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第16話

「さあて、鈍すぎる我が弟君よ。そろそろ答えは分かったかな?」  舞踏会から数日後、登城したゼクスを待っていたのは、双子の兄だった。椅子に足を組んで腰かけ、いつになくにこやかに笑んでいる。それが不気味に思えてゼクスが眉根を寄せると、「ほらほら」と自分の眉間を指さした。 「俺はそんな顔をしたりしないよ。で? 正妃のための閨で、最愛のお姫様を抱いた感想はどう? ……まあ、無事に想いを遂げたことは、報告受けているけどさ。お前が抱かれる方じゃなくて安心したよ」 「……下品ですね」  一言返したゼクスに、王の侍従が噴き出した。イグナハートは「ゼクスでも照れることがあるのか」と茶化してから咳ばらいをした。 「まあ、その話は置いておいて。パルミロから次の取引の情報が入った。――今晩、ピオパトリ地区の旧ヴァリーノ邸という話だ。対象は、幻獣というだけで、種族などは分からないそうだ」 「しばらく幻獣狩りたちの消息が途絶えていたのに……今度は、堂々と王城の近くですか。……それにしても、今までは川辺の邸が多かったようだが……」  ゼクスのもう一つの仕事である、幻獣や異種族を狙った闇取引の殲滅に関しては、国内外ともに幅広いコネクションを持つモンフォワ家から事前情報がもたらされることが多い。それにしても、テアを救出した時と同じ、没落した貴族の邸を使った売買の噂を聞いただけで、ゼクスは気が重くなった。  ファベル国では重罪である幻獣や異種族の売買取引だが、そういった法があるために、ファベルにだけ生存するめずらしい異種族や幻獣がいる。他国の愛好家や収集家たちに、それらのめずらしい生命は高く売れるために中々闇の取引はなくならないのが現状だ。それにしても、大概の愛好家たちは『生きて』いて『元気』な状態を好むのに、テアを救出したあの時は今までと手合いが違うように感じた。 「……パルミロは、他に何か言っていましたか?」 「ああ、テアのことは案の定ごちゃごちゃ言ってきたよ。後宮に入れるつもりなのか、とかさ。とりあえず、媚薬を仕込んだだろうって言い返したら黙ってた。しっかし、真面目な連中が恋に走ると、極端に走るから怖いよ」  証拠になるものはもう残っていないが、テアのあの晩の様子から言って、媚薬か何かを仕込まれた飲み物を、飲まされたのだろうとゼクスは考えている。当のテア本人は、「ワインが合わないのかも」と首を傾げている状況なので、厳しく追及するまでは出来ないのがもどかしい。だが、本来ならイグナハートの影である己が感情をむき出しにしてはいけない場面でもあったので、ゼクスは口を噤み、イグナハートの考えに今は従うしかなかった。それでも、イグナハートはどうやら己とテアとの関係を認めてくれている気配がする。……ゼクスのことをからかって遊ぶコマが増えた、くらいにしか思っていない可能性も捨てきれないが。 「そういえば、俺の大事な妃にもね、子ができたんだ。無事に生まれたら正妃に格上げするつもりだから、今後テアを抱く時は私邸か、俺の部屋にしてもらえる? さすがに正妃の寝室で俺と同じ顔がテアを抱いているところを見られたら、修羅場になるからさ。ただでさえゼクスのせいで、俺がアストレアの幼気(いたいけ)な男の子を寵愛しているってもっぱらの噂になっているのに」 「お子が? おめでとうございます。正妃の間は使っておりませんので、ご安心を。それと、テアのことは私だけの責任ですか? 貴族たちの目に晒したのは、陛下なのに」  驚きながらも、イグナハートの揶揄にゼクスがむっとしながら言い返すと、イグナハートが楽し気に笑い零した。椅子から立ち上がると、同じ高さの視線でゼクスを見てくる――まるで、鏡で自分を見ているような錯覚に、陥る。 「なあ、ゼクス。もし、俺の影を止めてもいいって言ったら、どうする?」  