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第1話
「巽様…どうかされましたか?」
「いや」
橋羽に声をかけられ、私は命が出て行ったドアをのんびりと眺めながら煙管からの煙を吐き出した。
この煙管も長いこと使っていて、金属部分にいい風合いが出てきたなとちらりと見ながら思う。
「この後、少し出てくるから後の仕事は頼んだよ」
「…はい。いってらっしゃいませ」
私の言葉に、橋羽は一瞬渋い顔をしたが直ぐにいつもの顔に戻って頭をさげる。
私はそれを横目で見てから部屋を出た。
「いらっしゃいませ~」
「スミマセンが、花束をお任せで作っていただけませんか?」
「予算はいつも通りで構いませんか?」
「はい。いつも通りで」
自分の店を出てしばらく歩き、近くの花屋で花束を購入する。
よく通っているせいか、顔馴染みになった店員にお任せと言ったら随分と華やかなものができてきた。
店員に代金を払って花屋を出ると、大通りに出てタクシーを拾う。
店から手配しても良かったが、どうしても先に花屋に寄りたかったので大通りで流しのタクシーを拾うことにしたのだ。
「××大学病院まで」
タクシーに乗り込んで、それだけ告げるとタクシーがスーっと進み始める。
先代の主人が高齢で入院してから数日おきに一人で見舞いに行っているのだ。
私があの店に引き取られてからかなりの月日が流れていたことを先代が入院してからひしひしと感じている。
私は運転手に分からない様に小さくため息をついて、先程購入した花束に視線を落とす。
+
私の生家はその日の食事に困るほどの貧困家庭だった。
家も家と呼べるのか分からない様なあばら屋で雨の日なんてよく雨漏りがしていたものだ。
当然すきま風も多く、冬は寒さに震え無駄に沢山居る兄弟姉妹と肩を寄せあっていたものだ。
貧乏子沢山という典型的な家だった様に思う。
そんな両親は口減らしの為に私を養子という名目で代議士であった地域の有力者の家に売った。
別に私の容姿が整っているわけでもないし、何かの才能があったわけではない。
その時、自分が兄弟姉妹の中で一番適齢だっただけだろう。
「やぁ。今日から君はうちの子だよ。怖がることは何もない。私の事は父親だと思ってくれてかまわないからね」
代議士であった義理の父はそう言って笑顔で家に迎え入れてくれた。
まだ子供の居なかった義父夫婦は私を実の子供のように可愛がってくれた。
そう、兄弟ができるまではであったが。
「いや!いやぁ!!」
「チッ!騒ぐな。何のために薄汚い貧乏人の、しかも男を引き取ったと思ってるんだ!」
バシッ
私は殴られ床に引き倒された。
背中をしこたま打ち付け痛みで動けなくなるが何とか身体を反転させて逃げようとした。
「ほら大人しく言うことを聞け」
「やだ。お義父さんごめんなさい!ごめんなさい!」
足を掴まれ、逃げることを阻止される。
私は何に謝っているのか分からないが必死に義父に許しを請うが、そんな事で許してもらえるはずもなく呆気なく洋服を奪われる。
「いた…痛いよぉ」
「血が出ているけれど上手に飲み込んでるぞ。貧乏人はやはりこっちの才能があるようだな」
「い、いや!やだぁ…たす…けて」
義父が無理やり腰を打ち付けるパンッパンと言う乾いた音と私のくぐもった声だけが部屋に響いていたが、助けを求めても当然誰も助けに来てくれることはない。
潤滑剤なんてそんなものを使ってくれてすらいなかったので、当然身体が引き裂かれるような痛みに泣くことしかできなかった。
「うっうぅ…ひっく…ぐすっ」
「これから呼んだら来るんだぞ。言うこと聞かないと飯は抜きだからな。後片付けもしておけよ」
散々体内に出された精液と血が混ざったものが逆流して床を汚している。
それを見た義父は汚物を見るような目で吐き捨てた。
義父は行為が終わると自分は服を整えて情事で汚れた私を残し、さっさと部屋から出ていく。
案の定その日のうちに高熱を出して次の日学校を休み、その日から私の生活は一変した。
「もっと腰を突き出せ!」
「…むぐっ!」
夜は弟の世話のせいで義母が相手にしてくれないからと義父が毎晩やって来ては相手をさせられる。
しかし、声を出さないように口には枷をされ少しでも抵抗すると頬を叩かれ罵倒されながら手荒く抱かれる。
手酷く抱かれた次の日は必ず高熱を出し、学校も休みがちでその頃の学校の記憶はあまりない。
「君があの噂の子かな?」
「はい…」
