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第2話

会合場所のホテルの大ホールから、最上階にあるバーラウンジに私とバカラと名のる男は移動してきた。 「 ジャックダニエルをロックで」 「はい」 カウンター席に通されると、バカラはメニューを見ずにアメリカンウイスキーを頼んだ。 相当手慣れている様子だった。 「巽さんはよろしいのかな?」 「では私も同じものをお願いします」 注文を済ませるとバーテンダーは私に微笑むと、軽く会釈をしてウイスキーのボトルを開ける。 カウンターの下からグラスを取りだし手際よく氷を削ってグラスに入れると、ウィスキーを注いでコースターに載せ目の前に差し出される。 バカラが目配せするとバーテンダーはすっと離れていった。 もしかしたらあのバーテンダーはこの男の息がかかっているのだろうか。 「貴方とは一度ゆっくり話してみたいと思っていてね」 「それは光栄です」 バーテンダーが離れていったのを確認するとバカラは優雅に組んでいた足を組み換え、こちらに視線を寄越す。 バカラに何処で目を付けられたのか分からないが、私も少し身構えながら視線を合わせて少し背筋を伸ばした。 なるべく隙を見せないように笑顔を崩さない様にしよう。 「巽さんは質屋をされておいでですよね?」 「えぇ。しがない小さな質屋ですよ」 会場でも思ったが、改めて見た目に反して流暢な日本語を話すので先程も聞いて驚いたのに私は一瞬面食らった。 しかし、それを顔に出さぬ様に務めながらグラスに手をかけた。 「いえね。ものは相談なのですが、私も趣味でCLUBを経営しておりましてね?」 「はぁ…?」 バカラもグラスを持ち上げるとそれを弄ぶ様にくるくると回している。 グラスから氷が動くカランカランという微かな音がしていた。 そのグラスに口をつけ、少し傾ける姿もかなり様になっていて絵になる男だとこっそり思う。 「貴方の所で商品を仲介をしていただけませんか?」 「仲介ですか?」 私はバカラの意図が分からず思わず首をかしげてしまった。 仲介とは何の商品の仲介をバカラが求めているのか話が漠然としすぎていて分からなかったからだ。 「ええ…なかなかうちのCLUBに直に来る子は居ませんでねぇ。うちも営業し始めたばかりで商品も人手も不足しておりまして」 私は益々話が見えずに困惑してしまった。 バカラが一体何の話をしているのか分からなかったからだ。 もしや人材の斡旋だろうか。 そんな事は私じゃなくてもプロフェッショナルなど山ほど居るだろうし、何なら今日の会合にも居ただろう。 今日の会合はうちの古くからの取引先である骨董店の主人主催の有力者の寄り合いなのだから。 私はそれに人脈作りにとの計らいで呼ばれたに過ぎない。 毎回こんな会合はそうやって、店の取引先の誘いで来ているのだ。 だから私にそのCLUBとやらで働く人材の確保を頼むのは間違っているのではないだろうか。 確かに質を利用される方はそれらしき風体の方が多いのは確かだが。 「急にこんな話を聞いてもわかりませんよね?今度ここに来てくだされば、もう少し詳しいお話もできるかと思います」 私の心中を察した様にバカラは残りのウイスキーをぐいっと煽ると、1枚のカードを懐から取り出して私の目の前にスッと置いた。 流れる様な仕草にただそれを眺めて居た。 「それではまた。ご興味があれば…お待ちしておりますよ」 バカラはそう言い残すと、さっと席を立ち去っていってしまった。 私はその一連のバカラの行動に、身動き1つできず見守ることしかできなかった。 どれだけそうしていたのか分からないが、ウイスキーの氷はかなり小さくなってグラスについた水滴も机を濡らしている。 バカラが立ち去った後に残されたカードを取り上げてみると何の変哲もないトランプだった。 裏返してみると、そこにはどこかの店の名前と住所が書かれていた。 私もそのカードを懐に仕舞うと、酒には手をつけていなかったが飲む気にもならなずバーを後にする為にバーテンダーを呼ぶ。 「お会計をお願いしてもよろしいですか?」 「いえ。先程のお客様から既にお代金はいただいております」 「え…」 会計をしようと思っていたら、いつの間にかバカラが会計を済ませてしまっていたらしい。 どこまでもスマートな男である。 