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エフレム・エヴァンジェンス 1

「良い情報屋の条件、知ってるか?」  ツンと香るウィスキーを呷って、自称情報屋……情報屋というものは大概が自称だが、くたびれた帽子を目深に被った、いかにも情報屋といった格好の男の、勿体ぶった前置きに、ニール・ティアニーは眉間の皺を深くした。 「……まあ、怒るなって。冗談で言っているんじゃない。重要な話だ」 「怒っちゃいねぇよ。くだらねぇとは、思っちゃいるがな」  人混みのせいで湿った銀髪を掻き上げ、ニールは温くなった麦酒を少しだけ胃に流し込んだ。 「で、良い情報屋の条件ってのはなんだ? 続けろ」  萎縮している様子が見て取れる情報屋に、ニールはジョッキをテーブルに置き、軽く手を振って続きを促してやる。  言葉のとおり、べつに怒っているわけではない。  不良な大人が通い詰める酒場は薄暗く、隻眼ではどうしても視線が強くなる。 幼い頃に暴漢に襲われ、えぐり取られた左目は眼帯で覆っているが、小さな黒革では隠せないほどの深い傷が左半面に残っていた。  不穏な相貌で眉間に皺を寄せていれば、身の危険ぐらいは覚えられても当然だ。酔っ払いの相手に馴れているだろう店員でさえ、及び腰で注文を取りに来る始末だ。  馴れた反応であるし、些細なことにいちいち腹を立ててもいられない。  すっかり温くなった麦酒に映り込む自分の顔に肩をすくめ、ニールはなおも躊躇している様子の情報屋の椅子を蹴った。 「言えよ。前金は、渡してるんだ」  テーブルに肘を突き、見事にひっくり返った情報屋を笑ってやる。 「良い情報屋の条件は――」  よろけながら立ち上がる情報屋に、「お前みたいな間抜けじゃないやつか?」と揶揄すれば、流石に不快感を見せる。が、プライドだけは一著前なのだろう、何ともないような素振りで席に戻った。 「そうだな、まあ……そうかもしれん」  帽子の位置を気にする様子は、あからさまに動揺だとみてとれる。ニールは嘆息して、木製の椅子の背に体重を乗せた。 「期待した知らせは、なさそうだな」 「ないと言えばないし、あると言えば……ある。頼むから、話を全部聞くまでは殺さないでくれよ」  これ見よがしに舌打ちをしてみせれば、情報屋は引きつった笑みのまま、椅子の脚を鳴らした。 「テメェみたいなクズを切るには、俺の獲物じゃ勿体なさすぎる。……そうさな、筋ばっかりのシケた肉を切らされている、なまくらなナイフで充分だ」 「だから、殺さないでくれよっ」  帽子の影から覗く目の脅えように、ニールは隻眼を細めた。  物騒な冗談も、冗談と取られないのは、ひとえに戦場で上げた功績のせいだろう。軍服を来てなくとも、一般人とは違う臭いは隠せないようだった。  帝国では他に類を見ない赤い瞳は、敵を屠った血で染められたものだと噂されるほど、ニールは濃厚な血臭の中を、二五歳の若さで幾度となく潜ってきた。  戦争と無関係な一般人ならいざ知らず、腕が良かろうと悪かろうと、情報屋であるのなら、ニール・ティアニーの名を聞けば、どれほど狂った人間かくらいは分かるはずだ。 「兄さんの依頼は、俺じゃあ手に余る。悪いとしか言えないが、降りさせてもらう。前金は全額返すから、見逃しちゃあくれないか」 「手に余る、ね。人を探すだけだったはずだが?」  情報屋は、本気で殺されると思っているのだろうか。蒼白な顔で、なんとかニールの機嫌を取り繕えないかと下手な愛想笑いを作っている。 「八年前、戦場から逃亡した男の行方を探る。何処へ向かったのか、その程度の情報でも構わない。……あぁ、簡単だと思ってたよ」  目に見えて震えている情報屋は、周囲を行き来する店員の手元をちらちらと気にしているようだ。  使い回されすぎて刃がすり減った安物のナイフが、ニールの手に渡らないようにと気を張っているようにも思える。 