思いがけない言葉に、ゼクスよりも王の侍従の方が反応は速かった。何を、と言わんばかりの侍従を制すると、一歩、一歩とゼクスに近づいてくる。そうして。イグナハートの後ろに、真剣な表情をしたテアがいるようだった。こんな時まで、幻覚が見えてしまうくらい――自分は、テアに心を奪われているらしい。 「兄上。私の生を――人格を認めてくださったのは、兄上だ。この身体が役に立つうちは、私は貴方の盾になります。それだけは、変わらない」 「……そこで、自由になれるんだとか、一瞬でも思わないのがゼクスらしい。まあ、ゼクスの意向は分かった」  そう言って頷くと、後は日常の執務に関してなどの情報共有や政治について意見を交わし、イグナハートとの時間は過ぎていった。 *** 「テアー! こっちこっちー」 「待てって! 俺、走ったりとかはできないんだよ」  ゼクスを待っている間、すっかり親しくなった庭師の子どもたちに引っ張られて、庭園の中をテアは歩いていた。子どもと言えど、全力で引かれると前につんのめりそうになる。庭師は近くでその様子を見守っており、つい先ほどまでルアフもいたのだが、王からの呼び出しを受けて席を外していた。 「ここ! おたからの場所」 「おたから? ……ああ、水鳥の親子がいる! 可愛いな」  庭師の子どもたちに連れて行かれたのは、小さな池だった。王しか入れないという後庭には小川があるが、こちらには池があった。そして、池の水面には親鳥についてせっせと泳いでいる雛たちの列を見ることができた。ずっと立っているのも辛くて、衣服が汚れるのを厭わずにテアが座り込むと、子どもたちがテアの前に大きな葉っぱを敷き始めた。 「何をしているんだ?」 「テアの服、よごれちゃうから……むりさせちゃって、ごめんなさい。足がいたいんでしょ?」  黙々と動いている子どもたちにつられて、テアも近くにある大きな葉っぱやらを探し始めた。今日は暖かい日なので、そのうちうっかり子どもたちがうたたねをしても、大丈夫なようにしてやろうと考えたのだ。池から離れてもっと大きな葉がないか探しているうちに、テアは庭園を抜けてしまったことに気づいた。本来なら道沿いに歩いていれば庭園の門に行き着くはずが、木々の中に足を踏み入れたまま道なき道を行き、広い外廊下へと出てしまったのだ。  慌てて庭園に戻ろうとしたテアの腕を、掴んだ手があった。 「驚いた。こんなところに、テアが落ちているとは」 「……パルミロ?」  驚きのせいか、顔を紅潮させているパルミロは、テアが怯えた気配を感じ取ったのか慌てて手を離した。それから距離を取り、深々とテアに頭を下げる。 「あの晩は、申し訳なかった。君が既に陛下の寵愛を受けているとは知らずに、舞い上がって……強引なことをしてしまった」 「……うん」  強引なことをしたことを認めた上で、謝罪してきたパルミロにテアは戸惑う。今まで、テアに酷いことをしてきた人間はたくさんいるけれど、彼のように謝ってくる人間はいなかった。庭園の方へと後退りながらも頷くと、パルミロがぱっと顔を上げる。 「テア、逃げないで。逃げないでくれたら、何もしない。……少し、話をしよう」  眉尻を下げ、困り顔になっているパルミロは何度か会話した彼そのものだ。舞踏会の晩、怖いと感じたのはやはり酒に飲まれていたせいもあるのかな、とテアは思いなおす。  ――陛下のことが、大嫌いと言ったことは何となく記憶にあり、それが引っかかってはいるけれど。その場で足を止めたテアに、パルミロはほっとした様子を見せた。 「そういえば、王族が君たちみたいな異種族を守ろうと、危険な取引の場にも踏み込んでいるって聞いたこと、あるかな」  それは、ゼクスのことだ。テアが頷くと「君もだったから、知っているよね」とパルミロが返してくる。ゼクスが時々そういう現場に足を踏み入れているのは、テアも知っている。夕方や夜になり、私邸からどこかへと赴く時はその仕事の時だ。はっきりとゼクスの口から、その仕事のことを聞いたことはない。