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第19話

「あら、お客様ですって。夜に、何のご用事かしら」  エントランスを管理している使用人から呼び出され、年配の侍女――リュエットが腰を上げた。  ゼクスが夜留守にする時は、テアは楽器の練習をすることにしている。アストレア族なら楽器だろう、とイグナハートが贈ってくれたものだ。使い方も分からないものを、いくつも贈られてきたのだが、その中でも横笛をテアは気に入っていた。楽器の類は、教わることがなくても、何となく自然に弾きこなすことができる。ゼクスがいる時は、ゼクスと話をしたり簡単なゲームをしたりして過ごす方が楽しいのだが、留守の時に楽器を奏でると寂しさが薄らぐような気がした。  今夜も自室で横笛を練習していると、ノックされることもなく扉が開き、入ってきた相手が拍手をしてきた。 「すごいな。楽譜がなくても、自在に曲を奏でられるのか」 「イグナ……陛下?」  唐突に部屋に現れたのは、ファベル王その人だ。ゼクスそっくりの金色の髪が見えて一瞬期待したテアだったが、顔つきから早々に見分けると、慌てて横笛から口を離した。ゼクスの私邸でイグナハートと対面するのは初めてだ。王の侍従たちが慣れた動きで王が座る場所を整えると、テアも戸惑いながら自分の定位置である一人掛けの椅子に座る。いつもテアの部屋でゼクスが座る場所に、さも当然といった風に座ったイグナハートだったが、ものめずらしげにテアの部屋を見回した。  緊張した面持ちで菓子などを持ってきたリュエットにも気さくに礼を言い、下がらせる。王の侍従たちは傍に控えているが、彼らは『王』に絶対である存在なのは、テアももう分かっている。リュエットではないが、テア自身も緊張していると、イグナハートから「夜に突然、すまない」と切り出してきた。 「どうしても、テアと二人きりで話かったから、ゼクスの留守を狙ってきてしまった」 「俺と、二人で……ですか?」  そう、と笑顔でファベル王が頷く。警戒していたテアだったが、「で、ゼクスのことは、まだ好きなの?」と唐突に聞いてきた。 「え、いま、なんて……」 「だからね、ゼクスのことをどう考えているか、教えてほしい。強引な男は嫌いだっていうのでも大丈夫。本人には言わないから」  テアは自分の気持ちがイグナハートにばれているとは思っていなかった。思わず、手から横笛を落としてしまい、カラカラと乾いた音を立てて王からの贈り物が床を転がっていく。気を利かせた王の侍従が拾い上げ、テーブルの上に置いてくれたが、今のテアには礼を言う余裕すらない。 「どうって……俺が好きだって言ったら、ゼクスはイグナの身代わりにならなくていいのか……ですか? そんなこと、どうせ……ないんだろう……?」 「うん、そうだね。歴代の王はみな、双子がいれば殺し、民の中からでも、自分そっくりな『影』を作って自分自身を守り続けてきた――ずっとだ。……話は少し逸れるけれど、俺の一番お気に入りの姫が、子を授かってね。それがどうやら、双子らしいというのだ。俺と、ゼクスみたいだろう?」  双子――イグナハートと、ゼクスみたい。その言葉に、思わず肩を震わせたテアを、イグナハートは優しいとでもいえばいいのか、不思議な色の眼差しで見ていた。 「俺の子が、双子かもしれないと聞いてね、子どもたちの未来を、思い描いてみたんだ。一人は王になり、一人は――『影』となる未来を。その『影』に、大事な人ができたとしたら。その『影』に――あの時のテアみたいに、死なないでくれと泣く人ができたら。俺は、そんな王国なんてちっとも幸せじゃないな、と思った。確かに、王の血統を守るのは大事なことだろう。それで、この国は回り続けている。