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第7話

「ふふふ。学校に欠席の電話かけるのって緊張しますね。でも、休んで大丈夫だったのですか?」 「えぇ。勉強などの遅れはありませんし、雇い主やご主人様の居る生徒は基本的に理由がなくてもいつ休んでもいいんです。僕の方がちょっと異常に見られていた位ですよ」 受話器を置いて橋羽の方に向くと、いつもの無表情が少し和らいでいた。 学校に連絡を入れるなんてこの子を預かってからはじめてだったので少し緊張してしまった。 電話口に出たのは事務員の人だったのか簡素に分かりましたと言ったのみで、特に詳しい事などは聞かれなかった。 橋羽曰く、雇い主が居るのに滅多に休まない橋羽はクラスメイトから不思議がられていたらしい。 その話を聞いて、私は少し安心した。 クラスメイトと仲良くしているのもさることながら、橋羽から昨日聞いた“実習”が衝撃的すぎてそんな事ばかりさせているのかと思ったが案外まともそうな様だ。 「橋羽は学校でもそんな感じなの?」 「そんな感じとは?」 「んー。真面目っていうか、説教くさいっていうか…」 「普通だと思いますけど、巽ほどおっとりした人も周りになかなか居ませんよ?」 「え!私そんなにおっとりしてますか?」 私は橋羽の発言の方に驚いて、ついつい声をあらげてしまった。 そんな私に橋羽は何でもないように頷く。 渡瀬の所に来てからは、審美眼を養いなさいと美術館等にも連れていって貰っていたが教養も必要だと学校も出して貰った。 学校には友達も居たし、お客様にすらそんな事を言われたことも無かったので正に青天の霹靂である。 「そんな事言われたことありませんでした」 「えー。巽の周りも巽みたいな人ばっかりだったとか?」 「そう…なんです…かね?」 「いや。知りませんけど?」 そんなやり取りをした所で、パチリと視線が合った。 どちらともなく吹き出してしまって、部屋にお互いの笑い声が響く。 私は橋羽の頭に手を伸ばすと、その手を阻止されてしまう。 「子供扱いはやめてください」 「ふふふ。そんなつもりは無かったんですけど、つい橋羽が可愛く笑うので」 「浩司!」 「え?」 「昨日みたいに、浩司って呼んでください。そしたら、頭を撫でても構いませんよ」 橋羽の、いや浩司の言葉にまたしてもついつい笑みがこぼれる。 自分が言った事が恥ずかしかったのか、頬が少し赤くなっていた。 私はその申し出に抗うことなく素直に名前を呼ぶことにする。 「浩司。私のサポートをいつもしてくれてありがとうございます。あなたがこの質屋に来てくれた事を本当に嬉しく思っていました」 「ちょ!改まって恥ずかしい事言うなよ!!」 姿勢を正し、感謝の気持ちを込めて浩司に頭を下げると頭の上から浩司の焦った声が聞こえてきた。 私が頭を下げるとは思っていなかったのだろう。 私は顔をあげると頬を染めた浩司とぱちりと目が合ったので、自然と笑みが溢れた。 私に釣られたのか浩司がふにゃりと笑ったので、引き寄せられる様に顔を近付けるとちゅっと可愛らしい音を立ててバードキスをする。 「え?」 「ふふふ」 私がキスをするなんて思って居なかったのか、顔が離れた瞬間に浩司の頬が真っ赤に染まった。 昨日の夜の事など無かったかの様な(うぶ)な反応についつい声がもれる。 「昨日の夜に私の身体をこんなにしたのは誰でしたっけ?」 「いや…俺だけど…巽本当にキャラ変わりすぎ」 「浩司がこんなに可愛い反応するなんて知りませんでした」 「ちょっ!からかわないでくださ…」 首元のニットを引っ張って首筋や肩についた鬱血痕を見せてやると、どんどん俯いて行く浩司に内心笑いが止まらない。 私もやられっぱなしでは気が済まなかったので、少しからかってやったのだが予想以上に効果があったようだ。 また頭を撫でてやると、今度は悔しそうにそれを甘受している。 「折角学校もお休みしたことですし、お店もお休みなので何処か遠出しませんか?んー。そうですね…お弁当でも持ってピクニックでもいいですし、最近は美術館にもゆっくり行けてませんし美術館観賞なんてのもいいですね。浩司は何処か行きたいところなんてありますか?」 「巽の方が、俺より楽しそうだね」 「こんなにゆっくりしていられるのは久しぶりですから」 「なら、お弁当を二人で作りながら何処へ行くかを考えようよ」 「それは名案ですね!」 私はこんなゆっくりした日は久々だったので、折角なら浩司と何処かへ行こうと思いをはせる。 私の提案を聞いた浩司は、少し苦笑いを浮かべながらも折衷案を出す。 それは名案だと私も思ったので、食器を持って台所に向かった。 シンクの中には桶が置いてあり、そこへ茶碗をつけて汚れをふやかす事にする。 