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第5話

「……あの人。ゼクスの、ニセモノ?」 「テア、違うよ。あの方はファベルの王で、私の兄だ」  約束通り、王との謁見が終わった後は庭園へと戻ったが、王の私室から出た後も、テアはゼクスから離れなかった。王の部屋から涙目で出てきたテアに驚いたルアフは、こちらの会話が聞こえない程度の距離を保ちながら、庭師と一緒にこちらを窺っている。  「すまない。今日は、テアを怒らせたり、泣かせてばかりだな。……私は、あの方――陛下の『影』であることが、仕事なんだ」 「……かげ?」  ようやく、テアが泣き止んでゼクスを見上げてくる。その美しい吸い込まれそうな青を見返しながら、ゼクスは笑って見せた。 「この国では、王族の双子は忌まわしいとされている。どちらが王になるかで争いが必ず起こるからと。本来なら、私は生まれてすぐに殺される運命だったが……どうせ殺すのなら、『影』に使えと父が言ったそうだ。すべてが一緒なら、と。私の、この顔と声と――身体だけが、生きることを許されているんだよ。だから、私の方がファベル王・イグナハートの偽者だ」  ふら、とテアがゼクスから身体を離した。もしかしたら、そのまま離れて――イグナハートのところに向かうのかもしれない。そう考えると、いつになく強い喪失感に包まれて、ゼクスは自分自身に戸惑ったが、それも僅かな時間だった。足をもたつかせながら、顔を赤くしたテアがゼクスの正面に立ち、ゼクスの上着の裾を掴んでくる。 「……ゼクスは、俺にとっての、すべて……だ、です。ニセモノなんか、じゃない。ゼクスは、ゼクス、なので」  必死に言い募る、テアの敬語はまだまだ稚拙で、だからこそテアの気持ちが伝わってくる。  いつでも、テアが望めば、その手を離してやれると思っていた。いつだって、ゼクスはそうやって生きてきたからだ。イグナハートのスペア――いや、イグナハートを守るための『影』は、本体が死んだら生きてはいけない。だからこそ、『自分のもの』や『自分の人格』には、執着しないようにと育てられてきた。 「テア。私がね、こうやって、髪の色を変えてでも外を歩けるのは、陛下――兄のお蔭なんだ。兄は、私が人格を持つのを許してくれた。そんなものはいらないと、皆が言ったけれど……だから、私は私自身の感情で、ファベル王を守りたいと考えている。……だから、テアにもできれば、兄のことは嫌いにならないでほしいと思っている。少し、強引なところもある人だけれど……私の、家族でもあるから」  かぞく、とテアはその言葉だけを繰り返した。しばらくの間、ゼクスの裾を握りしめていたが、ゼクスが両手を差し出すと、片方の足を引きずりながらゼクスに抱き着いてくる。柔らかな髪――それから、温かな、身体。テアの身体を抱きしめているだけでも、自分が今、確かに生きていると思えるから不思議だと、ゼクスは感じていた。 「……俺、イグナのこと、嫌いにならない」 「テア。彼はこの国の王だから、陛下と呼ばなければ」  うう、と胸元でテアが唸った。 「あら。美しい花束ですね、テア様」  「へいかの、お庭で……作ってもらった、です」  テアが大きな花束をよいしょ、と運び入れている。その花束を受け取った、テア付きの侍女たちがはしゃぐ声が聞こえる。庭園でようやく落ち着いたテアは、約束通り庭師から庭に咲く花の説明を受けた。庭師の仕事を熱心に聞き、学ぶ姿勢はゼクスからもよく見えた。侍女たちが言っていたのと同じ、テアの覚えの良さを庭師も褒めていた。こういう時、テアがアストレア族の中で育っていたのなら、どういう青年に育ったのだろうか、と考える。 (そうしたら、私とは出会ってもいなかっただろうな)  光の一族とも謳われる、美しいアストレア族。中には、王に気に入られ、王の寵姫として幸せに生きた者たちもいたという。少なくとも、ゼクスのような『影』と出会う、なんてことはなかったはずだ。  一通り侍女たちと話し終えたテアが、椅子に座ったゼクスを見てきた。ひょこひょこと足を引きずりながら近づいてくると、「これ……」と差し出してくる。 「庭師さんに、教えてもらって、作った……です。うまく、ないけど……」  テアがゼクスへと手渡してきたのは、ふわふわとした小鳥の置物だった。綿毛を使って鳥を模している。花や葉っぱが口ばしと小さな翼を表し、それから、まん丸い目がついている。色は違うものの、まるでテアみたいだなと思うと心が和んでくる。ゼクスが微笑みながら礼を告げると、またテアが顔を赤くした。 「テアは手先が器用だから、何でも作れてしまうんだな。大事にする」 「……さっき、自分の心なんて、いらないって言っているみたいに、聞こえた、けど。俺は、ゼクスのそばにいたい……です。ゼクス、様が喜ぶもの、もっとたくさん作るから……ゼクスのところに、いても、いい? ……ですか?」  テアが顔を赤くしたのは、泣きそうになっていたからだと、ようやくゼクスは気づいた。植物でつくられた可愛らしい贈り物を、丁重にテーブルの上に置くと、ゼクスはテアを自分の膝の上に抱き上げた。まだ、突然のことには怯えの残る身体だ。 (きっと、雛が親鳥を見つけたと思い込んでいるような――)  ただそれだけのことなのだ、と自身に言い聞かせながらも、ゼクスはイグナハートを選ばずに自分に助けを求めてきたテアを思い返して、堪らない気持ちになっていた。簡潔に言えば、今までになく嬉しい、だとか執着したい気持ちだとか――とにかく、いろんな感情が、あの一瞬では渦巻いていた。 「……生きていることが、楽しいと思える日が来るとは……」 「ゼクス、様?」  思わず力を込めてテアを抱きしめてしまい、テアが困惑した表情でゼクスの顔を覗き込んでくる。それに微笑すると、侍女たちが食事の準備のために一旦退室したのを確認してから、テアを自分から下ろした。 「……実は一つだけ、陛下と違うところがあるんだ。テアにだけは、知っておいてほしい」  いつか、自分かイグナハートの命が終わった時のために。  ベルトを外し、シャツの裾を出してしまうと、引き締まったゼクスの腹部があらわとなる。その臍近くに赤黒く残る火傷のような跡を、ゼクスはテアに指し示した。それはファベル王家の紋章を模していて、焼き鏝でつけられている。イグナハートと見分けるための、大切なマークだ。きょとんとしながらそれを見ていたテアはしかし、再びゼクスが衣服を整えるとクスクスと笑いだした。「何か面白かったか」とゼクスが尋ねると、小首を傾げて見せる。 「一つだけじゃ、ないよ……ですよ。イグナ……へいかと、ゼクスは、心がまったく違う。匂いも、声の色も……違うところばかりだ。俺は、ゼクスがいい」  今のゼクスにできたのは、かろうじて、「そうか」と返すことだけだった。

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