だが、子どもたちにまで王国の影を背負わせるのかって、最近考えている」  ゼクスや生まれてくるだろう子どもたち、そして自国の民に対しての愛情が込められた言葉に、テアの視界はどんどんと涙で曇っていった。 「今日の役目が終わったら、ゼクスとテアに贈り物があるんだ。俺自ら、発表してやろうと思ってね」 「贈り物……ゼクス、……驚く? 嬉しい?」  驚くし、きっと嬉しいさ、とイグナハートが満面の笑みで頷く。 「今まで、一度も俺はゼクスに誕生日の祝いを贈ったことがないんだ。『影』が、自分自身のものを持つことは、あまり好ましくないことだったから。だから、これが俺からゼクスへの誕生日祝い、第一号だ。遅くなってしまったが。きっとテアも喜ぶぞ」  テアはもう、頷くことに精一杯で、王の侍従の一人が手拭きを差し出してくれるのをありがたく借りる。  早く帰ってきてほしい、とテアが願ったところで、大きな悲鳴が、聞こえた気がした。  王の侍従たちが俊敏に立ち上がり、一人が様子を見に部屋を出ていく。イグナハートは落ち着いているが、遠くから「火事だ」と聞こえてきて、テアは堪えられず立ち上がった。 「陛下、逃げないと……!」 「まだ、本当に火事なのかも分からない。火事だとして、どちらの方向から火の手が上がっているのか、確認しないと危険だ」  そうイグナハートが言い終えたところで、先ほど部屋を出て行った侍従と、テアの侍女であるコレットが一緒に戻って来た。 「西側から火の手が上がっているようです。陛下、避難を」 「コレットさん、陛下についていってく……ださい!」  テアが大きな声を出すと、コレットが迷う表情を見せた。しかし、テアの足では走ることもできない。足手まといなのだ。だから、自分を置いて早く、と続けると、イグナハートがテアへと近づいてきて、テアが抵抗するよりも早くテアの身体を抱え上げてしまった。 「テアの軽さなら、幾らでも走れる。弟のためにも、お前を死なせるわけにはいかないからな」  侍従たちは自分たちが、と言い始めたが、イグナハートはコレットの道案内に従って、テアを抱えたまま動き始めた。廊下を出ると、何となく焦げ臭くて、遠くから人々が大声を出しているのが聞こえた。コレットとの話では、リュエットは他の使用人と一緒に火を消す手伝いに回っているという。東側の階段を使い、三階から一気に一階まで駆けおりていったイグナハートたちは、やがて東側の外扉の前へと辿り着いた。その扉の前に立っている人物を見て、テアは目を丸くした。相手を警戒した侍従たちが王の前へと出て、テアはイグナハートから下ろされた。 「パルミロ。どうして、貴様がここにいるんだ」 「どうして? どうしてって、貴方の後をついて行ったからですよ。まさか、城からここに繋がる道があるとは、知りませんでした」  イグナハートが厳しく問いかけたのは、パルミロがこっそりとイグナハートを追い、ゼクスの私邸を暴いたのが分かったからだ。王の侍従たちは二人いて、二人とも相手が見知った大貴族の子息であることに動揺しているのが感じられる。侍従の一人が「パルミロ殿、お下がりください」と声をかけたものの、パルミロの答えは――王に、剣を向けることだった。 「陛下こそ、大切なものを手放しては、いけませんでしたね」  そう言って、パルミロが笑った時――テアは急激に後ろから伸びてきた手に捕らえられ、羽交い絞めにされた。何とか抜け出ようともがいたが、相手の腕はとても太く、動物のようにふさふさと毛深い。羽交い絞めにされたまま持ち上げられ、テアが苦鳴を上げると、コレットが悲鳴を上げながらもテアを拘束しているものへと体当たりをした。だが、相手はまったくよろめくことはないどころか、反対に突き飛ばされたコレットが壁にぶつかり、意識を失う。  コレット、と。呼びかけたつもりなのに、声がうまくでなかった。 「……これは、何のつもりだ?」 「何のつもりって……僕のモノを……テアを、連れ戻しに来ただけですよ。