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14.寂しさと止まった時間4

 優介が佐野の隣の椅子を引いてくれたので、大人しくそこに座った。 「早川くんは、メロンソーダでいい?」 「うん、ありがとう」  ここに来るのは久々だったが、早川の好物をしっかり覚えてくれていたようだ。待ってて、と優介はカウンターの奥へ消えていった。  カウンター席に佐野と二人で取り残された。すごくチャンスなのに、なかなか話を切り出せない。この人と二人きりで話したことなんて無いので当たり前のことなのだが。   「…元気にしてたかい?」 「え?あ…うん。元気、です」 「そうか。なら良かった」  ありきたりな社交辞令。  きっとこの佐野という人物は、本来話上手な人ではない。なんとか間を持たせようと無理をしている気がして、なんだか申し訳ない。 「足は…まだ治ってないな」 「今リハビリ中だけど、なかなか良くならなくて…」 「いや、充分だよ。頑張っているんだな」  今の若い子はすごいな、と言った彼の横顔は憂いを帯びているように見える。それっきり、彼は自分から話を振らなくなってしまった。なんとなく放っておけなくて、今度は早川から声をかけた。   「佐野さんは、寂しい?」  何が、なんて言わなくても彼に伝わる。そんな気がした。 「…ああ、寂しいよ。子離れ出来ない親の気持ち、今ならすごくわかる」  憂いの正体は、寂しさ。  元気が無いように見えるのも、口数が極端に少ないのも、それが原因だった。 「いつかは離れていくものだと思っていたが、まさかこんなに早く離れていくとは思っていなくて…少し気が沈んでいたんだ」  この人も同じ寂しさを抱えている、と早川は思った。  彼が居ない日常生活に違和感を感じて、立ち止まったまま。時間は刻々と進み、他の人たちがあの悲しい時間を忘れようとしているのに、自分だけ時が止まってしまったように前に進めないでいる。   「…俺も」 「君も?」 「…うん、めちゃくちゃ寂しい」  彼のことが大好きだった。だから寂しい。  本気で愛した人に会いたいと願うのは、いけないことなのだろうか。   「ナゴに会いたい。会いたいよ……っ」  会いたい。  一緒にいる事が当たり前で、彼が隣に居ない世界なんて想像出来なかった。 彼の不器用な笑顔が大好きで、たくさん笑わせたいと思っていた。幸せ過ぎて怖い、なんて悲しいことを言うから、そんなこと言えないくらい幸せを当たり前にしてあげたかった。  感情が高まってしまったせいか、ぽろぽろと目から涙が溢れ落ちる。 「ねえ佐野さん、お願いだから教えてよ……ナゴが、どこにいるか…知ってるよね?お願い、お願いだから…」  心にポッカリと大きな穴が空いているのに、それを塞ぐ方法を見つけられない。  彼で空いてしまった穴は、彼でしか埋められない。  ぽろぽろと涙を流しながら訴える早川を、佐野は悲しげな顔で見ていた。 「…すまないが、それは出来ない」 「…っ、なんで…?」 「…永太郎との約束なんだ」  やはり、佐野は知っているのだ。彼がどこにいるのか、何をしているのか。 「約束は破れない。もう彼に嘘は付かないと決めたんだ」  ここで早川がどれだけ駄々を捏ねても、きっと佐野は教えてくれない。彼らは以前、佐野がついた嘘が原因で仲違いしたことがある。その時のこともあり、約束を守るという佐野の意思は物凄く固い。 「すまない、早川くん」  佐野が申し訳なさそうに目を伏せた。諦めたくなかったが、約束なら仕方がないと早川は自分に言い聞かせて、ふるふると首を横に振った。 「約束、か…」 ーー秋の大会は無理、だけど…俺、リハビリ頑張って来年の夏にはまた走れるようになるから。 ーー…うん。 ーーだから、その時は…。 ーーもちろん。絶対応援しに行く。  約束する。最後に会ったあの日、彼はそう言った。  