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第1話

「間に合わなかったか……」  嘆く気配に項垂れたのは、一人だけではなかった。しんと静まり返った、扉の向こう側。一足先に潜入した偵察役からもたらされたのは、「生きているものは、いない」という情報だけだ。 「……残念ながら、踏む込むのがあと一歩、遅かったようですね」  悄然とした配下の言葉に、『彼』だけは冷静に、無言で頷き返す。  後継ぎもなく廃れてしまった、貴族の館。それをどこぞの新興商会が買い上げて、また住めるように改築したところまでは、調べがついた。そこから先、どのような者たちが介入して、こんな悪趣味な館へと作り変えたのかは――はっきりとは、掴めていない。  彼の配下たちが先導する中、歩を進める彼の視界には、これ見よがしに置かれた檻が幾つも見える。その檻は囚人を収監するような重々しさはなく、美しい鳥でも飼うためにあつらえたかのような、華美さがあった。格子には金や銀も使われ、目隠しをするための布は絹が用いられている。  かつて、貴族たちが夜な夜な舞踏会を開いただろう大広間も、檻のせいで歪な、狭い空間と化していた。  「……本当に悪趣味だな」  その檻のほとんどは既に空だった。美しい檻の中には繋ぐもののない手錠やら足枷やらが落ちている。たまに、まだ繋がれている姿が認められても、確認が始まるとたちまち彼の配下たちの表情は厳しいものへと変わっていった。やがて、肩を落とすと、遺骸に布を被せてる。その遺骸のどれもが、人とは違う特徴をしていた。  ――ここは、『人ではない』ものを売買し、増やすための館だった。  そして、この悪趣味で非道な館の主たちは、『彼』らが踏み入るよりも先に、持てるものを持って逃げ出していったのだ。 「ゼクス殿下」  配下の中でも、特に彼が信を置いている男が耳打ちをしてきた。視線だけで答えると、男は逡巡する様子を見せてから、館の外をそっと指さす。 「一人、生存者が見つかりました。特徴から、アストレアの亜種族ではないかと思われます。ただ、怪我が酷いせいか、こちらをひどく警戒しておりまして。引っ張り出してでも、お連れするべきでしょうか」 「私が行こう」  男は承知しました、と手短に答えると、近くにいた己の部下に案内するよう指示する。一番最初に彼に報告してきたのは、生き残りが存在すると知った他の者たちが、館の外に溢れ出て余計な緊張を生まないための配慮なのだろう。 「アストレアは、すでに滅んだ種族と言われています。もし本物なら、とんでもないことですね」 「……そうだな」  話しかけてきた男の部下は、まだ若い。生き残りがいたということと、それがもしかしたら、めずらしい種族かもしれないということに興奮している。  この世界には、人と、人ならざる者がいる。それぞれ創った神が違うから、造形も違う。それだけのことなのだが、人の数は圧倒的に多く、彼らは自分たちこそが『ふつう』だと認識した。そして、自分たちに似ているけれど異なる特徴を持つ者たちに、勝手に種族の名前を付けて行った。 (アストレア……異界の神の名を持つ者か。銀色の髪、青の瞳、そして有翼が三大特徴と聞いたが)    館の脇を通り過ぎ、北側に出ると広大な庭園が広がっている。今はもう手入れはされていないのか、庭全体がすっかりと枯れた色をしていた。かろうじて、アーチや噴水などはまだしっかりと形を留めている。男の部下と共に進んでいくと、数人が茂みを取り囲んでいるのに出くわした。 「殿下! こちらにまで、足を運ばれることはありませんのに」  彼が現れたことに気づいた男たちが、一斉に地面に膝をついて礼をしようとしたのを止め、彼らの視線の先を見やる。森を思わせる鬱蒼とした茂みを、体躯の良い男たちが真剣な顔で注目しているのは、傍目から見ると少し滑稽だった。 「この場は私が対応する。中や、周辺にまだ逃げ延びた者がいるかもしれない。何とか一人でも多く、生きている者を助け出せ!」  彼のはっきりとした声音に、茂みを取り囲んでいた者たちは揃った返事をして、散開していく。ここまで案内役を務めてきた男の部下は、興味津々といった顔で居残ろうとしたが、彼が苦笑を浮かべると慌てて屋敷の中へと戻っていった。  男たちがいなくなると、場が一気に静まりかえる。そうして、獣のような荒々しい息遣いが彼の耳にも届いた。 (……アストレア族なら、なぜ飛んで逃げなかったのか。体力がなかったのか……?)  かつての詩人が、異界の神の名をつけてしまうほどに、優美な外見を持つという一族。その背にある翼はただの飾りではなく、彼らが飛行するのに使われていたという。ただ、それは鷹が飛ぶほどの速さはなく、高さもそれ程でもなかった。加えて争いごとが苦手な性格で、容易に狩られてしまったという。彼が生まれてからは、本物のアストレア族を見たことなど一度もない。もしかしたら、今でもどこかに隠れ潜んでいるのかもしれないが。  満月のお蔭で、明かりを用意する必要がないのは助かったが、さてここからどうしようかと彼は悩んだ。「もう大丈夫だから出ておいで」くらいは、先ほどまでここにいた配下たちが、散々呼びかけていたことだろう。 (ああ、そうだ。アストレアなら――)  争いを嫌ったアストレア族は、芸術をこよなく愛したと聞く。それは絵であったり、土を器に変えることであったり。