ついでに、王位もね」  パルミロが、自分の剣を手に取った。  ぬう、とテアの背後から、もう一匹毛に覆われた何かが出てくる。テアの前に出てきて、背中を見せているその生き物の背中は、酷いむち打ちの痕が残っていた。 (どうしよう……ゼクス、どうすれば……! ゼクス……!!)  締め上げられ、苦しい中、テアは心の中で喚くだけ喚き、少しだけ落ち着きを取り戻した。王の侍従は王の護衛も兼ねている。パルミロと一対一なら、絶対に負けたりはしない。だが、今テアの目の前――つまり、侍従たちやイグナハートの後ろにいるこの大きな生き物たちが暴れたら、無事では済まないという予感がする。一度、大きく深呼吸をすると、テアは自分に背を向けている生き物――幻獣――へと、話しかけた。 『なあ。あんた、無理やり命令を聞かされているんだろう?』  相手の心に届け、と念じながら声をかけると、目の前の生き物の大きな耳がピクリと動いた。言葉は――届いている。 『俺もずっと、散々人間どもに虐げられてきた。翼すら、奪われた。でも、あんたが今、襲えと命じられている、目の前の人間は――俺たちを救ってくれる、希望なんだよ。……頼むから、傷つけないでくれ』 『――貴方は、アストレア族か?』  ふ、と目の前で背を向けていた生き物が長い首をこちらへと向けてきた。その頭は、オオカミに似ているが胴体は人と似た形をしている。思ったよりも丁寧な返事に、テアは頷いた。相手は知性の宿った瞳で、テアを見ている。その瞳を信じて、テアは懇願した。 『あんたに、もし心があるのなら……助けて。俺は逃げないから……金色の髪の男を――王を』  ふんふん、と相手の鼻が鳴った。逡巡したようだが、『翼を喪うとは、恐ろしく酷い目にあったものだ』と呟いてイグナハートへと近づいていった。 「陛下――!!」  侍従が叫ぶ。イグナハートたちよりも二頭は大きい、狼頭をした幻獣は目の前で巨大なオオカミへと姿を変えた。そのままイグナハートへと突進し、自分の背中に咥え上げると、今度は扉の前で剣を構えていたパルミロへと向かって突進していく。パルミロはまさか自分が連れてきた幻獣が裏切るとは思っていなかったのか、目を驚愕で見開いたが、あっさりと扉を譲った。オオカミの姿をした幻獣が開かれた扉から外へと飛び出し、続いて王の侍従たちもそれを追いかけていく。 「アストレアは幻獣と言葉を交わすことができる、というのは本当だったか」  パルミロはむしろ感嘆したように呟いた。 「――自分のことよりも、ファベル王の方が、大事か」  そう自嘲したパルミロは、テアを捕らえている幻獣に付いてくるように告げた。テアも、自分を拘束している幻獣にも話しかけてはみたが、心を潰されてしまったのか、こちらの幻獣は一切テアの話しかけに反応することはない。……心を奪われてしまった幻獣のことを想うと、自分が捕らわれている状態でも泣きそうになった。それに、テアが呼びかけても、コレットが目を覚まさない。余程ひどく頭を打ったのだろうか、と不安だった。 「ああ、残念だ。王が――イグナハートさえいなければ、僕は王族だったのに……いや、王になれたかもしれないのに」 「……陛下が大きらいって、そういうことだったのか?」  テアが問うと、パルミロは笑って見せた。「それだけじゃないけどね」と呟きながら、懐から何かの液体が入った瓶を取り出すと、自分が今まで立っていた場所――扉のあたりへとその液体を振りまく。扉の近くを灯していた蝋燭をもぎ取り、液体のあたりに近づけて炎を移した。一気に燃え広がっていく炎を見やって、テアのところへと戻る。自ら退路を封じ、蝋燭を素手で持つパルミロを、テアは見ていた。コレットも担ぐようパルミロが幻獣に命じたことには安堵したが、その安堵もつかの間のことだった。

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