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涼しくなった部屋で、冷蔵庫からポカリを取り出してきて飲んだ。
あの日和彦が十本も買ってきて、俺もこの家に今住んでないからまったく減らない。
ベッドの真ん中、お決まりの位置に腰掛けるとついゴロンと横になりたくなる。
今日はバイトもあるからいつまでもここに居られない。 …俺の家なのに、少しも気が休まらない。
「はぁ……俺だってほんとは、このベッドでゆっくり寝たいよ」
普段ならあの冷蔵庫の中の大量のポカリも、一日一本飲めば九日で無くなってた。
俺の予算内で泊まれるネットカフェじゃ、とても熟睡なんか出来ない。
なんでこうなったか…なんて、すべては自分の行いのせいだ。
そもそも俺が、漫画みたいな出会いを求めて合コンに行きまくって、何故だか分からないけど「無意識」にノンケの男達を狂わせてきたから。
そのせいで変な噂も流れて、噂にそそのかされた和彦から初めてを奪われてしまった。
何もかも……うまくいかない。
ただ、恋をしてみたかっただけなのに。
漫画みたいなキラキラなスパダリは望まないから、とにかくキュンキュンしてみたかっただけなのに。
飲み会が好きじゃない俺が合コンに行ってた理由なんて、山本のメンツより、遥かに俺の中の微かな期待が勝っていた。
もう、そんな期待は微塵も抱けないけど。
まったく問題無かったと思い込んでいた、俺の諭しが通用しない奴が三人も居たと分かれば怖くて二度と行けない。
浅はかな夢を描いて、純粋な出会いを求めた俺がバカだったんだ。
こんなに変な奴じゃなかったら完璧なのに、と後から何度となく思った和彦も、結局は俺の事を捨てた。
初めての人って結構心に残るものなんだよ。
それがどんな状況下でも、ぶん殴る事はおろか、気持ちいいって思ってしまった俺の負けだ。
終わったあとにいくら暴言を吐いたって、自分の心は偽れない。 ───あの初めては、気持ち良かった。
見た目や声でだいぶ得してるよ、和彦は。
「その和彦が人間不信だなんて信じらんないな…。 俺にはグイグイきてたじゃん。 ……距離感まるで分かんない奴だったじゃん」
ベッドにうつ伏せになってぼやくと、急に睡魔が襲ってくる。
慣れ親しんだ柔軟剤のにおいが心地良くて眠ってしまいそうだったから、ランチの時の事を思い出して苛立ちを募らせた。
大学で和彦と知り合ったという占部は俺と同い年なのに、何故か和彦に敬語を使わせていなかった。
そこも何となく気にはなったけど、俺は自分の事で頭がいっぱいでめちゃくちゃムカついてたから、そんな事はどうでも良かった。
和彦が人間不信だなんて知らない。
とにかく俺を意図的に避けてる事がムカついてたまんなくて、せっかく頼んだオムライスがまったく美味しく感じなかったって事だけは鮮明に覚えてる。
そっちがその気ならって、俺は怒りを忘れないように毎日和彦を探し回って、見付けて、ムカついて、心を重たくして、いつ話すチャンスがきてもいいようにいっぱい回答パターンを考えた。
今考えるとそれも「矛盾」の一つだ。
こういうの、漫画であった。
でもそれは、自分の気持ちを伝えられない受が好きな人をひたすら追い掛けるってやつだったから、状況は似てても俺には当てはまらない。
だって俺は好きじゃないから。
和彦の事なんて好きなわけない。
ただイラつくだけ。
俺の初めてを奪ったのに、責任取るって言ってたのに、俺の事なんか知らないって風に無視するから、ほんとにムカつく。
───イライラしてたらやっぱり眠気はこなかった。
「コインロッカー行かなきゃだしな、…そろそろ出なきゃ」
俺はパチッと目を開いて、重たい体を起こした。
その時だった。
ドンドンドン!と玄関の戸を激しくノックされて、突然の乱暴な音に全身が飛び上がりそうになった。
「ヒッッ……!」
も、もももしかして、ス、ストーカー!?
奴の手口はピッキングじゃなかったのか!?
あっ、和彦に工具取られてたし、ついに直に来たとか!?
怖くて頭がパニックを起こし始めたのに、扉の外からは尚も激しいノック音がする。
ドンドンドンドン───!
これはノックじゃない。
扉を殴ってんじゃないかってくらいの殴打音だ。
「……い、嫌だ、怖い…っ、なんだよ、なんで俺が帰ってきたの分かったんだ…っ? この一ヶ月おとなしくしてたじゃん! なんで今日に限って…!」
時計を見てみると、いつもはここに一時間も居ないのに、気付けば二時間以上もぐるぐると己の思考と格闘していたらしい。
「長く居過ぎたって事!? 俺の家なのに…!」
怖さを紛らわせるための自己防衛なのか、独り言はペラペラ出てくるのに恐怖でなかなか立ち上がれなかった。
あの扉を開けたら、気持ち悪い男が唇を舐める癖を見せ付けながら俺に迫ってくる…そんな想像をして、気色悪さに背中がぶるっと震えた。
「………七海さん!!」
…………………!
震えた矢先に殴打音が無くなって安堵したのも束の間、切羽詰まった声が俺の名前を呼んだ。
「…っ? なっ、え、なっ、なんで…っ?」
それは、恐怖で指先にまで震えが走り始めた俺にとって、どんな者よりも待ち望んでいた優しい狼の声だった。
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