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あれだけ嫌がってたのに俺を九条君に託した和彦は、何故か「待ちなさい!」と怒号を上げながら、走り去って行った人影を追い掛けた。
「……なんだアイツ」
「さぁ………」
視界から和彦の姿は消えても、地面を蹴る靴底の音はまだ聞こえている。
なんだ…? 和彦もあの人の事知ってたの?
電灯の灯りでチラと見えたその顔は、随分前に合コンで一緒だった男じゃないかと思う。
ジト…と見てきていたあの視線は過去にも嫌だなと感じたから、朧げだけど何となく覚えていた。
そうだ。 気持ち悪い、って思っちゃダメなんだけど、俺の記憶が確かなら、そいつはやたらと自分の唇を舐めるクセがあった。
「七海、鍵は?」
「えっ? あぁ、うん、はいこれ」
「ん。 アイツはほっとこ。 七海アイツの事嫌いだろ」
「……うん、まぁ…」
俺を抱いたまま鍵を開けた九条君は、家の中に入っていつもの定位置に腰を下ろす。
数十分ぶりに地に足を付けた俺は、人影を追って行った和彦を気にしつつ、ベッドの上に置き去りだったスマホを充電器に差し込んで起動させた。
「うわ、山本から鬼電だ」
「山本? …あぁ、同じ学部のか」
「うん」
鬼電とは言っても、数えてみると十件にも満たなかった。
メッセージのうちの一つには「今日も休むのか?」ってあったから、俺が大学に来てない事を確認するための電話だったみたい。
俺はすぐに、「明日は行く。電話出られなくてごめん」とメッセージの返事を返して、ベッドに腰掛けた。
「確か合コンの誘いっていつも山本からだっけ?」
「そうだよ。 でもしばらくは無さそう。 彼女出来たっぽいし」
「ふーん」
もし近々に誘われても行かないと決めてる俺は、九条君が隣に腰掛けてきたのを気にも留めないで、知らぬ間に玄関をチラチラと窺っていた。
気持ち悪い男を追い掛けて行った和彦の事を気にしてるなんて、思いたくない。
だけど、和彦が走り始めたと同時に、あの男も逃げ去るスピードを速めた。
───何だか胸騒ぎがする。
「七海」
「…ん? うわ、何。 どうしたんだよ、九条君。 近いよ」
「男もいける事、何で俺に言わなかった?」
「あ……そ、それは、……言わなくていい事だろって思ったから……」
「言うべきだろ。 俺は七海に告ったはずだよな? あの時七海、なんて言ったか覚えてるか?」
「…………覚えてる」
玄関の方に気を取られていたら、少しだけイラついた様子の九条君がピタリと横にくっついてきて、…暑い。
さり気なく離れようと、俺は腕を伸ばしてテーブルの上のクーラーのリモコンのスイッチを押した。
九条君のこの怒りの理由なんて、考えなくても分かる。
一年前の今頃、いつもの諭しを決行した俺が九条君の告白をにべもなくあしらったせいだ。
───俺に告白するなんて、絶対絶対、一時の気の迷いだ。 今まで男を好きなった事はないんだろ? じゃあそれは確実に気の迷い。 酔っ払ってフィルターが馬鹿になってるんだよ。 俺は男なんか御免なんだから。
少しの気も持たせちゃいけない、もし万が一酔いに任せて初めてを奪われたらどうするんだって、諭しの際はいつも自己防衛が働いた。
それともう一つ。
気の迷いで俺の事を好きだなんて言って、相手の人生に汚点が付いたら申し訳ないと思った。
「あんなさぁ、少しも望みがないみたいな言い方されたら、諦めねぇとって思うじゃん。 望みがないどころか「友達」がたくさん居るってどういう事なんだよ」
再度体を密着させてきた九条君が、彼には珍しい苦笑いで俺の横顔を見詰めている。
クーラーの冷たい風が蒸し暑さを消してくれ始めて、離れる口実がなくなった。
そんな事よりも、和彦も大きな勘違いをしていた「友達」という単語が出てきて、うんざりだ。
「九条君まで「友達」とか言ってるし。 何なんだよ、「友達」って。 俺が知ってる友達とは意味が違うの?」
「セックスだけの友達、セフレって事だな。 ………居るんだろ?」
「え──、えぇっ!? 居ないってそんなの! マジでやめてよ!」
そ、そういう意味の「友達」かよ!!
なんだ。 だから和彦は、俺が経験豊富だってあんなに頑なに思い込んでたんだ。
そうなると、でっかい尾ひれの付いた例の噂の出どころが無性に気になってくる。
たとえ俺がその噂の元ネタだとしても、そんな巨大過ぎる尾ひれなんか付けたらダメじゃん。
「……てか九条君も俺の妙な噂知ってたよね」
「あぁ、誰かが七海を落とそうとしてるってやつ? っつーかその前に、誰も七海とセックスした事ねぇってのはデマじゃんな」
「それはデマじゃない!」
「アイツと寝たんだろ? 「友達」もたくさん居るんだろ?」
「セ、セフレなんて居ないってば! その……和彦としたっていうのも、マジで不可抗力で…!」
あの日…そんなに飲んだ覚えが無かったのに、急に世界がぐにゃぐにゃして眠気が襲ってきたんだっけ。
ウーロンハイたった二杯で目が回って、気が付いたら和彦に組み敷かれていた。
やたらと「初なフリがうまい」って言ってきていた、あの言葉の意味が今なら分かる。
早い話が、「芝浦七海は遊び人だ」という噂を信じた和彦に、俺はまんまと遊ばれちゃったって事だ。
「不可抗力?」
「…………そう。 ……詳しくは言いたくない」
「アイツめちゃくちゃ七海に迫ってんじゃん。 でも嫌いなんだろ? じゃあ……俺にしとかない?」
「……へっ!? ぅわっっ、ちょっ……!」
そうだよな、遊ばれただけなのに何でこんなにつきまとわれてるんだろ?って首を傾げてたら、あっという間にベッドに押し倒された。
……犯人はもちろん、……九条君。
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