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「えぇ!?」  何故かこの車のカーナビには俺の住所が登録されていて、後藤さんの驚愕の声は、案内する事なくスムーズに俺の自宅前に到着してからすぐの事だった。  運転席から振り返ってきた後藤さんの表情は、いつもの穏やかさとはかけ離れていた。  ドアに手を掛けた俺も思わず驚いてしまうくらい目を見開かれて、慌てて顔の前で手を振る。 「今時そんな珍しい事じゃないんで大丈夫ですよ! でも、和彦には絶対に言わないで下さいね。 余計な心配増やしたくないし、…俺がどうしようが和彦には関係ない事だし。 それに俺、田舎育ちなんであんまり危機感もないんですよ」 「そ、そうは仰いましても、聞いてしまった以上は…!」 「いいんです、マジで! 和彦には言わないで下さい。 てか誰にも言ってないんで…。 男が男にストーカーされるとか、あんま言いたくないし…引っ越しすんのも勿体無くて。 今はまだ気持ち悪いけど、長いこと無人だって分かれば、秋くらいにはストーカーも諦めてくれるんじゃないかと踏んでます」 「………七海様……」  努めて明るく言ったつもりなんだけど、後藤さんの眉がハの字になってしまった。  赤の他人である俺にも、相当に心配してくれていると分かる。  言わなきゃ良かったかな…。  余計な事喋らないで、ささっと降りてしまえば済んだのに…失敗した。  同情を買うような真似はしたくなかったから、和彦にはバラさないでと念押しだけしとこう。 「絶対絶対、言わないで下さいね。 …送ってくれて、ありがとうございました」  素早く車を降りてドアを閉め、まだハの字眉のまま俺を見ていた後藤さんに一度頭を下げた。  それから身を隠すように、小走りで自宅の中へと入る。  玄関を開けた瞬間、むわっとしたこもった熱気を全身に浴びた。 「うわ、暑っ……」  クーラーのスイッチを押してもしばらく部屋の中は冷えないだろうから、俺は支度の前にシャワーを浴びる事にした。  狭い部屋だから十五分もあればまぁまぁ冷えてきて、早速明日と明後日の分の着替えを用意する。  ノートパソコンも参考書も教科書も入ったリュックに、着替えだけはコインロッカーに入れられるように別袋に入れてギュッと押し込んだ。 「…んしょっ…と! はぁ、あと二ヶ月もこの生活かぁ…」  二日に一回くらいしかここに戻らない、ましてや滞在時間は一時間もないこの家が、すでに自分の家じゃないみたいな気がしてきた。  生活感だけ残した無人の家に家賃を払うのも勿体無いけど、今さら引き払って別の家に引っ越すっていうのもまたお金が掛かるから、苦肉の策で俺はネットカフェ難民なんだ。  今月からマジで今より切り詰めないと、バイト代だけじゃ生活出来ないかもしれない。  父さんには学費を出してもらってるから、それ以上は甘えたくないって俺から言い出したんだけど…週三の深夜のコンビニバイトだけだとこの二重生活は恐らく凌げない。  くそぉ…あの気持ち悪い男がストーカーなんてしてこなきゃ、あと半年ちょっとの大学生活も無事に終わりを迎えられたのに…。  俺の平和だった日常は壊されるし、毎日寝不足だし、出費はかさむし。  ───心はずっと重たいままだし。  ほんと……良い事ない。  ネットカフェ難民を決めた日から切り詰め始めてた俺は、お昼もそんなに食べないようにしてたから、和彦と会ったあのランチの日は若干無理してたんだ。  和彦が来るって山本から聞いて知ってた、……だから、行った。  「あの日は帰っちゃってごめんなさい」と謝ってくるのか、それともマイペースに「お元気でした?」と空気の読めない和彦らしく俺をイラッとさせるのか、どっちなんだろって俺はドキドキしていた。  どのパターンがきてもいいように色々回答を考えてたのに、結局あの日も和彦は目を合わせてくれなかった。  何も知らないらしい和彦の冷やしうどんを仕上げてあげたかと思うと、たまにむせながら急いでうどんを食べ終えた和彦は、すぐに俺に背を向けた。 「………………………」  嫌だった。 許せないって思った。  あれだけ……あれだけ、しつこいくらい俺に好意を寄せてる素振りを見せといて、なんでそんな態度が出来るんだよって。 『あーあぁ、マスクしてねぇから注目浴びちゃって』 『あいつあれで変装してるつもりなのか?』 『そうだ。 俺は大学からしか和彦の事知らなかったんだけど、聞いた話じゃ中学高校と嫌な思いしてきたらしいぜ。 まぁ…軽い人間不信だな』  占部がやれやれ顔で呟いて山本と何気ない会話をし始めたのを、俺はオムライスを口に運びながら聞いていた。 『和彦の実家って相当な金持ちだろ? しかもあの見た目で頭もいいなら、嫌な思いなんかする事なくね?』 『………さぁ、詳しく話したがらないから俺もよく知らねぇ。 すげぇ他人と距離取る奴だなーとは思う』 『距離? なんで?』 『だから知らねぇって。 和彦って近寄りがたそーだけど、慣れると普通に良い奴なんだ。 金持ちなの鼻にかけねぇし…。 たまにぶっ飛んでるけどな。 ま、それもガチだから許せるっつーか』  二人の会話は、俺の食欲を失くさせた。  和彦が人間不信だって……?  あの和彦が……?

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