真と、ここの連絡先。大きさとか性格とか、猫の特徴もわかりやすく書いてあるといいな。あとは猫の名前だ、赤の他人の声でも呼べば反応するかもしれないから」  もぐもぐと口を動かしながら篤のセリフに何度か頷き、了解、と示した知明は、宣言通り遠慮なく二人前のピザをひとりで平らげたあとすぐにパソコンの前に座った。桐生が残していったミオの写真を携帯電話で撮影し、そのデータをパソコンに取り込んで、篤が指示した通りのチラシを手際よく作っていく。  最近の高校生はみなこうした作業が得意なのか、それとも知明が普通以上に長じているのか。自分なら教えられてもできないし、仮にできたとしても三日くらいはかかりそうだと、彼の後ろからパソコンのモニタを眺め感心した。 「チラシ配りも大事ですけど、ネットもチェックしたほうがいいですよ」  あっというまに仕上がったチラシのデータファイルを保存し、さっさと帰り支度をしながら知明が言った。 「迷子猫を保護したひとがSNSに写真を投稿して、拡散希望、なんてやってることも多いですから。なぜかSNSをやる層って猫好き多いし、運がよければ情報が流れてくるかも」 「ああ。そうなのか。で、SNSってなんだっけ?」 「ソーシャルネットワーキングサービス……いえ。篤兄さんにそんなの期待した僕が馬鹿でした。時間があるとき僕が見ておくんで、今度はおいしいラーメンを食べさせてください。チャーシューが五枚くらいのった豚骨がいいです。あとゆで卵」  説明しかけていったん言葉を切り、それから知明は諦めたように続けた。なんだかんだいってもこの青年は面倒見がよいと思う。パソコンを開いても表計算ソフトで帳簿をつけるのが精一杯という、時代遅れの叔父を放っておけないらしい。 「そいつは助かる。SNSとやらはおまえに任せた。とびっきりうまいラーメン屋に連れていくから、好きなだけ替え玉していいぞ」  投稿、拡散、ソーシャルネットワーキングサービス? 頭の中に散らばる疑問符は知明に丸投げすることにして声をかけると、頼れる甥は「はいはいお任せください所長様」と呆れたように答えた。彼にしてみれば嫌みのつもりなのだとしても大して嫌みに聞こえないのは、身内であるがゆえの心安さがあるからだろう。  車で自宅まで送ると申し出たが、途中でコンビニに寄るのでいいです、なんてセリフであっさり退けられたので、事務所を出ていく知明の背をひとり見送った。それから、できあがったばかりのチラシを必要枚数プリントした。精密機器には弱くても、さすがにプリンターくらいは扱える。  猫を探してくれないか、か。  チラシの束を鞄にしまいながら、世界で一番可愛い猫だと言ったとき、それから、ミオ、と名を告げたときの桐生の美貌をなんとなく思い出した。笑みの形に細められた目、そして切なげな表情、前者はともかく後者はいまいち意味がわからない。  いい名前だろう、似合うだろうと惚気るなら理解できるのに、どうして彼はあんな顔をしたのか。  少なくともこの事務所にいるあいだ、桐生はなにをも演じていなかった。素だったと思う。もしかしたらあの親馬鹿俳優には、まだ便利屋には打ち明けられないなんらかの事情があるのかもしれない。

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