彼が姿を消してしまった今、あの約束が有効なのかはわからない。だが早川の心の中にはしっかりと残っている。 「何か約束があったのかい?」 「うん、俺……来年の夏のこと、約束したんだ。ナゴ、覚えてるかな……」  彼にとっては、その場凌ぎの口約束だったかもしれない。でも早川にとっては大事なことで、あの時話したことは何もかもしっかりと覚えている。一緒に過ごした最後の日を、絶対に忘れたくない。 「私が言うのもなんだが…彼を、約束を破るような男に育てたつもりはない」  遠い未来の約束や、絵空事のような約束。一緒に食事に行く約束など身近な約束。小さな約束から大きな約束まで、たくさん彼との間で交わしてきた。もちろん、中には守れなかったものもあったけれど、彼はどの約束も大事にしてくれた。どれも一生懸命守ろうとしてくれた。 「その約束は、君にとって大事なことなんだろう?」 「…うん、大事だよ。すごく大事なこと」 「だったら、きっと約束は守るよ」  彼を信じて待ってくれないか、と佐野は言った。  元気が無い佐野だったが、その言葉だけには特別な力を感じた。育ての親としての自信なのか、大原のことを信用している者としての言葉なのか。  どちらにせよ、早川は約束は守る、と言った佐野の言葉を信じることににした。  同じ寂しさを共有する彼の言葉なら信じられる、と早川は思ったのだ。 「ナゴが約束を守ってくれるなら…俺も、約束守らなきゃ」  まずは、自分の足で走れるようにならなければ。    自分の周りだけ止まっていた時間が、ほんの少しだけ動いた気がした。  大原との約束を守る、という目標に少しずつでもいいから近付づきたい。まだ完全に立ち直った訳ではないが、一歩だけでもいい。前に進まなければ。    大原には自分を赦す時間が必要だと佐野は言った。早川にも心と身体の傷を癒す時間が必要だ。お互い、今すぐは元通りにならないのは分かっている。  最後に会ってから約1年後の夏。約束の時に向けて、早川の時間がゆっくり、ゆっくりと動き始めた。 「遅くなってごめんな、早川くん…って、どうした?佐野さん泣かせた?」  カウンターの奥からメロンソーダが入ったグラスとコーヒーカップを持った優介が現れる。目元を真っ赤にさせた早川を見てぎょっとした。何かがあったと瞬時に察した優介は、なんとか場の空気を和ませようと戯けて見せる。 「いい大人が高校生泣かせちゃ駄目だろ?」 「…すまないな」 「優介さん、俺、大丈夫だから!佐野さんも謝らないで!」  早川ははっとして放っておいた涙の後をゴシゴシと擦った。 「もう大丈夫!」  もう泣かない。いつまでもメソメソしている場合ではない。前に進まないと、夏に間に合わない。  自分の前に置かれたメロンソーダのグラス。キンキンに冷えてシュワシュワと泡立っているそれを一気に飲み干した。炭酸がしっかりと効いたそれを一気に飲むのは難しい。グラスが空になった後、ゴホゴホと咳き込んでしまった。 「いい飲みっぷりだけど、大丈夫かよ?」 「…っ、うん、大丈夫。優介さんごめん、俺行かなきゃ。お会計お願い」 「お、そうか。こっちこそ待たせてごめんな。会計はいいよ、佐野さんに払ってもらうから」 「……好きにしなさい」  やれやれ、と呆れた様子で佐野は言うが、その表情は満更でもない。 「早川くん、待って。今ドア開けるから」 「あ、ありがとう!」 「いえいえ、また遊びにおいで。今度は光と弟も一緒に」 「うん、また来ます」    ごちそうさま、と言って早川は松葉杖を突きながら、慌ただしく店を出て行ってしまった。 「……永太郎は、とても良い子に出会えたんだな」  よかった、と佐野は安堵の息を吐いた。  彼が居れば大丈夫だ。  きっと、あの子を救ってくれる。

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