21 / 23

第21話

「ゼクス殿下、お屋敷が……!」  急いで私邸に戻って来たゼクスの視界には、あちこち炎に巻き込まれた自分の私邸が映っていた。 「無事な人間を確認しなければ――」  ルアフがそう呟きかけたところで、女性の悲鳴と共に大きな獣がゼクスたちの前に躍り出た。襲い掛かってくるかと思われた大きな獣はしかし、何とかその場に踏みとどまると大きく身を震わせた。それと共に、ぼとりと何かが落ちる。 「……コレットか?」 「ああっ、ご主人様……ですか?! わ、わたし……」   テアにつけている侍女が、いつになく動揺している。もしかして、と周囲を窺ったが、テアの姿はない。 「コレット、テアはどこにいる? もう逃げ出せたのだろうか」  良くなってきたとはいえ、テアの足では走って逃げることもできない。コレットは少しの間混乱していたようだが、やがて震える指で東側を指した。 「陛下がお見えになられて……そこで、火事が起きたと報せが。東側から逃げようとしたのですが、パルミロ様が突然現れ、陛下に剣を向けられて……。そこから、記憶がないのです。気づいたら、この大きなトラみたいな幻獣が……」  東側、と聞いてゼクスは駆けだした。ルアフが叫ぶのも聞き留めず、動くのに邪魔な鎧を手早く外して近くにあった井戸の水を被った。火の回りがまだ少なそうな正面の扉から中へと入る。使用人たちが右往左往している中、ゼクスの姿を見かけた者たちが「いけません!」と叫んだが、逃げ出した者たちの中にテアの姿がなかったことを遠目に確認して、ゼクスは中へと飛び込んだ。まだ火がまわっていないところでも焦げたにおいがする。まずは東側の扉へと向かいかけたが、すぐにそちらの炎の勢いの強さに、ゼクスは一旦引き返した。 「――こっちだよ」 「……お前」  一人で入ったはずなのに、正面側へと戻って来たゼクスの前には再びアベラートが現れた。布を口にあてることもなく、平然と立つアベラートは益々人間離れして見えたが、す、と動き出したのに続いてゼクスもついて行った。二階へと上がり、東側へと向かったところで――人の声が、聞こえた気がした。 「テア! いるのか、テアーーー!!」  できる限りの声で叫びながら、歩みを進めると、確かに「助けて」と返す声が聞こえた。  アベラートが近くにいることも忘れて声の方へと走り寄ると、その辺りはもはや炎にあちこち巻かれていた。    頬や腕を焼いてくる炎すら厭わずに、テアの声が聞こえた部屋へと飛び込み――ゼクスは、今まさにテアに圧し掛かろうとしていたパルミロと、目が合った。 「ゼクス……?」  パルミロの下で、テアが叫んだ。駆け寄り、パルミロを渾身の力で殴り倒すと、顔を涙でぐちゃぐちゃにしたテアが上体を起こしてくる。  テアが、小さい子どものように大きな粒の涙を流しながら、泣きじゃくっていた。ゼクス、と小さく、掠れた声で呼ばれて強く抱きしめる。そのまま抱き上げ、連れ出そうとしたゼクスは、引っかかるものに気づいた。 「……足枷? 準備のいいことだな。最初から、これが狙いか?!」  いったんテアを寝台に戻して、ゼクスは剣を抜いて足枷の鎖を断ち切ろうとしたが、何度剣をあてても鎖が歪むことはなかった。そのうち、何度目かでゼクスの剣が折れた。 「あっははは!! 城におめおめと逃げ帰ったかと思ったが、戻って来たのか! 残念だが、それはマーギアの手によって作り出された『失われた咒術』が用いられている。鍵はもう、僕が食べてしまった」  真贋は分からないが、この足枷がやたらと頑丈なのは、剣が折れたことでゼクスにも理解できた。後は、寝台の足に繋がれている側から、抜くか何かで取り外せないかと奮闘したが、そちらもぴたりと嵌って抜けそうにはなかった。 「……ゼクス、もう危ないからいいよ。