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第4話

「ゼクス……様は、どうして髪を染めるんだ……ですか?」  食事を終えると、席を立ったゼクスに、テアはいつものように質問を投げてきた。  人と共に食事を取ることでマナーを覚えさせるためと、食事は楽しく、生きていくためには大切なものなのだとテアに認識させるために、テアが食事を怖がらなくなってからはゼクスと一緒に同じテーブルについて食事を取ることになった。年配の使用人の中には不本意だ、と顔に書いてある者も最初のうちはいたが、最近は私邸のあちこちに顔を出すことが増えてきたテアを可愛がる者は多い。並べられた皿を見るだけで怯えていたテアも、この頃は落ち着いて食事を楽しめるようになってきた。そうなると、元々好奇心が旺盛らしいテアはゼクスに質問をしてくる。矢継ぎ早にではなく、一度の食事につき一つ。それは他愛もない問いばかりだったが、今日の問いはゼクスも苦笑を返すしかない。  ゼクスが城に行く日は大概決まっていて、必要があればその限りではないが、基本は週の四日通って、三日休むという繰り返しだ。城に行く時や、他に出かける時は決まって明るい金色の髪を茶色に染め、目は良いのに眼鏡をつけていく。まるで変装だ。ただ、厳めしい顔の男たちが来るとき――大抵、夜中だ――は、そのままの姿で行くこともある。 「俺は、金色の髪、好き……ですよ?」  金色の髪を持つ者は、ファベルにもあまりいない。それこそ王族くらいのものだ。そのことを知らないテアは、隠そうとするゼクスが不思議に思えるらしい。 「そうだな、いざという時のためだ。それが、私の存在する意味でもある」 「意味……ですか?」  簡潔に答えたゼクスに、テアは首を傾げた。食事の時に邪魔になるからと、本人の強い希望で長かった髪を短くしたので、最初に出会った頃よりもテアは少年っぽく見える。くっきりとした二重に宝石のような薄青の瞳と、真っ直ぐな鼻梁に形の良い唇。それらのバランスの良さは、ずっと見ていても飽きることはない。その上、ころころと変わる表情が乗ると、ゼクスから見ても、とても魅力的な存在に思えた。大人びた表情で、侍女たちと一緒に歌を謡うこともあれば、あどけない表情で一日の失敗や頑張ったことをゼクスに報告してきたりもする。  今も、頬に詰め込んだ果物を咀嚼しながら考え事をしている。背中の翼がなくなっても、アストレア族であるせいか、テアは少食だ。果物の類はやはり好物で、主食の果物の減りは速い。こくんと、今食べていたものを嚥下し終えてから、テアはじっとゼクスを見上げてきた。 「……俺には、意味、ある……ですか? 役立つこと、ない……です」 「あるだろう。テアは、アストレア族であるというだけで――」  ゼクスが深く考えることもなく返事をすると、まだ果物は残っているのにテアが椅子から立った。侍女たちも突然のことに目を丸くしている。  「俺……もう、アストレアじゃない、です。つばさ、なくした。もう、仲間って、分かってもらえない……!」  意味、ないです。そう呟くとテアは片足を引きずりながら朝食室を出て行こうとする。思わずその腕を掴んだゼクスを、涙の滲んだ青が睨み上げてくる。はっきりと言わないが、テアは傷ついたのだと分かった。 「テア、すまなかった。私はいつも、言葉選びを間違えてしまうようだ。別にテアの種族なんて関係なく、テアがいてくれるだけで良いと思うのだが、きっとテアが望んでいるのはそういうことではないのだろう? どうだ、今日は外に出てみないか。陛下が、ずっとテアに会わせろと騒いでいるんだ」 「……へ、いか?」  涙は滲んだまま、聞きなれない言葉をテアが繰り返した。それに頷きながら軽い身体を抱き上げる。そうすると、いつになく動揺する気配がした。 「簡単に言うと、我が国の王だ。だが、その顔を見ても驚かないでほしい。それだけ、約束できるか? 約束できるのなら、城の帰りに市場でも寄ってみよう」 「約束、する……します」  よし、とゼクスが笑いかけると、テアは顔を背けた。気のせいか、白い肌が真っ赤に染まっている気がする。熱があるのではと一瞬考えたが、侍女たちからは問題なしと報告を受けている。もしかしたら、子どものように抱き上げられたことを恥ずかしがったのかもしれない。しかし、テアの足はまだ癒えていないのだからと自分に言い訳をすると、抱きあげたまま部屋を出て、テアに付けた侍女たちに預けるのだった。 *** 「お城、はじめて……です」 「だろうな。本来は正門から入って入城の手続きを行うのだが、私と入る時はこちらからだ」  城にはいくつかの門があるが、正門から大分通り過ぎたところにある門を潜り抜けると、一面に美しい花園が広がった。意匠の手によって整えられた花園は季節ごとに色彩を変えるのだが、今の季節は特に美しい。別段自然に興味のないゼクスですら、そう思う。