けれど、自分と同様にゼクスに――ファベルの王族に救い出された者たちにとって、あの金色は力強く見えるだろうな、と思った。テアが、そう感じたように。 「……実は今夜も、そんな取引があるって情報があってね。……本当は、こういうことは決まった人間にしか話さないようにしているのだが、今夜の取引される中に、翼がちゃんとあるアストレア族がいるという話なんだ。もしかしたら、君と同じように保護されたら、陛下のところに来るかもしれないね」 「……俺と、同じように?」  それはそうでしょう、とパルミロが言い重ねる。 「アストレア族であるテアの前でこういう話をするのは酷かもしれないが、君たちは裏の取引では破格の価値がつけられている上に、生きているアストレア族なんて、一生に一度会えるかどうかというくらいに稀少だ。双翼までちゃんと揃っている完璧なアストレア族なら、なおさら――ああ、テアが完璧じゃないと言っているわけじゃないけれど」  完璧という言葉が、テアの心に刺さり、傷になった。価値がない、と言われているようで。それを頑張って自分の中で消化しようとしていると、パルミロがテアの肩に自分の手のひらを置いた。 「王は、完璧なアストレアを気に入るかもしれない。でも、僕は翼を失った可哀そうなテアが、好きだよ」 「……パルミロは、陛下が嫌いなんじゃなくて、俺のことが嫌いなんだろう?」  遠回しな言い方だと感じて、テアはむっとしながら自分に置かれた手のひらを払うと、相手の男は笑った。   「そんなこと、あるわけないだろう? そう聞こえたなら謝るから……ごめんね。でも僕は、テアのことが本当に好きなんだ――最初に、君を見た時から。……今日取引されるというアストレア族も、無事逃げ出せるといいけどね。同族の君がいたら、心強いかもしれない」 「俺でも、役に立てそうなこと、ある……?」  もちろんと、パルミロが笑う。自分は完璧ではないけれど、ゼクスに助け出された時にとても不安だったことも思い出した。少しでもゼクスの役に立つのであれば、とテアは考えた。 「今夜、一緒に来てくれるのなら、庭園で待ち合わせをしよう」 「庭園? 俺、ここには来られないよ。城に住んでいるわけじゃないし」  そうなの? とパルミロが驚く顔をした。テアが首を傾げると、少し思案してから、再び口を開いた。 「じゃあ、テアを連れ出して良いか、僕から陛下に聞いてみよう。テアは庭園に戻っていて」 「分かった」  庭園に戻ったテアがパルミロに再会したのは、その後すぐのことだった。 「陛下に聞いてみたけれど、だめだったよ」 「……そっか」  庭園に戻ると、程なくしてテアのことを探していた庭師たちと会えた。そこに、城の中へと戻っていったパルミロが、アベラートを連れて合流してきた。無言でいるアベラートとは正反対で、パルミロは肩を落としながら計画に失敗したことをテアに報告した。 「それに、ちょっと不安なことも耳に挟んでしまって。今夜の取引は、テアの時と同じ連中が絡んでいるかもしれないと。踏み込む方も、踏み入れられる方も無事では済まないかもしれない」 「無事に済まないって……」  子どもたちに手を取られたアベラートが、ちらちらとこちらを見ながらも、テアたちから離れていく。パルミロはその様子を視線で追いながら、テアの背に――翼があったあたりへと、触れた。 「『商品』であろうと、邪魔になれば容赦なく切り捨てていく連中だ。だが、テアの時よりも今夜の方が取引の規模が大きい。みな、無事だと良いのだけれど……」  テアは、自分の顔から血の気が引いていくのが分かった。また、顔を真っ白にしたゼクスなんて、二度と見たくない。 「……パルミロ。取引の場所って……」  どこなの、と尋ねたテアに、パルミロは誰にも聞こえないよう、小さな声で返した。

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