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第1話
季節が巡り、一緒に暮らし始めて早十ヶ月。
始めは慣れない二人暮らしに戸惑った。
完璧几帳面な景(変態)と、大雑把な俺。
洗濯の仕方や干し方、食器の仕舞い方、それはそれは細かく指示されて、ちょっと喧嘩にもなったり。
主婦かい! と突っ込まずにはいられない。
けれど景が言ってくれた効果もあってか、部屋はあまり散らからずに綺麗な状態を保っている。
俺は、除菌液に浸けていた布巾を洗って硬く絞る。ベランダへ行き、それをピンと張ってからピンチハンガーの洗濯バサミに付けた。
ちなみに端と端の洗濯バサミを使って、布巾を真っ直ぐにして干さないといけないルールだ。今は動作がしっかり身についているので、もう怒られる心配はない。
「よし、そろそろ始めんと」
今日は二月十四日、バレンタインデー。
俺は早速、手を洗って作業に取り掛かる。
さっき買ってきた材料を冷蔵庫から取り出し、袋を開けようとしてからあっと気付く。
キッチンの隅に掛かっていたエプロンを一つ取り、首に通して腰の後ろでキュッとリボン結びをした。
これは、料理をする時にエプロンをするなんて習慣がなかった俺を見かねて、景が買ってきてくれたものだ。ポケットに猫の刺繍がしてあって可愛いので、とても気に入っている。
それにエプロンをするだけで、一気に料理上手な男になれる気がするんだよなぁ。
だが俺の腕前は、いまいち。
景に何度か料理を振る舞ってあげたことがあるが、反応は。
『うん。独特だね』
だった。
なんやねん独特ってーー!
あぁ、思い出したら腹が立ってきた。
ブンブンと首を横に振り、スマホで料理動画アプリを開く。
これは料理の工程を動画で見せてくれるので、文字だけのよりも遥かに分かりやすく、失敗しにくい。
そして体調管理に気を遣う景のために、低カロリーのガトーショコラを作って差し上げるのだ。
晩ご飯までには帰ってくるみたいだから、それまでに仕上げなくちゃ。
一緒に暮らす前は、バレンタイン当日に会えた事が無かったから、チョコをプレゼントするとか無かった。
というかそういうイベントには二人ともなぜか無頓着で。
仕事が忙しい彼だから、当日会えるっていうのが難しいからかもしれない。
去年の景の誕生日はようやく一緒に過ごせたけれども。
「……」
誕生日、かなり激しくされた記憶があるのでちょっと恥ずかしくなった。
確か二、三日は尻がヒリヒリしたような……。
俺は気を取り直し、カカオ99%の板チョコレートをまな板に置いて、包丁でザクザク切る。
材料はほんの少しで出来るし、簡単な作業しかないのでいくら不器用な俺でも失敗する方が難しいだろう。
景の喜ぶ姿が目に浮かんで、ちょっとニマニマする。
チョコを細かく切り終えたところで、ポットのお湯をボウルに出す。
湯煎するのは動画を見なくても分かるので、俺はお湯の中にザザッとチョコレートを全入れした。
「……あれ?」
お湯の中でゆらゆらと揺れるチョコに違和感を感じる。
固形のチョコがお湯の中でドロドロと溶け出して行くのを目の当たりにして、顔面蒼白になった。
「ちゃうやん……! これ直接入れたらアカンやつやん……!」
景に気を取られて、取り返しの付かない失敗をしてしまった俺はがくんと膝からくずおれた。
ど、どうしてこんなことに……。
嘆いていても、チョコが元の姿に戻ってはずもないので、俺は仕方なくエプロンを脱ぎ捨て、財布を持って家を飛び出した。
近くのスーパーまでは歩いて十分弱。景が帰ってくるまで、あと三時間。
なんとかそれまでに、ケーキを完成させなくては。
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