テアに至っては、興奮しきりでずっと口を開けている。その興奮ぶりは、途中でルアフが合流したことにも気づいていないくらいだ。 「きれい、です。ゼクス、様。とっても、きれい」  満面の笑みで見上げてきたテアの美しさに、ゼクスは我にもなく足を止めた。  今日は城にテアも連れて行くと告げた後は、こういう日がいつ来ても良いようにと、侍女たちが用意していた衣装を早速着せられていた。普段着ているものよりも幾分しっかりとした、貴公子然とした衣装にしているだけなのに、整った顔立ちが際立って、どこかの貴種かと思わせられるのだから不思議だ。本来、アストレア族は中性的とでも言えば良いのか、男女どちらが着ても違和感がないゆったりとした衣装を好んでいたというので、そういう服を着せたらもっと似合うのだろう。しかし、それでは今ここにアストレアがいますと周囲に教えて回ることにもなる。 「……ここには、専属の庭師がいる。後で、花の名まえでも教えてもらうか?」 「教えてくれる……もらえる、ですか?」  まさかそんなことでテアが喜ぶとは思わず、ゼクスはちらりとルアフを見やった。ずっと影に徹してきた部下は、笑いを堪えつつ頷き返してくる。そんな部下の様子を見ながら、ゼクスは一つの覚悟を決めていた。  人の少ない花園を突っ切って、直接王の寝宮へと向かう。一層豪華になった内装や調度品にテアが感嘆の声を上げる中、ゼクスは表情を変えた。  寝宮の中でも一番奥まったその部屋に近づくと、ゼクスを待っていた王付きの従官が気付いて頭を下げた。テアも頭を下げたが、同じように頭を下げなかったゼクスを不思議そうに見上げてくる。 「ゼクス殿下、陛下がお待ちかねです。……そちらのお客様は、別室にお通しするのが宜しいでしょうか?」 「いや、この子を陛下に会わせるのが今日の目的だ。下がって良い。ルアフもだ」  はい、と後ろから声がかかったことにテアが驚き、飛び上がった。「今お気づきで」とルアフが笑いながら下がっていく。従官も足音を立てず静かに別室へ入っていった。テアが不安そうにゼクスを見上げてきたのを、微笑しながら見返す。  ゼクスとテアの二人になってから部屋に入ると、「やっと来たか!」と早速声がかかった。案の定、テアが驚いてゼクスの後ろへと隠れようとしたが、それよりも相手が近づくのが早かった。相手――ファベル王の顔が見えた途端に、テアの動きが止まる――これも、予測済みだ。 「……ぜ、ゼクスが……二人いる? ……ですか?」 「待っていたよ、君がテアか! アストレア族の容姿の美しさは、話では聞いていたけれど……なるほど、ゼクスが隠してしまうわけだ。とても可愛らしい」  ファベル王がゼクスを押しやり、顔を覗かせる。そのままテアを連れ出しそうな気配を感じ、ゼクスが二人の間に立って遮ると、ファベル王はわざとらしくため息をついた。 「陛下。前にも話した通り、テアはあまり人に慣れていません。まずは自己紹介から――」 「自己紹介か。……テア、俺はイグナハート――このファベルの王だ。ああ、ゼクスと顔がそっくりで驚いたか? 双子だから、顔も声も体つきも、みんな同じなんだよ」  ふふ、とファベル王――イグナハートが笑う。顔はそっくりだが、自分にはできない笑い方をする兄を、ゼクスは見ていた。 「どうだ、俺のところで暮らしてみないか? ゼクスの屋敷よりも、部屋は多いし、寝台もふわふわで広いぞ」  快活に笑うイグナハートに手を取られたテアが、ゼクスの後ろから引き出され――そのままイグナハートに抱き込まれる。イグナハートとはあえて、髪の長さも合わせているためにテアは驚いただろう。今は登城のために髪を染め、わざと髪型も変えているが、私邸にいる時は、髪の色すら同じだ。そして、イグナハートは『すべてを与えられる者』である。ゼクスは、ただの『影』でしかない。  誰もかれもが、ゼクスではなくイグナハートを選ぶのを、常に見てきた。テアも、イグナハートを選ぶのであれば仕方ないとも考えていたのだが――。 「い、いやだ……です! ゼクスっ、ゼクス……た、たすけてっ! ……たすけて!!」  扉近くまで下がっていたゼクスの名を、テアが叫んだ。いつの間にか俯いていた視線を上げると、イグナハートに抱き込まれたまま、テアがゼクスに向かって手を差し伸ばしている。無意識にテアへと向かって動き出した己の身体へと向かって、イグナハートから開放されたテアが、あまり動かない足を引きずりながらも、急いで近寄って来た。そのままぎゅう、と幼い子どものように抱き着いてくる。 「何か、嫌われることをしてしまったかな? おいで、テア」 「テア……?」  イグナハートが呼びかけた後に、小さくゼクスが名を呼んでも、テアはただ首を左右に振るだけだった。違う、と泣きそうな声で何度も繰り返しながら。

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