1 / 39

第1話

「風間、起きろよ。」  もうこれで何度目になるだろうか。芳野薫(よしのかおる)は、一向に起きる気配のない彼の肩を揺すりながら、声をかける。毛布からむき出した綺麗に筋肉の付いた肩は、揺れに従って左右に動くが、ただそれだけ。  彼――風間涼太(かざまりょうた)は、一度眠ったらなかなか起きないのだ。 「お前、今日は3限から講義じゃなかったのか!」  だからこそわざわざ目覚ましをかけ、彼のためにこうして起こしてやっているというのに。呆れ半分、苛立ち半分の想いを、風間の耳元で発散させる。 「…なんだよ」  あからさまに不機嫌な顔。幾分長めに放置された前髪の隙間から、すっと開いた瞳がのぞく。その目が、眠たげでいつもより腫れぼったい。恐らく、昨日深酒をしていたせいだろう。  性的な関係を持つ事への気楽さは、今に始まったことではない。昨夜、薫が23時をまわって帰宅すると、玄関のドアを開けたまま、風間は見知らぬ女性と抱き合っていた。女性が去っていく姿を確認してから、素知らぬふりをして自宅のドアを開けると、アルコールの匂いと女性物の香水が室内に充満していた。  風間は、軽く開け放った窓から煙草の煙を吐き出しながら、おかえりと笑い、明日は起こしてくれないかと頼んできたのだ。 「起こせと言ったのはお前だろ。だから3限の授業に間に合うように、こうして起こしているというわけ。わかる?」 「ない。」 「どういうこと」 「今日は教授が学会で休講。いま思い出した」  大きなあくびをしながら、平然と言い放つ姿に一瞬怒りが最高潮に達するが、それをぶつける気にもならず、長い溜息を吐く。枕元の時計を呑気に確認する彼を横目に、ベッドから体を起こそうすると、彼の右手がそれを押しとどめた。 「な、にっ…」  言葉を全て言い終える前に、ベッドの中に引きずり込まれそうになる。その手を振り払おうと咄嗟に振り返ると、間近で瞳がかち合い疑問を抱く前に柔く唇が重なった。 「…酒くさい」  思わず憎まれ口を叩いた。薫は非難するように軽く睨むが、風間は何て事ない表情で見返してくる。 「お前、酒好きだろ」 「寝起きでも、屁理屈だけは絶好調だね。…って、何してるんだ」  ひやりと触れる肌の感覚。いつの間にか捲られたシャツから滑り込む、低い体温と指先。思わずぞくりと身体が震えて身を捩ると、風間が悪戯を仕掛ける子どもの様な笑顔を口許につくった。 「そういうのは彼女とでもやれよ」  彼の何時もの悪ふざけ。こちらの気もしらず冗談じゃないと思いながら、下半身に集中する熱をどうにかやり過ごそうとする。彼にとっては悪ふざけでも、自分にとってはそうではないのだ。何が悲しくてこんな男を好きになってしまったのかと、薫は一瞬頭を抱えた。 「彼女いないって。」 「…昨日連れ込んだ女性は」 「向こうの孤独と俺の性欲のタイミングがたまたま合ったんだろ」  どこか投げやりに返す様子に、何が楽しくてそういった事を繰り返しているのか、たまに疑問に思う。  薫は、人をあまり好きにならない。元来、人付き合いが苦手な性格だと自認しており、無意識に他者に境界線を作ってしまうのだ。その分、一度想い人が出来ると心に秘めたまま、一途に想い続けてしまう。そのような性分の薫には、風間の奔放さに惹かれる想いがある一方で、理解もし難かった。 「よくもまあ、次から次へとタイミングが重なるよ」 「当たり前だろ、俺は男だからな。男の性欲が枯れたら人類みな滅亡だ」 「人類みな兄弟にならないよう、せいぜい気を付けてくれ」  彼を振り払うようにしながら下半身をさり気なくずらし、そのままうつ伏せになって溜め息をつく。 「というか、それってまたセフレ出来たってこと?」 「セフレではないな」  振り払われた腕でベッドに肘をつき、頭を支える様にしてこちらを向いた風間が生真面目に答える。 「なんで」 「昨日はじめて会ったから。」  あれだな、アバンチュールってやつだなと呟く彼の言葉を無視して、さっさとベッドから体を起こす。  

ともだちにシェアしよう!