「あ、あぁ。そうですか…それでは…」 私は動揺しつつも席を立ってバーを離れた。 会場へ戻る気は無かったが、一応顔馴染みには声をかけて帰ろうと思い直してエレベーターに乗るためにエレベーターホールに移動する。 パネル部分は鏡面加工がされており、流石大きなホテルと言うだけあって曇りひとつ見当たらなかった。 そこに写った自分は随分と疲れた顔をしている。 私は自分の目の下の隈を擦った。 こんなに疲れた顔は流石に人には見せられない。 バカラはこんな疲れた顔の私に何で声をかけたんだろう。 「フロントにお詫びの手紙を預けて渡してもらおうかな…流石にこの顔で挨拶するわけにはいかないな」 私は一人ごちると、やって来たエレベーターに乗り込んで会合の会場ではなくフロントのある階のボタンを押した。 微かなモーター音を立てながらエレベーターが目的の階まで私を運んでいく。 到着するまで私は他に乗客が居ない事をいいことに、壁にもたれかかっていた。 ポーン エレベーターが到着した電子音で、閉じていた目を開く。 瞬きの間の短い時間に寝てしまっていた様だ。 私は足早にエレベーターを降りて、ロビーの手頃なソファーに座る。 手持ちの巾着の中から一筆箋と携帯用の万年筆を取り出して詫びの文を書く。 携帯用の万年筆は学生時代に、入学祝いにと渡瀬に貰った物だ。 封筒を持っていなかったのでフロントで貰う事にして私は使った物を巾着に戻す。 フロントに手紙を預け、私はホテルを後にした。 手紙を預けるついでにフロントで聞いた時間を考え最寄りの駅から電車に乗れそうだ。 「えっと…」 私は数日間悩んだ末にカードに書かれた住所に行ってみることにした。 あの頃の店の経営状態は本当に火の車と言って良いほど切迫していたのだ。 先代の渡瀬の時の顧客は軒並み高齢化してきて、かといって新規の顧客も開拓できているわけではなかった。 質屋も時代の波に乗りきれず衰退してきていたし、私は一縷の望みをかけてバカラの話に乗ってみることにした。 「ここかな」 電信柱の住所や人に聞きながら私はとある雑居ビルの一階にやって来ていた。 ビルの中にはパブや飲食店などが入っているらしく、色とりどりの看板たちが出迎えてくれている。 しかし、平日の昼下がりでは何処もまだ夜の店達は営業時間前のせいで静寂が辺りを支配していた。 私は意を決してエレベーターに乗り込むと指定の階数ボタンを押した。 ウィーン 少し古いのかモーター音だけがエレベーター内にやけに大きく響き、私はどんどんと緊張感が増してくるのを感じた。 こんな感覚は“バラの棘”と呼ばれていた頃以来だと思って私は苦笑いがこぼれてしまう。 いつも抱かれる前は自分がされるであろう仕打ちに自然と身体が硬直して手が震えた。 昔の事を思い出してしまったせいか、そっと震える手を握り締めそれに顔を埋める。 ポーン そんな風に物思いに耽っていると、エレベーターが到着した音の後に扉が左右に開く。 そこにはバーやクラブの扉が並んでいるがその1つに私は歩み寄った。 「……」 店のドアノブに手を伸ばし、躊躇って引っ込める。 それを数度繰り返した私は意を決してドアを引いた。 カランカランカラン ドアベルが高い音を立てて私の来店を知らせる。 当然営業前なので薄暗い店内は、暗くても豪華な装飾が施してあるのが分かる。 「は~い。誰か来たのぉ?ちょっと手伝ってちょうだぁい」 奥から少し図太い声と共に一人の男がやって来る。 「あら?お客さん?ごめんなさいねぇ。ご覧の通りまだ営業前よぉ?」 「いや…私は…」 男は短い髪に眼鏡をかけた優男風の容姿で言葉遣いと見た目のギャップが酷かった。 「あら…別のお客様だったの…」 「え?」 私の手の中のトランプを見付けるとその男はにんまりと笑い、私に手を伸ばす。 「誰からの紹介なの?」 その手におずおずとトランプを渡すと、男はそれをマジマジと見る。 そして少し驚いた表情をした後、今度は私をマジマジと見た。 「バカラちゃん直々の紹介なのねぇ。よろしくね…私は…ここではダイヤって名乗ってるわ」 これがダイヤとの出会いだった。 この出会いが私の人生を決めることとなるとはその時の私はまだ知らなかった。

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