最後に会えて……助けに来てくれて、とても嬉しかった」  パルミロの笑い声がこだます中、テアがゼクスの上着の裾を掴んできた。テアが話しかけたい時、いつもそうしていた――テアの、癖だ。  いっそ、とゼクスは折れた剣を掴み、テアの足を抑えたが、テアの手がそれを止めた。 「骨を断つのは、時間がかかるよ。翼をもがれた時も、時間がうんとかかったし……骨に響くのが、すごく怖くて痛かったから、それは止めてほしい。……俺は大丈夫だから、ゼクスは行ってくれ! こんなところで、死んだらだめだろう!?」 「……テアを置いて、行けるか……!」  小さな身体を抱きしめた時、炎がとうとう扉を塞ぐのが見えた。笑い声をあげていたパルミロの声もいつの間にか止み、熱を持った煙に喉を焼かれていく。  ――せめて、テアには、なるべく熱い思いをさせたくない。  そう思って、テアに覆いかぶさったゼクスだったが、熱くなるどころか、充満しかけていた煙が引いていったことに気づいて、頭を持ち上げた。テアは煙を吸ってしまったのか、気を失っている。 「テア! テア、しっかりしろ……!」  ぐったりとしているテアの身体を抱え上げようとしたところで、拍手が聞こえてきた。手を打ち鳴らす乾いた音が、こんな緊迫した場で、滑稽にすら聞こえる。 「あーあ。これはパルミロの完敗だね。すべてが、王に及ばなかった――運すら」  そう言って近づいてきたのは、アベラートだ。アベラートが踏み出すごとに、まるで炎が避けていくように道ができる。アベラートは途中で倒れているパルミロに蹴りを入れてから、ゼクスたちの許へと辿り着いた。 「試すつもりも、君たちの人生に介入するつもりも、なかったのだけどね。……これだけは、俺たちが作り出した、負の遺産だから。お節介させてもらうよ」 「負の遺産……?」  す、とアベラートの手が、テアの足首を戒めている枷へと伸ばされる。鍵もないのに、それは音を立てて二つに割れ、床へと落ちていった。 「翼を失ったアストレアは、生殖できないどころか、身体自体が弱くなる。これからも、大事にしてあげてほしい」  そう言い置いて、アベラートは既に高熱になっているはずの窓を難なく押し開いた。 「――まさか、マーギア族……か?」 「ご名答。貴方がやっていることと、似たことをしていてね。幻獣たちを特に酷い扱い方をしているというのを突き止めて、このクズのところに潜り込んだのだが――まあ、少しは役に立てたかな? ほら、早く行きなよ。君たちに、これからも神の祝福がありますように。……俺は、このクズを連れて行かなければいけない」  どこへ、とはゼクスも聞かなかった。  テアを抱え上げ、窓枠に足をかけると既にアベラートはパルミロと共に姿を消していた。  思い切って二階部分から飛び出すと、窓が開いたのを見た使用人たちがどんどんと敷き詰めていったものの上に何とか着地することができた。  ご主人様、と使用人たちが駆け付けてくる中、テアの呼吸を確認して頬を叩く。  医師はまだか、と周囲に叫んだ時――腕の中でテアが身じろいだ。 「……ぜ……く、す?」  少し声が枯れてはいるが、テアの青の瞳が瞬き、まっすぐにゼクスを見上げてきた。 「……火傷、している……痛そう。……泣いて……いる……ですか?」  テアに指摘されて、ゼクスは初めて自分が涙を流していることに気づいた。自覚したからといって涙を止めることはできず、テアの額へと――それから唇、頬と口づけをしていく。それをくすぐったそうに受けているテアを見て、生きている、と思えた。  ゼクスの私邸の火事は程なくして降り始めた雨の力や、延焼を食い止めようと奔走した使用人たちの努力もあり、周辺の森を焼くことはなく、逃げ遅れる者もなく鎮火した。イグナハートの無事も確認されたが、パルミロとアベラートの行方だけは、誰も知らなかった。

ともだちにシェアしよう!