8 / 8

第8話

 夜の女王と呼ばれた妖精王ティターニアはゴブニュ教区の中から動くことはない。彼女は己の肉体を苗床にティルナ・ノーグに子供たちを産みつけた。世界樹とほとんど一体化し、意識も数年に一度目覚めるか否かだった。ティターニアを体から溢れる蜜しか口にせず、彼女の世話をし続けるゴブニュ教区の神官たちは、今日も宴を開いていた。 「おお! 我らが愛児よ!」  ティターニアと一体化した世界樹から溢れ出る蜜は、「ミード」と呼ばれて飲んだ者を常に高揚させた。魔力も増し、体力や精神の向上も見せる。そして何より、ティターニアに対する強い信仰心と、狂信的な恋を植え付けるものだった。 「我が愛する美しき方も、お前の帰郷を喜んでおろうぞ!」 「飲めや歌え! 我が愛する美しき方のために!」  神官たちはティターニアのためにその生涯を生き、彼女の美しさを普及するために戦う。彼女の加護を受ける子供たちが一人でも増えるように、領土を増やすのだ。ティルナ・ノーグのゴブニュでは常に眼が血走った男たちが、唾を飛ばし、ティターニアの美を称えていた。 「アーサー様、お帰りなさいませ」  アーサーはゴブニュの神官より苦手だったのは、ティターニアを政治に利用するハイ・エルフたちだった。彼らは妖精族の中でも高い知能と財力を有し、ティターニアが産んだ初代の妖精王と子を成し、貴族としてティルナ・ノーグでも高い権力を持ち合わせていた。アーサーに頭を下げることなく微笑み、妖精王に変わり政治を牛耳っているのは実際エルフの貴族たちであり、彼らはいつも狡猾に忍び寄る。現宰相のサファイア・シルフィードも数代前の妖精王との間に産まれたハーフ・エルフであり、エルフの貴族の中でも切れ者としてその名を轟かせていた。 「シルフィード殿、ただいま戻りました。奥方様は、お元気でらっしゃいますか?」 「ええ。オーロラは先日、子を産みました」  エルフは子が出来難い。そのため、ハイ・エルフといえどもエルフ同士で結婚することはないが、サファイアは純潔に近いハイ・エルフを妻とし、年中妻に子を産ませていた。  ──ただし、その子が育ったのを、聞いたことはないが。  純潔のエルフにこだわり続けるサファイアは幾度も妻を変え、子を為すがそのたびに子は儚くなる。エルフのように魔力が強く古代の神々の血を濃く受け継いでいる種族は子供が出来にくく、そして育ち難い。ティターニアがゼウスと人間を懸けて戦争をした際に、エルフは初め、ゼウス側についたが、ティターニアの施しの恵みを目当てに妖精側で最終戦争に臨んだ。初めからティターニアと共に人間を守るために戦ったドワーフたちはいつもエルフを裏切り者だと罵る。彼らは狡猾で、臆病で、そして美しい。そうであるが故に、信じてはならぬと、ドワーフはいつも歌う。 「私が連れ帰った緑の民は何処に?」  アーサーが囁くと怒号が響く。ゴブニュ教区の聖堂の壁はティターニアの強信者たちが殉職を望んだ成れの果てで作られている。彼らはティターニアの祝福に反応し、ティターニアの第一子と夫の間から産まれた子が起こしたオベロン王家の者が現れると祝福の祝詞を奏でる。 「やあやあ、我に何も言わぬ気かい?」  先触れもなく、雄々しい声が響く。雌雄同体の肉体を持つ、妖精王オベロンは柔らかく微笑んで現れた。ティターニアの唯一無二の夫であり、息子であり、この世界を統べる彼は闇夜のような髪を指で透いて、神官たちが先ぶれに巻いた花の上を歩いた。彼が歩くと花は芽吹き、その場に森が生まれる。 「我が君」  アーサーが頭を下げると、彼はゆっくりと近付いてくる。歩くたびに色が変わる瞳に髪の毛は、まるでオーロラのように光人々の心を奪っていく。アーサーは精霊王の愛児である証の聖剣を肉体から取り出し、彼に向かって捧げた。オベロンはキスの祝福を贈り、その剣でアーサーの肉体を貫く。赤子の時にそうしたように、また聖剣を肉体に押し入れられて、彼の愛を受け入れたのだと息を吐く。 「只人の身には、浮世は辛かろう」  精霊王の声に跪くと、彼はアーサーの顎を掴んで瞳を覗き込む。金色から緑に変化した瞳は人魚姫の涙のようだった。 「とはいえ、我々にも道理が必要だ。我々の愛し子の為にも、憎きゼウスめを早く駆逐してしまわねばならぬ」  歌うように妖精王は言った。彼の肉体はティターニアの魔力がなければ保っていられない。ゴブニュから一時と離れられない王様は、彼が愛を施した人間に理を授けた。 「ゴルゴーンが子を探しておる」  聞き間違いかと思って視線をあげると、彼は微笑んだ。 「陛下」 「憎きゼウスを、ゴルゴーンなら食い殺してくれるだろう」  困惑するアーサーに、金色に変わった瞳孔を細めて王は宣言した。 「ナポレオンに我は約束したのだ。ゴルゴーンの試運転を先の戦争で試すことをな」  人間の国を治める男が精霊王に軍事的な協力を要請したのだとアーサーが理解する前に、精霊王は「ゴルゴーンは緑の民が好きだ」と言った。 