8 / 8
第8話
*
璃世は青年の手を引き、桜並木を歩いていた。
まだ咲きはしていないが、蕾が膨らんで薄くピンク色が見えてきている。
「もう直に春が来るね。桜の蕾もつき始めているし、今年もよく咲きそうだ」
「……さ、くら?」
「あぁ。この通りにずーっと木が並んでいるだろう? ここは全部桜なんだ」
これが、と青年はじーっと木を眺めながら歩き続けている。
「さくら、葉っぱが無いんだ……」
「ふふ、花が落ちてくる頃には芽が出ているかな」
「っ、すみません! そう、なんですね」
青年の独り言があまりにも無垢で、璃世は思わず笑ってしまった。
それと同時に、四季の移り変わりや世の中のこと、彼にはまだ知らないことがたくさんあるのかもしれないと、少しだけ寂しく思う気持ちも芽生えていた。
「桜の前には桃が咲くんだ。確か藍の家の庭一面に桃があった気がするな……」
懐かしむ璃世の横顔を青年が盗み見る。
キラキラと輝く黒い瞳を見つめ、青年は少し心が柔らかくなる気持ちになっていた。
青年は歩きながら、徐々に街並みを眺めるようになっていた。
キョロキョロと周りを見て首を傾げる姿は、宛ら小鳥のようにも見える。
「この角を曲がったら私の家に着くよ」
「……はいっ」
「大丈夫だよ、そんなに緊張しないで」
こくり、と頷いた青年。
緊張とはまた違う表情の硬さに気付いたが、璃世はどう声をかけたら良いか迷っていた。
怯えが見える横顔……彼の不安を、どう解いたら良いのだろう。
「……怖いかい?」
「いいえっ! 決して、怖くないです。すみません」
ストレートに聞くとどうかと考えたが、やはり早口で訂正されてしまう。
確かにそうだ、奴隷としての彼は自分の本心など話すことは許されてこなかったのだろう。
ひた隠しにされた感情は、きちんと整理出来るのだろうか。
不安や怯えなどは、あまり璃世が持ち合わせない感情だった。
どのようにそれを発散させるべきか、璃世も手探りだ。
「あの、仕事……璃世さまの命令で、僕は働くので……お家に着いたら、何をしたら良いですか?」
「働く……そうか、役割ね」
それが不安の一つか、と璃世は顎に手を当てて考える。
「まずは私と風呂に入ろう。それから家の中を見て回ろうか。君には仕事の時も休みの日も、私と一緒に居てもらいたいな」
「……璃世さまと、一緒」
ふ、と青年の表情が少し和らぐ。
これで良かったのか、と璃世は内心胸を撫で下ろしていた。
気付けば目の前に、璃世の家の門が見えた。
「さて、家に入る前に君に名前を伝えてもいいかい?」
「はいっ……お願い、します」
「……春告 。今日からそう名乗って欲しい」
璃世が青年……春告と向かい合って名前を伝える。
春告はきらりと一瞬瞳を輝かせ、それからしっかりと頭を下げた。
ともだちにシェアしよう!