「私は洗い物をしているので、その間に浩司は着替えてきたらどうですか?」 「そうします」 私の言葉に素直に頷いて部屋に戻って行く浩司を見送りながら、自分がやると食い下がってくるかと予想していたので少し拍子抜けした。 しかし、素直な浩司も珍しくて可愛らしいものだと思いつつ私は食器を洗っていく。 食器を水を切るための籠に置きながらお弁当には何を入れようかとうきうきした気分になった。 そういえば二人分のお弁当箱などあっただろうか。 食器を布巾で拭き、棚に戻して少し高い棚に手を伸ばす。 扉を開けることはできたが、中が微妙に見えない。 踏み台を持って来ようと思って振り返ると、浩司が踏み台を持って立っていた。 浩司は白いシャツに紺色のスラックスという学生服に見えなくもない格好をしている。 「着替えてきました?」 「着替えてきたよ。一応私服」 ついついお節介な事を聞いてしまった様だ。 わたしの言葉に少し不貞腐れた声になった浩司に、今日は本当に色々な表情をするなぁと感慨深くなる。 ほんの数年一緒に暮らしてきただけだが、子供にしては表情の乏しかった子がこんなにも表情が豊かになったのかと思うと私を家族と認めてくれた様で監視として来た事など忘れてしまいそうになる。 私はCLUBからしたら観察対象だし、正確に言うとまだ本当の意味でCLUBの仕事はしていない。 私が使えないと分かれば、浩司はCLUBに返されるだろうし私も命の保証など無いだろう。 本当はこんな事している場合では無いのだろうけれど、これが最後のつもりで今日を楽しもうと思う。 「今、ろくでもない事考えたでしょ?」 「いえ…浩司は可愛いなと思っただけですよ?」 「はっ?な、なに恥ずかしい事言ってるんですか…」 考えを読まれたようで少し気まづかった私は話をすり替えると、浩司は恥ずかしそうに俯いてしまった。 そんな浩司からさらりと踏み台を受け取り棚の中を覗くと、お重が入っているのが見える。 そう言えば学生の頃に渡瀬と花見をした時にこのお重を持って行ったことを思い出す。 お重は年代物らしく、漆塗りで蓋の部分に蒔絵が施してある。 でも、今日使うにはちょっと大袈裟過ぎる気がしてしまう。 その横にいつ買ったのか、貰い物なのかも忘れてしまったがプラスチックの2段重ねの丁度いい大きさのお弁当があったのでそれを取り出す。 踏み台から降りる時に扉を閉めてから降りる。 「いいのがありました」 「こんなお重あったんだ」 「買ったのか、貰ったのかは定かではありませんがこれ位が丁度いいでしょう。塗りのお重もあったのですが、あれはちょっと大袈裟な気がします」 浩司にお弁当箱を渡して、私は踏み台を元の位置に戻す。 冷蔵庫には何かおかずになるものは入っていたかなと考えつつ台所へ戻る。 「中身は何がいいですかね?」 「頂き物の西京焼きがありますし、卵もありますよ」 「うーん。西京焼きは美味しいですけど…お弁当にはちょっと渋いですね」 「なら、冷凍庫にとりもも肉があるので照り焼きなんてどうですか?」 「それならメインに良さそうですね」 浩司と冷蔵庫をのぞきつつ料理の話をしていると、どちらかと言えば和食が好きな私に合わせてくれているのか渋いメインが提案される。 流石に食べ盛りの浩司に悪いと思って別の物をと考えていたら、今度は肉料理が提案されたので私は笑顔で頷いた。 言われた通り冷凍庫からとりもも肉を出し、卵なども冷蔵庫から取り出して後ろのテーブルの上に置いた。 弁当の隙間は常備菜などを詰めればいいだろう。 「巽のお弁当なんて初めてかも」 「浩司は学校では学食ですもんね」 「学食は美味しいけど、やっぱりお弁当には憧れるよね」 「ふふふ。そうなんですか?」 浩司の昼食は学校で提供されるので私は浩司のお弁当を作ったことはなかった。 話によると、浩司達のクラスと特別なクラスは学食は完全に無料で好きな時間に食べられるらしい。 一般生徒の学費はそこまで高くなかったとパンフレットを読んで思ったが、何処かから膨大な寄付でもあるのだろうか。 浩司のクラスはそういった生徒の集まりだし、さっきもご主人様の居る生徒という話をしていたので財源はありそうだ。 しかもCLUBでは以前見せられた事なども行われているのだから、少数のクラスが食堂の料金が無料でも問題ないだろう。 私はCLUBで行われていた調教の事を思い出して冷蔵庫から離れる。 「巽?」 「い、いえ…大丈夫ですよ。ちょっと冷気に体が驚いただけですから」 浩司が心配そうに顔を覗きこんできたが、私はすぐに言い訳をして料理を準備するために必要な道具を出すことにする。 私の言い訳に浩司は息吹かしんでいるが、それ以上深くは聞いてこなかったので胸を撫で下ろした。

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