「我が君」 「だから我はナポレオンにあの緑の民の所有権を与えた」 「あの者は私が命に変えて連れ帰った者です」 「我の名でな」  精霊王は遊戯が好きだった。戯れに海の底で人魚たちが守っていたアーサーを妖精の国に連れ帰ったのだ。彼は、ティターニアの恋人たちを皆弄び、食い散らかし、彼の為に跪かせて臓腑を踏みつけるのが好きだった。人の国の機械をこの国に齎したのも、彼の気紛れだったし、人の国を治める王と契約を交わしたからだ。人の国の王は必ず、オベロンの精を受け子を為さなければならないという契約だ。 「あの幼子がお前の好きになると思ったかえ?」  顎を掴まれて、黒く変わった瞳と見つめ合う。 「我が君」 「ナポレオンは、ドワーフの扱いも巧みだ。竜たちもあやつと共にゼウスが奪った娘たちを奪い返したくてうずうずしておる。面白そうだ、そう思うだろう。アーサー」  答えてはならない、とアーサーは口を紡ぐ。この美しい生き物に食い取られてしまったら、彼の気まぐれでアーサーを守ろうとした人魚たちを宝石に変えようとするかもしれない。       体や心を弄ばれるのはいい。だが、記憶まで彼に握られてしまったら、アーサーを求めた人々を守ることはできない。 「我が君、只人を弄んではなりませぬ」  柔らかい声が王を静止した。 「おお、愛しい赤毛のクロード」  白い仮面に三角帽子と黒いマントに黒尽くめの甲冑、性別も種族も隠すようにして剣を携える魔術騎士団のクロード・ロワイリーは王の前に一礼した。 暁の夕暮れ魔術騎士団はティターニア直属の騎士団という立場を取り、ティターニア以外どこの国にも属さないゴブニュ教区の神官兵とは立場が違い、女王の希、即ちティルナ・ノーグに生まれし者達全てに祝福を与えるための魔術騎士団だった。例えオベロンであろうとも、彼らが傅くのはティターニアのみだ。  女王が眠りにつく前に騎士の称号を与えたクロードは、性別の分からぬ声で「ゴルゴーンの脅威をご存知か」と囁く。 「面白い化け物じゃ。ゴルゴーンは、ゼウスの手足を食ろうてくれるだろう」 「ナポレオンは、戦上手です。うまく竜族とドワーフ族と協定を結んで彼らの為に新しい土地を与えると約束したのでしょう。さすれば人の理の中のこと。妖精王が人の世に足を踏み入れて何になりましょう」 「愛おしくてたまらぬ。我は、人が愛おしくてたまらぬ。ティターニアが一等愛した五つ指の子らじゃ」  体を揺らして歌うように王は囁いた。王の力が大気を揺るがしゴブニュ教区が僅かに揺れる。王が去っていくのを見送り息を吐き出すと、魔術騎士が「只人の子よ」とアーサーの前に立った。 「王はお前を戯れに弄んでおられる。お前の命はそう永くないは無いでしょう」 「ええ、そうでしょうね。俺は器です。人魚の涙と王の精液を詰め込まれてるだけの、玩具でしょう」 「けれども」  魔術師はアーサーの目元に指先を伸ばした。黒い手袋で覆われている掌は、思ったよりもほっそりしている。 「ティターニア様は、お前を愛しておられるのだろう。彼女の優しい笑い声が、お前から聞こえる。我らは彼の方の愛に忠実な騎士。」 魔術師はゆっくりとアーサーの胸の中に手を伸ばしてエクスカリバーに触れた。 「ナポレオンはオベロン王に反旗を翻すつもりかもしれぬ。ゴルゴーンは危険だ。緑の民の命を喰らって動く化け物だ。先の大戦で、ティターニア様だけが御することができた」 「ナポレオンは知恵者です。制御出来ぬものを使うでしょうか」 「それが人の恐ろしさよ。いつも絶望と混沌の後に希望が待っていると思い込んで聞かぬ。無知で無辜の愚かで可愛らしい生き物だ」  エクスカリバーから手を離した魔術師は「水底に戻りたいか? 只人よ」と問うた。  アーサーは答える。 「俺の意思など、関係ない。求められるのならば、逝くだけ」  王はアーサーを水底から引き上げて愛児として福音を与えた。アーサーは、己の体の中に王の意思が埋め込まれている限り、それに従うだけだ。 「お前に祝福のあらんことを」  魔術騎士は音もなく去り、王の訪れによって遠ざけられていたアーサーの友人達がようやくゴブニュに入ることができた。 「アーサー」  不安そうな顔に、手を伸ばしてキスをする。 「大丈夫」 「クロード様が、人間の国に行けって」  通行手形を示されて苦笑する。 「俺たちが必死な思いで連れ帰った緑の民は、連れ去られた」 「人間の国に?」 「ゴルゴーンに彼を使うそうだ」 「ゴルゴーンって、昔の化け物みたいな兵器のことでしょう?」  頷くアーサーにティーチはもう一度キスを返してくれる。 「着いていくわ、アーサー。私貴方のこと好きだもの」 「ありがとう」  ゴブニュ教区から出るとようやく、トリスタンとも合流した。 「アーサー様」  彼がアーサーを抱きしめる前に、アーサーはゴブニュ教区を振り返る。世界を作った女王を讃える歌が響いていた。

ともだちにシェアしよう!