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第11話 旅立ち一~平重盛の来訪~

「何やら、最近はご機嫌が良いようにございますな......御曹司は」  慧順はこの日、珍しく奥の院近くの庵まで足を運んできた管主に対面していた。 「御山の気が穏やかに鎮まっておるので、ワシも安堵しておる。......その方らの尽力の賜物じゃ。感謝しておる」 「もったいないお言葉にて......」  慧順は、恭しく平伏しながら、この應揚な管主の言葉に内心、胸を撫で下ろしていた。  遮那王は、望月の夜に魔王尊と交合い、或いは毎夜の如く天狗と肌を合わせている。また再三再四、相国入道が奥の院の堂宇に通ってきているし、弓張月の夜には山を抜け出して、何処ぞへ通うている。  おおよそ、人の世の者とは思えぬ所業に気づいていない筈は無いのだが、 ―鞍馬の山が平和でありさえすれば、良い―  という管主の割り切りは、ある意味、見事と言うより他はなかった。  どのような事象が身辺にあろうとブレることの無い平静さは、常人には遥かに及ばない。 なればこそ、あの異形の御曹司を預かることを諾け得たのだ。 「ところで......」  白い髭をひと撫でして、管主は頭をひたすらに低くする慧順に声を潜めて言った。 「平家の太郎殿が、御曹司に対面を求めておる。.......取り次いでくれぬか?」    平家の太郎、すなわち平重盛は父親に似ず、真面目で几帳面、温厚な性質と聞いていた。 その重盛が面会を求めてきている.......と聞いて、遮那王も首をひねった。 「はて、小松殿が何用であろうか?」  遮那王の身代わりに対面の座に着く手筈となった牛若丸が半ば恐々として事の次第を告げると、遮那王はしばしの沈黙の後、す------と座を立った。 「我れが会おう---」 「しかし------」  遮那王が異形の者であることは、重盛は知らぬ筈だ。 「病とて、御簾で仕切ればわからぬであろう---」  牛若丸は急ぎ慧順にその旨を伝え、一刻の後奥の院の堂宇に、重盛と遮那王は差し向い、対話することとなった。 「はて、六波羅の左大臣様が、このような咎人に何用にございまするか......」  遮那王は、御簾越しに如何にも実直そうな重盛の顔をまじまじと見た。続けざまの騒ぎ故か窶れ顔色も優れないが、その目だけは真っ直ぐに遮那王を見ていた。 「その方に頼みがあって参った.....」  重盛は、半ば口ごもりながら、しかし意を決したのか、はっきりとした口調で言った。 「相国さまは、この国にとって、平家にとって大事なるお人、鬼道に誘い込むのは止めていただきたい」 「鬼道?」 「事あるごとに、此の方を訪れ、何やら妖し気な術を行っておるらしい、と家人どもが噂をしておる。....それが真であるなら捨て置くわけにはいかぬ。......仮にも源氏の血筋のそなたに、何をたぶらかされているのか...」  訝る気持ちを隠しもしない重盛に、遮那王は、可笑しくなった。ほほほ......と袖で口許を隠し、小さく笑って答えてやった。 「術など、我れは知りませぬ。......入道さまがお見えになるは、お戯れに過ぎませぬ」 「戯れじゃと......?」 「如何にも」  この真面目な、真面目過ぎる男には、父親が妖物の如き自分にたぶらかされて、帝に不敬をしている.....とでも思っているらしいことに、遮那王は苦笑を禁じ得なかった。 ―あの男は元より化け物のようなもの.....― 「入道さまは、我れを女子の如く啼かせて愉しまれておるだけ......。これも戦に負けた咎人の子故の仕置きとて仰せゆえ、我れは致し方なく受け入れておるだけ....」 「なんと......」  実直そのものの公達には、己のが父が、寺の稚児とは言え、かつての仇敵の息子までをも伽の相手をさせているとは信じがたいのだろう。  言葉に窮した重盛に、遮那王は誘い掛けるように言った。 「小松殿とて、稚児を愛でたことくらいはおありでしょうに......」 「いや、しかし......。しかし仮にも源氏の嫡子を手籠めになど.....」 「敗残の将の子なれば、如何ようにされようと耐えねばならぬのが定め。.......けれど......」 「けれど?」  遮那王は、つ......と御簾に寄り、その下から白く美しい手を差し出した。 「貴方様が望まれるなら、この京より遠く離れ、入道さまのお目に入らぬようにもいたしますが......」 「ワシの望むように致す......と申すのか?」 「生命を寄越せと仰せなれば、そのようにも.....」  重盛は改めて、向き合っている相手の姿をつくづくと見た。  御簾越しに伺う美しい面、男とは思えぬしなやかな所作、そして魂までも取り込まれるしっとりとした声音......。  ごくり......と重盛が喉を鳴らす音が微かに聞こえた。 「生命を寄越せなどとは言わぬ......。だがそなたがワシの望むように致すと言うなら......」  重盛の手が、差し出された手をおずおずと握った。金色の眼が御簾越しに翳りを帯びた瞳を射抜いた。 「ワシをこの苦しみから救うてくれ......」  御簾の向こうで、薄紅の唇が、にっこりと微笑んだ。  二刻ほどして堂宇から出てきた重盛は、心なし穏やかな面持ちで山を降りていった。  見送る管主と慧順達は、その後ろ姿に安堵の息を洩らした。が、その背には、もはや拭えぬ不吉な陰が深く深く被さっていた。   ―小松殿の望むようにして差し上げただけじゃ.......―  堂宇の外に控えていた牛若丸に、そっと囁いた遮那王の唇がにんまりと微笑んでいたことを誰ひとり知る者はいなかった。

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