18 / 23

第18話

「旧グラウス邸、ですか?」  戸惑うルアフの声に、ゼクスは頷き返した。王城近くであるピオパトリ地区の、旧ヴァリーノ邸で取引が行われるという情報は、ルアフがパルミロから直接聞いた話だ。しかし、ゼクスもルアフもわざわざテアが嘘を言ってくる、ということは考えていない。 「旧ヴァリーノ邸とは、王城を挟んで正反対の方向だ。私は、旧グラウス邸が怪しいと考えているが、念のため手を割くしかない」 「それはそうですが……パルミロ殿は、いったい何を考えておられるのか。まさか、テア殿を拐かそうとしたのでは……」  ゼクスも、その線が怪しいと考えている。ゼクスの指示で少数を旧ヴァリーノ邸へ向かわせることにして、ゼクスやルアフなど、主要なメンバーは川辺の旧グラウス邸へと向かうことにした。テアを助け出した時と同じように、月の綺麗な晩だった。 「私の身のことや、アストレア族のことなど、あえてテアが不安になるようなことを口にして――一緒に行こう、と話していたらしい。もしかしたら、旧グラウス邸にテアが駆け付けるのを期待しているのかもしれない」 「確かに、テア殿は容姿が優れていて、しかも性格も……殿下の前で言うのも憚れますが、可愛らしいですからねえ。言葉遣いがちょっと乱暴なくらいで」  苦笑するルアフを見ることなく、ゼクスは馬を走らせる。川辺へと向かう森の中、彼らの後にも、配下の者たちが続いていた。    やがて川辺に聳え立つ旧グラウス邸が見えてきた。グラウス家は、系譜をたどれば王家にもつながる、由緒正しい家柄で公爵の地位にあったものの、事業に失敗してたったの一代で没落した。また、モンフォワ家の遠戚でもある。モンフォワ家も最初の頃は援助していたが、事業が焦げ付いていくのに贅を尽くした生活が止められず、モンフォワ家からも見限られてしまったという。  月に照らされているお蔭で、真っ暗な川面もいつもよりは恐ろしくない。流れゆく川の音を聞きながら馬を進めたところで、川べりに立つ人影にルアフが気付いた。いつもならそのまま通過するところだが、月光の下に立つ相手が、貴族らしい出で立ちをしていることに気づいたのだ。 「そこで何をしている?」  ルアフが誰何すると、相手はこちらを見てきた。更に馬を進め、相手に近づいたところで――ゼクスは「アベラート……」と呟いた。 「おやおや、真っ黒揃いですね。こんばんは」  そう言うアベラートも、暗い色彩の服を纏っている。時折、灰色らしき外套が風によって乱されている。アベラートの足元には、接舷された小さな船があった。 「……船に、人が……いや、これは……!」  ゼクスの配下の一人が、アベラートを警戒しながらも船へと近づき、その中を覗き込んで絶句した。川遊び用の小さなボートだ。ゼクスも完全に足を止め、船を覗き込んで――絶句した。一瞬、テアが眠っているのかと思ったのだ 「これは……アストレア族?」  強い風が吹き、時折月にかかっていた雲を吹き払ったらしい。闇にもすっかりと目が慣れた彼らには、船の中で眠るその人物の姿がはっきりと見て取れた。豊かな長い白銀の髪。折りたたまれ、身体を守るように覆う大きな――双翼。何より、目をとじていても整っていることが分かる容貌。だが、近づいた一人がその頬や首筋に触れたところで、ゼクスたちに首を左右に振って見せた。 「残念だが、もう逃げていったよ。『彼ら』は、あんたたちが来ることを知っていたからね」  アベラートはそう言って、自嘲の笑みを浮かべた。 「――取引は、貴殿が?」  ルアフが、ゼクスに代わって問いかけると、アベラートは首を傾げて見せた。 「俺は、こんな趣味の悪いことをしない。可愛いものは好きだけれどね、生きていなければつまらない。……今回は間に合うかと思ったのだけれど、間に合わなかった」  そうして船の傍へと近づくと、冷たいアストレア族の亡骸に優しい手つきで触れた。  そんな光景を見ていた時。風が吹いて、ゼクスの外套も揺らしていった。