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第20話

 無言で再び東側の階段を上っていき、二階の端にある部屋を覗き込んで、「ここがいいな」とパルミロが頷いた。手に持っていた蝋燭を燭台の上に置く。その部屋は、客間の一つだ。頑丈そうな寝台を見つけると、そこにテアを下ろすよう幻獣に指示をする。丁重に下ろされて、テアは幻獣に心がないのが余計に辛くなった。コレットは扉の傍に、やや乱暴に横たえられたが、それでも目を覚まさなかった。 「綺麗な足だね……ようやく、僕のところに戻って来た」 「……パルミロ?」  丁寧な手つきで靴を脱がせ、テアの足の甲に口づけた男は、腰に帯びていた袋から黒いものを取りだした。それを見たテアは逃げようとしたが幻獣に肩口を抑えられ、逃げるのを許されず、もがく。 「懐かしい? そうだよね、ずっと君はこれをつけて、檻の中で飼われていたものね。しかもこれは、たった一代前まで王族だった我が家に伝わる、マーギアが遺した特別製だ。テアに相応しい」 「それは、いやだ……! パルミロっ!!」  テアが抵抗の声を上げると、パルミロはますます笑顔になった。残酷な『カチリ』と足枷を嵌められる音と共に、寝台の足に足枷の先が取りつけられる。二か所に鍵をかけると――パルミロは、小さな足枷の鍵をごくりと飲み込んだ。 「王に剣を向けてしまったからね。もう、僕が生き残る道はない。あの晩――忌々しい立ち入りがなければ、僕が君をもらい受けるはずだったんだ。注文通りに翼を取ってもらったし、後は潰した足にこの枷をつければ、僕だけのものになるはずだった。僕が、君の正しい――本当の、飼い主なんだよ」 「……飼い主? あんたが?」  言葉遣いが悪いな、とパルミロが眉根を寄せる。逃げを打とうとしていたテアに覆いかぶさると、テアの額に口づけしようとしてきて、テアは思わずパルミロの身体を力の限り押した。テアの力でも、パルミロはよろけて床に尻餅をつく。その気力のなさに、いよいよテアが気味悪くなっていると――とうとう、パルミロが声を上げて笑い出した。「おい」とテアが声をかけても、笑うばかりで会話にならない。テアは視線をめぐらせて、傍らで蹲っている大きなトラに姿を戻した幻獣へと目を向けた。先ほどイグナハートを逃がしてくれた幻獣と違い、毛並みは黒く、薄暗い部屋の中ではその存在こそが影のようだ。  緑色の瞳が虚ろに輝くのを見て、テアは自分の指を噛み切ると血がこぼれ出たその部分を、幻獣の口に押し込んだ。噛み切られないか不安だったが、今は『彼』しか頼る者がいない。 『なあ、聞こえないか。俺の、声が……なあ!』  指を引き抜き、幻獣に話しかけると、ごくりと幻獣が喉を動かした。 「……幻獣を、操ろうとしても無駄だ。たとえテアの言うことを聞いたとしても、この鎖はそいつらの頑丈な牙でも、噛み千切ることはできない」  テアは、僕の物だ。  そう言って笑むパルミロを横目に、幻獣に語り続けていると、やがてピクリと大きなトラの耳が動いた。 『俺の声、聞こえる? もし、あんたに心が残っていたら……コレットを、助けて。あそこに倒れている、女の人……お願いだ』 『…………ショウチ、シタ』  知性の戻った緑色の瞳がテアを見上げたかと思うと、のそりと大きなトラが動いた。パルミロが剣を向けるのを気にすることなく、コレットを銜えると扉を押し開いてどこかへと駆け去っていく。もう階段を下りたところは火に撒かれているだろうが、もしかしたら逃げ出せるかもしれない――そう、祈るしかなかった。  「自分よりも、他人が大切か? ご立派だ」 「……あんたが、この足枷は壊れないって言ったんだろう」  笑いながら話しかけられ、テアはパルミロに睨み返した。拘束は片方の足だけで、パルミロは距離を置いている。上体を起こして、何とか足枷を外せないかいじってみたが、鍵を差し込む口以外はどこにも繋目を見つけることができない。確かに、『特別製』というのは間違いではなさそうだった。マーギアの手のものというと、ゼクスと共に通った『王の道』と呼ばれる抜け道のことを思い出す。  階下でも燃え始めたせいか、焦げ臭いにおいが段々とテアたちのいる部屋にも漂い始めた。パルミロはそのにおいも気にならないのか、鼻歌を歌いながら自分の衣服を整えている。   (ゼクス、大丈夫かな……)  ルアフたちがいるから大丈夫と思いたいが、ここにパルミロがいるということは、もしかしたら何かしら罠が張られていたのではないだろうか。そして、イグナハートは無事に城にたどり着けるのだろうか。 「失敗したな。こんなことなら、アストレア族の衣装を準備すれば良かった。君には、アストレア族の衣装が良く似合っていたから。もう二度と、その姿を見ることができないなんて残念だ」 「……泣くくらいなら、俺を置いて逃げろよ。今ならまだ、助かるだろう?」  もう遅い、とパルミロの顔から笑みが消えた。寝台に乗り上げてくるとテアの顎を鷲掴みにし、無理やり口づけてきた。テアが嫌がって相手の唇を噛む前に、パルミロが顔を離す。ぶたれるかと思ったが、パルミロは静かなままだった。 「そんな、執着の証を残すくらいに大事なものが死んだら、陛下はどれだけ嘆くかな。まあ、今ごろ尻尾を巻いて城に逃げ帰った頃だろうが」  くすりと笑うと、テアの服をゆっくりと脱がせにかかる。結局はそれか、とテアは必死にパルミロの身体を押し戻そうとしたが、死を覚悟している男の力は予想以上に強かった。  部屋の中もだんだんと熱くなってきて、火が燃えさかる音が聞こえてきている。 (――ゼクス……助けて……)  無意識に、テアはそう心の中で叫んでいた。それは口からも漏れていて、「ゼクス?」とパルミロが不思議そうにつぶやき返す。 「~~~助けて、ゼクス……!!」  泣き叫べば酷い折檻が待っていた。小さい頃、喉が張り裂けて血が出るまでずっと「助けて」と叫んでも、誰にも助けてもらえなかった。  ――それでも。 「誰だ、ゼクスとは?」  テアの肩を揺らし、問い詰めるパルミロの肩越しにいよいよ炎が見え煙が見え始めたその時。  テアの耳に、幻聴が聞こえた。

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