私はまだ40代位の男の前に裸で立たされ、値踏みされるように上から下まで観察されていた。
義父は多分ではあるが、私の処遇に見かねた使用人の密告により私にしていた行為が明るみになり警察に連れていかれた。
そんな私は当然ながら義母から恨まれ家から追い出された。
義父を表面上は哀れんだ仲間の政治家に私は拾われたのだが、そこでの対応も義父の家と対して変化は無かった。
次の家でもやはりどこからか私の事が明るみ出て家の主人は何処かへ消え、私は居場所が無くなる。
そんな事を何度も繰り返す内に、私は“バラの棘”という二つ名で呼ばれる存在になっていた。
「噂で聞いていたより、普通の男の子なんだね」
目の前の男は私を上から下まで値踏みをするように見る。
私はどうせこの男もいつもの男達と同じだろうと感じた。
この頃の私は、全てを諦めてしまっていたのだ。
「気に入った!君、うちの店を継がない?きっと楽しいよ」
「……」
男はにこっと笑って自分の膝を叩いた。
この男が質屋の先代主人である渡瀬さんだった。
「うちは子供も居ないし、女房は早くに死んじまった。だからこの店を継ぐ者がいないんだよ」
「なんで…」
「ん?」
「なんで私なんですか」
初対面の人間に店を渡そうとする渡瀬という男の気が知れなかった。
私は信じられず渡瀬に自分の疑問をぶつける。
「この店の顧客は曲者ばかりだ。そんな客を相手にするのに普通の人間じゃダメだろ?」
渡瀬は当然とばかりに私に笑いかける。
まだ渡瀬が店の主人だった頃、店はただの質屋だった。
しかし、来る客は一癖も二癖もある変わった客ばかりで、扱っている商品は渡瀬の趣味だったのか骨董品が多かった気がする。
「君は言葉遣いも綺麗だし、容姿も悪くない。後は審美眼を養ってもらわないといけないな…まぁ居たところを考えると、いいものを沢山見てきたかもしれないけどね」
渡瀬がはははと軽く笑うが、私は冗談めかしたその笑いが不思議と嫌ではなかった。
それから渡瀬の英才教育がはじまった。
私は学校に通わせてもらう傍ら美術館や骨董市等に連れ出され良いものを見る目を養われた。
そうしている内に“バラの棘”の噂はどんどんと風化していった。
「そろそろ本当にうちの子供になるか?」
渡瀬の突然の申し出に私は一瞬何を言っているのか分からなかった。
質屋に来てからかなりの月日が経っていたからだ。
何を今更といった気持ちの方が強かった。
「それは随分と、今更ではないですか?」
「まぁ、今更だけど俺も良い歳だしお前にこの店を任せて遊びたいわけよ」
何を言い出すのかと思いきや、様は店を私に押し付けたいだけのようだ。
「それにお前もその名前だと色々と不便だろう」
私の名前は義父の所に居た時のままだったし、戸籍もそこにあるままだ。
義父が私を探そうと思えば探し出せるというわけだ。
「そうですね…不便と言えば不便ですね」
今のところ不便を感じていなかったのだが、将来的なことを考えると不便かもしれない。
「ならこの名前をお前にやるよ」
「は?」
この人は何を言い出すのだろうと思ったので、渡瀬の顔をまじまじとみる。
実は巽の名前は世襲性らしく、渡瀬も巽の名前を先々代から受け継いだものらしい。
手続きが終わると私は晴れて“巽”となり、店の主人となった。
名前を私に渡して肩の荷が降りた渡瀬は、私を置いて骨董品を探す旅へと出掛けていってしまった。
店を継いだ私は顧客を増やそうと会合などによく出るようになって人脈も増えた。
「こんにちは。貴方があの“巽”さんですか?」
「はい?」
とあるパーティーで、後ろから声をかけられ振り返った先にはシルバーグレーの髪を綺麗に撫で付けたチョコレート色をした肌のエキゾチックな男が立っていた。
「急にお声がけして申し訳ない。私も似たような仕事をしていまして」
「はぁ…」
見た目とは反し流暢な日本語を話すその人物に私は気のない返事しかすることができなかった。
「これは失礼した。私はバカラと申します」
「あぁ…質屋巽の主人の巽です」
この業界の人間は名刺を持たない。
名刺交換という習慣もないので頭を下げて互いに名乗り会うのが普通だ。
「少しお話しませんか?」
「はぁ…」
特に断る理由もなく、私を知っているという事で興味本意ではあったがバカラと名乗る男と共に会場を後にした。
この時、この男に会っていなければしがない質屋のままだっただろう。
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