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第一章 ring 第1話

ーーーー風が立つ。 私の翼から放たれた風は草原を波立たせた。 巨大な蝙蝠の羽に似た翼で、地面に空気を押さえつけるように着陸する。風圧は円形状に草を倒し、鉤爪の生えた脚がその真ん中の大地を踏み締める。 人間の世界に来るのは久しぶりだ。  私の背中から1人の青年がひらりと舞い降りた。寒冷地用の耳当て付きの帽子を取ると、ひと房の三つ編みに纏められた白い髪はオパールのような虹色につやめき、エルフの特徴である尖った耳が露わになる。秀麗な顔の中でアーモンド型のエメラルドのような緑色の眼が、白い髪と肌の中で唯一色を持っていた。 黒いベストとズボンにブーツといった乗馬をする時のような格好は、活動的ながらも気品が損なわれることなく貴公子然としている。 青年ーソラスは手に持っていたマントを枯葉色の鱗に覆われた私の巨躯に被せた。 竜の姿をした私の体はマントの中でどんどん縮み、鱗は溶けるように滑らかな皮膚へと変わっていく。産毛は頭頂部に集まり、茶色い短髪になったところで留まった。 『さて、行こうか』 人の姿になった私は、シャツに革のベスト、ズボン、ブーツを纏うとマントを翻し、金の燐光が残る眼でソラスに笑いかけた。 私とソラスは"取り替え子"である。 産まれて間もなく、人ならざる者達ー"隣人"によって彼らの子どもと取り替えられ、人の世に残された。 私とソラスは長らくこの世界で暮らしていたが、数年前に"かの国"へ還っていった。 そこは"隣人"達の楽園であった。 出会う者は皆親切で、竜の姿で突如として現れた私とエルフのソラスにも、"対価"さえ与えればそれと引き換えに住む所や水や食べ物が採れる場所も教えてもらえた。そして人化の仕方も。 "かの国"の入り口の光を浴び竜の姿になったが、竜は強い生命力と魔力を持つ生き物で、本来の力を取り戻した私は人の姿をとることも可能になっていった。 生活が軌道に乗り、自分の姿を安定させる事ができるようになった為、私は一度人間の世界に戻って来たのである。   なぜわざわざこちらに戻ってきたのかといえばーーー それはまた後程語るとしよう。 ソラスが私の手を引く。飼い葉を積んだ荷車を馬で引く壮年の男性が遠くに見えた。 私とソラスは通りかかった農夫に声を掛け、駅まで案内してもらうことになった。 もうこんな田舎にまで鉄道が普及していることに驚いた。草原を縫うように、線路が地平線まで敷かれている。正直言って助かった。最悪の場合、歩いて都会まで行くことも想定していたのだ。 大地を揺らし、大気を震わせ、黒い蒸気機関車が煙を吐き出しながら目の前まで来ると、まるで巨大な生き物を前にしたようにソラスは固まっていた。 車掌から切符を買い、ソラスの手を取って乗るよう促すが一瞬躊躇しており、それこそ怪物の腹の中に入っていくように恐る恐る足を踏み入れた。 乗り込んだ三等車両は大きな鞄を抱えた労働者や職業婦人らしき女性、奉公に出る少年や少女達が犇いていた。 ソラスは人の多さにも目を丸くしていた。都市部にはもっと多くの人間が集まっていると話すと、ますます目を丸くする。 閉鎖的な田舎で育った上に隣人達がのんびり暮らすかの国で過ごしてきたのだ。衝撃を受けるのも無理はない。 空席が無かった為、ソラスと私は車両の隅の方で立っていた。ソラスはずっと私の外套を掴んでおり、時々所在なさげにキョロキョロ見回したり耳を隠すキャスケット帽を深く被り直したりしていた。 席が空くと、窓際にソラスを座らせ私は通路側に座った。客に隠れて見えなかった景色が見えるようになる。猛烈な速さで流れていく白い雲、緑の草原、その稜線の向こうの微かに見える水平線に、ソラスの目は少年のように輝いた。 まるで私の背に乗っているようだと声を弾ませる。 私は唇に人差し指を当て声を落とすよう合図する。 私やソラスの正体をほめのかすような発言は慎むよう言い含めた。 と、言っているそばから窓を開け、風で帽子が飛びそうになりヒヤリとしたが。 ソラスは目的地に着くまで窓の外を眺めていた。私もまた、その横顔を飽きることなく見つめていたのであった。

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