鎧を纏うために、服の外に出していたテアから贈られた首飾りも月の光を受けながら揺らめき――紐でしっかりと括り付けたはずの、テアの羽根がはらりと落ちた。風に吹きとぼされる前に拾い上げたゼクスを、アベラートが見ていた。 「……あんたのところにいる、めずらしい黒のアストレア族。あの子の、翼を奪った奴を知っているか?」  顔を隠しているのに、ゼクスを見ながらアベラートは話しかけてきた。ルアフは二人をきょろきょろと見ている。ゼクスは、アベラートが既にどうやってか、自分の正体を知っているのだろうと思った。口元を覆っていた布を引き下ろしても、アベラートが驚く様子は一切ない。「いいや」とゼクスが答えると、アベラートは皮肉気に笑んで見せた。 「パルミロだ。あの子があんたに保護される前に、買い取ったのがあの男だった。翼をもぎ取り、足の自由も奪って――飼うつもりだったらしい。このアストレア族の青年も、そういう趣向の人間に売られる予定が――もう、亡くなっていた。夜が隠してくれているが、この子も酷い折檻を受けていたようだね。……アストレア族の羽根一枚、遺骸すらも欲しいという闇のブローカーは多い。そういった手合いに渡る前だったのは、唯一の救いかな」 「……アベラート。お前は何者だ?」  怪しい動きをしていたアベラートを、疑いの眼差しで見ていた。だが、その怪しい動きというのも、ずっとパルミロからもたらされた情報であったはずだ。 「それは、追々。誰か、この哀れなアストレア族を丁重に葬ってくれると嬉しい。このまま、海まで送り届けようかとも思ったのだが……パルミロがそろそろ動き出しそうだ。あんたの大切な宝ものは、大丈夫か?」  鋭いアベラートの瞳が、ゼクスが持っていたテアの羽根へと向けられる。その鋭い眼差しは光を帯びているように見え、人と同じようには思えず、ゼクスは目を眇めた。 「どういう意味だ」 「そのままだよ。あんたは、森の中に大事なものを隠していたつもりだろうが――『王の道』を通れる人間は、あんたたちだけじゃないってこと」  不意に。テアが、ゼクスの名を呼ぶのが、聞こえたような気がした。 「……殿下。戻りましょう、私邸に」 「すまない。誰か、念のため旧グラウス邸の確認をしてくれないか」  すぐに二人ほどが名乗り上げ、馬を本来の目的地だった旧グラウス邸へと向かわせた。ゼクスも騎乗して馬首を巡らせると、今来たばかりの道をたどり始める。もう二人はアストレア族の遺骸を引き上げることとなり、元々少数だったのがさらに減った。だが、そこに加わった者がいる――アベラートだ。 「まあまあ。きっと、役に立つから連れて行ってくださいよ」  そう軽口をたたいてきたアベラートだが、表情にふざけたものはない。信頼するには難しい相手だが、それよりもひどい胸騒ぎが止まらなくなっていた。 「パルミロが、テアを買い取る予定だったというのは、本当なのか?」 「嘘を言っても仕方ないこと。まあ、調べるには骨が折れたけれどね。あの男は、王族というものに尋常じゃない執着を持っている。王の伴侶に選ばれることもままあったアストレア族を、寵愛することで王族気分を味わいたかったのだろう」   ゼクスの問いに、アベラートが答える。パルミロがそれほどまでに王族への執着心を持っているようには、今まで感じられなかった。だが、テアに対するそれがそのまま、王族という存在への執着心へと繋がっていたとしたら。 (テア――無事でいてくれ……!)  今晩、私邸には最低限の護衛や使用人たちしか置いていない。普段ならもっといるのだが、二手に分ける必要があり、私邸に置いている護衛も多めに連れ出してしまった。  テアが郊外に住んでいることは彼らに教えたことはなかったし、出入りにも周到に用心しているつもりだったのだが――うかつだった。  手で持ち続ける訳にもいかず、剣帯にテアの羽根を差し込み、ゼクスは神に祈りながら無言で夜の森を駆け抜けていった。   

ともだちにシェアしよう!