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第1話

仕事を終えて帰宅した銀嶺が着替えようとしていると、上着のポケットに入れてあった電話が鳴り出した。脱いだばかりだったそれを拾い上げ、慌てて電話を取り出す。ディスプレイに表示された名前を確認すると、かけてきた相手は大隅(おおすみ)、となっていた。 「もしも――」 「やだっ!ホントに男の人!?」 いきなり響いてきた女性の甲高い声に、銀嶺は眉をひそめながら壁の時計を見た――深夜にかけてきて、やだ、はないだろう…… 「――大隅さんの携帯ではないんですか?」 「え?ええ……そうなんだけど……ごめんなさい、てっきり女性が出ると思ったから……」 「女性?」 「また浮気だろうと思ったんです……最近の履歴があなたの番号ばっかりだったから。しかも『銀次』さんだなんて、そんな仁侠映画みたいな名前、偽名に決まっ……ゴホン、失礼。ええと、とにかく誤解だったので、ごめんなさい」 銀嶺が質問する間もなく、彼女は焦った様子で電話を切ってしまった。 大体状況はわかる――銀嶺はため息をついた。 あの――ノアたちと共に乗っていた星間連絡船から降ろされたあと、銀嶺は現在革命軍が支配し統治するこの星に移送され、バイオペットたちのための保護施設へ入居させられた。 ここは前線からは距離があって、攻撃とは無縁で、安全だった。物資不足のためか時代遅れなスタイルではあったが、戦闘員ではない一般の人々は戦前とほぼ変わらない普通の生活が営めている。銀嶺はここで仲間のバイオペットたちと共に、自立して暮らしていくための知識や技術、生物と人造生命体とを等しく扱うと言う革命軍の理念を学んだ。 以前の銀嶺の飼い主は一般企業の経営者だったのだが、革命軍と敵対している現政府との繋がりが深かったため一般の人とは扱いが分けられ、今は収容所へ入れられている。 革命軍が用意したコースプログラムを全て終えたバイオペットたちは、養子として人間の家庭へひきとられたり、仕事をみつけて就職したりと様々だった。そして銀嶺は、その美しい容姿のためもあって、モデルにスカウトされその事務所と契約した。 動物の猫と同じ耳と尾を持ったバイオペットのモデル、というのが物珍しいせいもあり、銀嶺には順調に仕事が入った。今は革命軍が用意してくれた避難民用の宿舎にいるが、もう少し貯金が出来たら外へ住む場所を借りてちゃんと自立しよう――そう思っていた矢先、撮影現場で知り合ったライターの大隅(おおすみ)という男が、それなら一緒に住もうじゃないかと持ちかけてきた。 大隅はスマートで優しく、以前の飼い主を思い起こさせ、銀嶺は彼に好意を持った。しかし大隅にはどうやらつきあっている女性がいたらしい――しかも一人ではなさそうだ――彼女が大隅の電話を内緒で使い、浮気の尻尾を掴んでやろうと銀嶺の番号に電話してきたのだろう。 銀嶺にはなんとなくわかっていた。表向き平等だと言われていても、バイオペットをただの男性向け性的奉仕道具と思っている人間もまだまだ多いのだ。今の仕事を始めてからもその辺りに興味を持たれて言い寄られることがよくあるので、銀嶺はそれには慣れていた。 蔑視されることも別にかまわない。街娼上がりだった銀嶺は、過去に品評会で同席した同じ仲間――高級品のネコたちから始めは必ずと言っていいほど馬鹿にされた目で見られた。そういう相手には実力――自分が持つ知性や美しさで対抗すれば良いことだ。 「銀次ねえ……」 銀嶺は電話を眺めながら呟いた。モデルとして銀嶺の名は全くの無名でもなかったので、大隅は本名で登録するのを避けたのかもしれない――バイオペットの自分と個人的に付き合いがあることを、親しい人間には知られたくなかったのだろうか――そんな風に考えてしまうとさすがに気持ちが沈んだ。 銀嶺には、慕っていた以前の飼い主にあっさり食用にされそうになった経験がある。だから――いつ裏切られてもいいように、用心はしていた。 こういうことなら……一緒に住むという話は無しだな、銀嶺がそう思った所に、手にしていた電話が再び鳴った。大隅だ。 「はい。銀次ですけど?」 「やっぱり――」 大隅が舌打ちする。 「ゴメンゴメン、今のヘンな電話、間違いだから!週末の、物件見に行くって話だけど、何時に――」 銀嶺はきっぱり言った。 「週末は仕事が入ったので無理です。あと、その件はもうキャンセルさせて下さい」 「え!?おい――」 慌てた風の大隅を無視して電話を切り、次いで銀嶺は彼の番号を電話から消去した。

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