そしてなにより、歌や音楽を好んだ。  あまり多くの歌は知らない彼だったが、幼い頃兄と一緒に何度も聞かされた子守歌を口にする。普段、歌うことなどしないので、音程があっているかは良く分からない。歌い出したのは良いものの、歌詞もあいまいだ。適当に歌い継いだところで、茂みの中の荒い息遣いが、笑いを堪えるものに変わったことに気づいた。どうして笑っているのか分からず、慎重に茂みに近づいてみるが、相手が逃げ出す気配はない。  そうして生い茂った草をかき分けたそこには、こちら側に背を向けて笑っている小柄な生き物がいた。  その背を見て、アストレアではないかと配下が言っていた根拠が理解できた。剥き出しのその背は、包帯が巻かれていたのが取れかかっている。その取れかかったところからは――翼をもぎとられた痕が、はっきりと残っていたのだ。翼の名残だと言いたげに、背にはまだ少しだけ、黒い羽根が残っていた。 「聞いても、いいだろうか。どうしてそんなに笑っている?」 「だ、だって……あんた、すごく良い声をしているのに、音痴にもほどが……あるだろっ! い、痛い……ど、どこもかしこも……」  あえて、背中のことは尋ねなかった。彼はなるべく意識して穏やかに、声をかける。あはは、と笑い泣きしている生き物の、剥き出しの肌にも、傷が多いことが夜なのに分かる。ちら、と涙を浮かべながら見上げてきたその瞳は、アストレアの特徴である薄い青――そして、その容貌の美しさはまさに異界の神、に相応しいだろう。アストレアの亜種族かも、と配下が言ったのは、柔らかそうな長い髪が羽根と同様に黒色をしているからだ。確かに、この容姿で警戒心がほとんどなかったのだとしたら、早々に狩られる対象となってしまったのも得心がいく。  目の前にいるアストレア族らしき者は、背中以外だと特に手首と足首の辺りに血が滲んでいる。この館の中に並べられていたあの檻のどこかに、入れられていたに違いない。……そうして、翼も奪われてしまったのだろう。まだ痛々しい背中の様子から見て、まだそれ程日数が経っているとも思えない。もう少し早く踏み込むことができれば、という悔しさを再び覚える。 「私の名は、ゼクスという。名を、聞いても良いだろうか」  彼――ゼクスが名乗ると、茂みの中で腹を抱えていたアストレアは、ようやく笑うのを止めた。 「……テア。どうせまた檻の中なら、あんたみたいに面白いやつのところがいいや。なあ……またいつか、さっきの音痴な歌、歌ってくれる?」  わざと音を外したつもりはなかったゼクスは、困り顔となった。立ち上がり、片足を引きずりながら茂みの中から出てきたアストレア――テア、というらしい――はその場で両膝をついた。そして、ゼクスへと両腕を差し出すと、目をぎゅっと閉じる。 「……テア、と呼んでいいのか? テアは、どうして私に、手を差し出しているのだろうか」  嫌な予感がする。ゼクスが丁重に問うと、テアは恐る恐る目を開いてから、首を傾げてみせた。 「どうしてって。どうせ、あんたたちも俺を捕まえに来たんだろう? 足枷が緩んでいて逃げ出せたと思ったけど……もう、全然走れないんだ」  ゼクスの方が悲しくなるくらい、テアは『捕らわれること』に慣れているようだった。自由になることを、とっくに諦めている。 「――私は、テアを捕らえに来たわけじゃないよ」 「じゃあ、目的……わっ?!」  ゼクスが目の前の少年――青年、かもしれない――を抱え上げたのは、ほとんど衝動的なものだった。目の前の存在は、『捕らえられる』こと以外に、他人が自分に接してくる理由を知らないのだ。テアの身体は、長身に入るゼクスよりもずっと小柄なのもあるが、驚くくらいに身が軽かった。これで両翼が揃っていれば、本当に飛べたのかもしれない。力を籠めたら細いテアの身体を折ってしまいそうで、ゼクスはいつになく緊張した。  力なく、テアの片方の足が、ぶらりと下がる。全然走れない、とテア自身が言った通り、もうほとんど動かない――潰れかけているのも分かってしまった。 「これからは、檻のないところで生活するんだ、テア。……私を信じてくれるだろうか」 「あんた、さっきから質問ばっかりなんだね……あ」  くうう、と控えめな音がテアの腹部から漏れ聞こえた。身を縮こませたテアは恥ずかしがったのだろうと、ゼクスはようやく微笑ましい気持ちになった。しかし、小刻みに震えるテアの身体に気づいて、それが自分の思い違いだとすぐに気づいた。 「ご、ごめんなさい……ぶたないで……ごめんなさい……」  ゼクスの腕の中から飛び出そうと、もがいたテアの動きは強かった。落ち着かせようと背を撫でたが、まだ血が滲み、歪な形をしたそこに触れると、ますますテアの震えがひどくなる。そこから手を離したゼクスの手のひらには――血がついてきた。テアは今まで、緊張のせいで意識を保てていたのだろう。やがてぱたりと抵抗が止んだ。……意識を失ったのだ。 (……どれほどの酷いことが、この子にあったのだろう)  声音からすれば、もう大人の仲間入りはしているのかもしれない。ここに至るまでの年月のうち、こういうことの連続を経験してきたのだろうと、簡単に察せられるのが辛い。     (守るものを、増やしてもいいだろうか)  最後の問いは、自分へのものだ。そして――その答えを、彼はすぐに出すのだった。

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