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第57話
ずっと続いていた真っ直ぐのレールが突如として目の前から消えた。レールがなくなってしまった春臣にできることは何もなく、朝から晩まで人形のようにソファに座っていた。
ご飯も喉を通らない。歩くのは食事やトイレの時のみ。最初はベッドから起きる気にもならずずっとそのまま引きこもるような生活をしていた。しかし、そんな春臣の姿を見て心配した京太に、姿が見えないと不安になるからリビングにいてくれと言われ仕方なくソファまでは出てくるようになった。
何も食べたくない。けれど食べなければ体型、顔つきが変わる。そうなればまた面白おかしく記事を書かれ余計に仕事が来なくなる。そんな悪循環が春臣を苦しめるが全ての意欲はこそげ落ち結果廃人同様となっていた。
自分に言い聞かせるようにして春臣は立ち上がると冷蔵庫まで歩いて行った。
中を開ければ京太が春臣の体を気遣って作ってくれた料理の数々がしまってある。しかし、ここまできてもやはり何も食べる気にはならず再び冷蔵庫の扉を静かに閉めた。
― そういえば、最近千晶を見ていないな。
ふと、思い出すのはキッチンに立つ千晶の姿だが、当の本人はホテルの前で会った時以来見かけない。否、家に帰ってきていなかった。
ここ2~3日、仕事ができなくなったショックが大きく、周りに目がいかなかったが、今になってようやくその事実に気がついた。
俺に騙されて勝手に妄想して勝手に傷ついて、そしてマスコミに俺を売った。
あれは誠太ではなく確実に千晶によってやられたことだ。
― それなのに、あいつは今も俳優の仕事を続けている。俺が入る予定だった仕事は全て千晶に回されていた。
ギリリ、と歯を食いしばる。死んだ魚のような生気のない瞳は怒気を含み豹変していった。
「あいつも、道連れにしてやる...」
ショックを受けて引き籠もっている場合ではない。全ての元凶であるあの男を野放しなんかにしてやるもんか。
先程まで沈んでいた春臣であるが今では酷くいきいきとしていた。
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今日はもともと新しいドラマの打ち合わせがあった。きっとそれに出るために千晶がこのテレビ局にいるであろうことをわかっていた春臣は、周りに顔を見られないようADになりすまして局内の楽屋を見て歩く。
向かっている先はもちろん、千晶の楽屋だ。目的は千晶のスマホを手に入れる為。それに入っている誠太と千晶の写真や連絡の内容をマスコミに売って自分と同じ目に合わせてやろう、そう画策していた。
「あいつ...っ。いい気なもんだな、人気者は」
そんな中、先に見つけたのは楽屋ではなく当の本人である千晶であった。ちょうど打ち合わせ会議が終わったのかプロデューサーと廊下で立ち話している。
春臣はその姿を物陰から窺い毒吐いた。
― 愛想もないくせに...お前が今仕事をもらっているのは俺がいたからだ。あくまでもお前は代役だ。
しかし、そう思いながらも心は訴える。
そんなお前が羨ましい、と。
思わず自分自身に舌打ちしてしまう。見下していた人間が今では自分の上にいるのだ。今のこの状況が現実なのだと改めて知らしめられた。
「...絶対に許さねぇ」
ボソリと呟くと、プロデューサーと別れ自身の楽屋に戻るのであろう千晶の後を着いていく。
そうして歩いてすぐ、千晶は“天宮 千晶様”とネームプレートが入れられている部屋の扉を開けた。春臣はそれを狙って走り...————
「おい、このクソ野郎!」
「...ぅぐっ!!」
閉められようとしていた扉を無理矢理開け、こちらを見て驚くその顔に拳をめり込ませた。
不意を突かれた千晶の体はいとも簡単に床に倒れる。春臣は後ろ手に扉を閉めるとその上に馬乗りになってもう一度綺麗なその顔を拳で殴った。
普段人を殴ることなどしたことのないその拳は、痛みで震え僅かに腫れ始める。
「やぁ、春臣。随分と手荒い挨拶だね」
口の中を切ったのか、千晶の口の端からは赤い筋が流れる。その姿に高揚感を覚えるが、それに屈しない高圧な態度に苛立ちが増した。
「お前の顔テレビに出られないようにしてスマホのデータも全部マスコミに売ってやる...お前も俺と同じ、道連れだ」
そう言えば少しは萎縮するだろうと思っていたのだが、千晶はこちらを見てニンマリと笑う。
「俺を道連れにするって?俺を受け入れられなかったくせにそんなことできるの?」
そして一瞬にして無表情になると、突然千晶は自分自身のシャツを乱暴に引き千切り胸をはだけさせた。
「お前、何して...」
「あんたを追い込む手間が省けたよ、ありがとう」
状況を読み込めず唖然とする春臣。千晶は再び満面の笑みを浮かべると大きく息を吸い込み口を開いた。
「うわぁぁぁぁっ!!やめろ!!やめてくれ!誰か!誰か助けて!!」
「なっ...てめぇっ!!」
それこそ、迫真の演技で叫ぶ千晶。尚も叫び続けようとする千晶の口を掌で塞ぐが、時すでに遅く、こちらに近づいてくる靴音が複数聞こえ...————
「天宮君!!どうした!何か———っ、」
バン!と勢いよく開けられる扉。
引き寄せられるようにして春臣はゆっくりと後ろを振り向く。その視界に入るのは、こちらを有り得ないものでも見るかのように驚き見開く目、目、目。
「...はる、おみ」
そして、まるで蚊の鳴くような声で呟く京太の表情のない顔。
「助けて父さん!!春臣が...春臣が、」
その目は春臣から実の息子である千晶へと向けられる。殴られた赤くなった頬、口の端を伝う血、乱暴に引きちぎられた服。
「あ、あ、あぁぁぁぁっ!」
その顔が憎悪で歪められるのは一瞬のことであった。
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