「テメェが、そこそこ顔の利く情報屋だと聞いて、依頼を持ち込んだわけだが……見込み違いだったようだなァ」 「たしかに、俺は顔が利く。が、今回ばかりは場違いだ」  恐怖になれてきたのか、情報屋は語尾を荒くしてウィスキーを一気に呷った。強いアルコールに上体をふらつかせながら、目を血走らせ唾を飛ばす。  やけくそといった体に、ニールは会話の不穏さに近づいてきた店員に温くなった麦酒を突き出し、席を立った。 「いいか、良い情報屋の条件だ」  剣呑な会話にいぶかしむ店員を追い払い、ニールは情報屋に小首を傾げてみせた。 「質のいい情報屋は、扱う情報が身の丈に合っているか、判断ができるかどうかだ。腕を自負するなら嘘は扱わない。仕事をするなら、危ないヤマには手をださない。……俺の鉄則だ」 「……なるほどな。馬鹿にして悪かった、テメェはたしかに顔の利く情報屋らしい」  ニールが提示した情報は、探し人の容姿だけだ。  銀の髪に、赤い瞳。勘が良ければ、ニールの血縁者であると気付くだろうが、情報屋が怖れているのはもっと別の理由だ。 「わかった、前金はくれてやる。安くはない金だが、取引は取引だ」 「……こ、殺さないのか?」 「なんだ、殺されたかったのか? 外ならまあ、やっちまっても良いが……街中で殺人なんてやらかしたら、とっつかまって首を刎ねられるだろうが。オレは軍人であって、殺人鬼じゃねぇんだよ。分別ぐらい、きちんとついてる」  ニールはベストの上着から紙幣を取り出し、情報屋に投げた。 「受け取れよ、脅えさせちまった詫びだ」  呆然としている情報屋に軽く手を振り、酒場を出ようとしたところで「まだ、話は終わっちゃいないんだ」と、声がかかる。  振り返れば、いくらか落ち着きを取り戻した情報屋の顔があった。  ニールの投げた紙幣をちらつかせて店員を呼び寄せ、「こいつは、貰っておく」と、ウィスキーを注文している。 「依頼を降りたいんだろ? まだ、なにか話すことがあるのか?」 「兄さんが知りたい情報を扱える人物を、オレは知っている。これでも、情報屋の端くれだ。前金を貰っている以上、やれることはやらねぇと性分じゃなくてな。……ただ」  氷の浮かぶグラスを受け取り、情報屋は声の震えを隠そうとでもいうのか、一気に空にした。濃厚なアルコールの臭いが、机を挟んだニールの鼻にも届いてくる。 「やばい相手だ。紹介はできる……話もつけてきている。が、あまり薦められない」 「安心しな、逆恨みなんてするようなタチじゃねぇ。なにがあってもな」  一歩、ニールは情報屋へ踏み出した。  敵を殺して、殺して、殺し尽くして。  やっと手に入れた、短い自由を無駄にはできなかった。大切な肉親を失ってから、すでに八年の月日が経っている。  躊躇など、していられない。  ニールは、情報屋をしっかりと見据えた。  道楽で、危険に近づこうとしているわけではない。情報屋もニールの本気を察してか、上着のポケットへ手を差し込んだ。 「軍人さんなら、分かるだろ? 〝ドブ浚い〟って言われているアイツだ」  情報屋はポケットを探る動きを、ためらうように僅かに止めた後、ニールへと二つに折られた紙を差し出した。 「明日の夜、この場所で待っている……だ、そうだ。誘いに乗るかどうかは、自分で決めてくれ。オレはこれっきり、兄さんには関わらないよ」  僅かに残ったウィスキーを飲み干し、情報屋が席を立った。  伝言を受け取ったニールを少しも振り返らず、情報屋は店内からあふれそうなほどひしめく客の間に消えていった。 「エフレム・エヴァンジェンス……か。たしかに、何か知ってそうだ」  店への地図だけが書かれていた紙を握りつぶし、ベストのポケットに突っ込む。  情報屋の忠告は気になるが、いつ、最前線へ送り込まれるかわからない現状にあって、怖じ気づいていられる余裕はなかった。

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