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第6話 masked4
「あ、笑った」
「え、ごめんなさい。その、ちょっと想像したら」
太一が連想した光景を話すと、確かに、と竜崎自身も苦笑した。
食べ終えたお菓子の包装紙をビニル袋に突っ込んで、背後にあったゴミ箱へ入れる。夕方のゴミ箱は、中身がぎゅうぎゅうに詰まっていたが、特に気にすることなく、竜崎は押し込んだ。
「あと、菊井さん。敬語、やめてくださいよ」
「え?」
「だって、あなたの方が年上でしょう?」
どうしてわかったのだろう、と、首を傾げる。すると、竜崎は、目元と手でなんとなく、と返してきた。顔の大半を覆ってしまったとしても、首や手には年齢が現れるという。確かに、竜崎と太一の手では、なんとなく肌の張りが違っていた。
「最初は、気づかなかったんですけどね。近くで話していたら、わかりましたよ」
「……よく、見てるんですね」
「はい。まぁ、小さい部活でも、主将をやってはいますから」
人を見ることに慣れているのだろう。そうやって、相手との距離をうまく掴んできたのだろうか。
「それで、本題なんですけど」
目を丸くした太一を見て、竜崎は困ったように肩をすくめた。
「もしかして、お菓子につられてやってきたと思いましたか」
「う、ううん……さすがに、それはないよ!」
「それならよかった」
にっこり。そう表現できそうなほどの満面の笑み。ただ、一目で営業用スマイルと見抜けるような、つくりこんだ笑顔だった。
「菊井さんは、十津川のこと、どう思ってますか」
「どう、って」
「僕は、正直、あいつのことは嫌いです」
はっきりした宣言だった。いっそ清々しい。なんとなく読めていた心情だったが、こうもはっきり言われるとは思わなかった。
「嫌い、って、なんでですか」
「まぁ、いろいろね。って、敬語、癖なんです?」
つい出てしまった言葉遣いに、彼から柔らかな指摘が入る。話題が話題だけに、少し緊張してしまったことが原因だろう。つとめて、敬語を取り外すようにしながら、彼の言葉を促した。
「いろんな理由が、あるんですよ」
理由もなしに嫌うほど、人間ができていないわけではありませんから。肩をすくめて彼は、そう言った。確かに嫌いになるということは、何かしら理由があるはずだ。それに、太一と違って、彼は第一印象はいい部類に入るだろう。好意的に受け止められることのほうが多いに違いない。
「普通にしていれば、僕も嫌うことはなかったんですけどね」
その言葉に、以前いっていたことを思い出す。明らかに区別して紡いだそれは、泰正に対して思うところがあったことを示していた。
「菊井さんは、泰正から傷害事件のことは聞いたことありませんか」
物騒な単語が出てきて、太一は、竜崎の顔をまじまじと見つめてしまった。
「知らないんですね。まぁ、それも当然か」
どこか歪んだ笑顔。完璧だったそれが、崩れていた。太一の顔から視線を外して、彼は、夕空を見上げる。赤く燃えるような空の光は、彼の目元になぜか濃い影を作っていた。
「あいつ、部員を殴ったんですよ」
血が出るほどまで強く、顔を殴りつけたのだ、と。そのおかげで謹慎処分を受けていた。教えてもらった時期は、彼と出会ったころと重なった。とぐろを巻く暗い感情を抑えた目を思い出す。なにがあったのかは、聞かなかった。あのときの彼は、関わりを避けようとしていたから。すべてを拒絶して、そのくせ、縋るような目をしていた。
「驚かないんですね」
「なんていうか、心当たりがあるから、かな」
夕日を背にした彼と視線を合わせる。影になった彼からは、表情が見えない。先ほどまでの揺らぎが一切なくなった平坦な声が、言葉を紡ぐ。
「だから、俺は、嫌いなんですよ。なんでも、力で従わせればいいと思ってるあいつなんて」
違和感を覚えた。太一が考える彼の姿とは、かけ離れている。力で従わせるならば、徹底して太一を振りほどいたはず。感謝なんてしないだろう。そんな、支配者のような姿なら、太一自身近づこうだなんて思わなかったはずだ。
「なんでも、だなんて――」
影に向けて、小さな声を絞り出す。が、それと同時に彼の背後から野太い声が響いた。太一の名前を呼び、竜崎の前へ飛び出してきた大きな人影。それは、先ほどから話題に上っていた人物だった。
「……泰正くん」
走ってきたのか、肩で息をつきながら体勢を整える。そうして背筋をぴんと伸ばした。竜崎よりも、少しだけ上背のそれは、彼よりもがっちりした体躯のおかげで、何倍も大きく見えた。
「来るとは思わなかった」
影が一歩近づく。真っ黒だった顔が、いつの間についたのか店内からの光を受けて浮かび上がった。
貼り付けた笑顔。
先ほどの柔らかな表情を見ていた太一は、目を見張る。ああ、そうか。嫌っている、というのは伊達ではないのか。本当だったら、相手に不快感を与えないための笑顔だが、これほど警戒心たっぷりの嫌みな表情は初めてだ。今度は、それに気づいたのだろうか。対峙する泰正の顔は見えないものの、ぴりりとした空気が漂っている。
「おまえ、なんで話したんだ」
「ああ、聞いてたんだね。盗み聞きは、よくないよ」
来ていたなら、ちゃんと会話に参加して。説教じみた、棘だらけの言葉が並ぶ。竜崎が話し終えるか否か。
「その話は、俺らの問題だろ。なんで、太一に話すんだ」
上背のある泰正が、竜崎の胸ぐらをつかんでいた。ほんの少し浮いた状態の彼は、少々苦しそうに咳き込む。襟元をつかむ泰正の手に手を重ねて、それでも笑顔を浮かべる。
「離してくれない?」
一瞬の後、突き飛ばすようにして泰正は、彼を離した。体勢を崩したものの、持ち前のしなやかさで立て直す。ぱんぱんと何かを払う仕草をして、泰正と太一を見やった。真剣な、表情。
「どうして、なんて君のほうがよっぽど知ってる癖に」
唸る声が、目の前の大きな背中から聞こえてきて、そっと見あげる。大きく刻まれた眉間の皺、ぎりりとかみしめた唇は、青くなっているように見えた。
「――ッいいから、その話はするなよ」
「なんで僕が、きみの言葉に従わなければいけないんだい?」
背中が、また一回り膨らんだような気がして、竜崎と泰正の間を往復する視線。目が合った竜崎は、この状況にもかかわらず、ふふっと笑ってしまう。それが癇に障ったのか、泰正は強く地面を踏んだ。
大きな音がして、それに驚いた太一が、一歩後退ろうとして、腕に痛みが走った。見ると、太く長い指が、腕を握りしめている。びりびりとした熱が、腕を通って肩にまで響く。あまりのことに息をのみ、体が震えた。
「――ッ! ……――――」
「――――……。――――」
何か言っているのに、聞き取ることができない。
やめてください。
そう言っているつもりで、言葉にできなかった。唇が震えて、声が喉の奥で絡まる。ただ、唐突に引っ張られて、それにつられて足を動かした。
そのつもりだった。
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