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 恐る恐る立ち上がって、恐る恐る玄関の鍵を開ける。  すると、眼鏡姿の和彦が俺を部屋の中に押し込むようにして土足で上がり込んできた。 「どうして言ってくれなかったんですか! ネットカフェ難民って何ですか!」 「………………っ」 「九条さんの自宅には行かなかったんですか!? ネットカフェってどこにあるんですか!」  俺の肩をガクガクと揺さぶってくる和彦が、眉間に皺を寄せて俺に怒鳴っている。  今やっと、目が合った。  一ヶ月ぶりに俺の目を見てくれた。  扉を叩いてた犯人がストーカーじゃなかったと分かって、いつの間にか震えが止まっていた。  どうして言ってくれなかったって、俺に構わなくなった和彦にどうやって伝えるって言うんだよ。  それに、ネットカフェがどこにあるかなんて今どうでもいい事じゃない?…と頭の中でツッコミを入れられるくらい、冷静になってきている。  ……ここに和彦がこの状態で来るって事は、俺の念押しは徒労に終わったんだ。 「………後藤さんか……」  下を向いて呟くと、揺さぶるのをやめた和彦からギュッと抱き締められた。  痛い。 苦しい。 体格差考えろ。  そう言って突き飛ばす事も出来たのに、俺はジッとしていた。  ………嬉しかったんだ。  毎日毎日怒りの感情を和彦に向け続けてたのに、どうしてか今は怒れなかった。  さっきも寝たフリで聞いた、和彦の心臓の音がやたらと俺の耳に響く。  ゆっくりじゃない、トクトクトク…と早い鼓動が安心感をもたらした。  心から心配してくれている。  それは分かっても、今まで無視してたのにこんなに焦りまくってここへ来た理由が分からなかった。  猛烈なる後悔を抱いてるのなら、俺の初めてを奪った罪悪感と、突き放してしまった同情で…来たのかもしれない。  長い長い抱擁と沈黙に耐え兼ねて、俺は和彦の胸を押し戻そうとした。  でも、身動ぎするともっと強く抱き締められて、……数分後ようやく、俺の耳元で和彦が声を絞り出す。 「ねぇ七海さん……、僕の事が許せないのは分かります。 償いきれない罪を犯して、七海さんを深く傷付けてしまった事は何万回謝っても許してはもらえないと、分かっています。 でもダメですよ、ネットカフェ難民だなんて。 次の家が決まるまでで構いません、僕の家に来てください。 ……これは、お願いです」 「……………………」  ───猛烈なる後悔、ほんとにしてたんだ。  和彦が、俺の重たい「初めて」を打ち明けても平気な顔していられる男なら、俺はこんなに悩まなかった。  表情を失くして去って行った後ろ姿が脳裏に焼き付いて離れなかったのは、あの時すでに和彦の全身から後悔を滲ませていたからだと今やっと気付いた。  何回も何回も和彦に否定的な言葉を向けてしまった俺も、たくさん後悔していた。  変な奴だって、おかしな奴だって、普通じゃないって、俺がついそう言ってしまうような事をした和彦も和彦だけど、心無い言葉を浴びせた俺も感情的になり過ぎだった。 「………嫌って言っても連れてくんだろ」 「………嫌なら、…無理強いはしません」  あの時の和彦なら、強引にでも連れ出してくれるはずだと思った。  和彦の後悔は予想以上の深さで、似合わない謙虚さで俺に選択を迫った事にカチンときてしまう。 「なんで…っ? なんでそうなるんだよ! 前の和彦だったら、グダグダ言う前に俺を車に押し込んで拉致ってたじゃん! なのになんで…!」 「………七海、さん…?」 「なんでだよ……俺お前の事許せないのに、絶対に許せないのに、なんで……」  一択しかないのに、俺にそれを決めさせるなんて許せない。  この一ヶ月の苦悩と、あの時見付けきれなかった光明を思うと涙が溢れてきて止まらなくなった。 「…やっぱり、泣くほど僕とは居たくないですか」 「違う!! ~っムカつくんだよ! だって、責任取ってくんなかった! 俺の…俺の初めて奪ったくせに、責任取るって言ってたくせに、俺の事避けた! ……許せない!」 「……………っ……」 「俺が拒否しても強引に連れ出してくれたらいいんだよ! 和彦のせいであれからずっと体も心も重たくて苦しい! ストーカーにも和彦にもイライラする! なんで俺がこんな目に遭わなきゃなんないんだよ! 俺だって、思う存分大きいベッドで何も考えずに眠りたいよ!」 「な、七海さん…っ、待って、待って…っ」  キレた俺に戸惑う和彦を見上げて、堰を切ったように思ってた事をぶちまけてやる。  もういいんだ。  和彦がどう思おうが、俺がこんな訳分かんない言葉並べて醜態を晒そうが、もうどうでもいい──。 「あれからお前は連絡もしてこないし、会ってもほとんど無視するし! 目も合わさないで俺の事避けるって何なんだよ! 俺が初めてだったから、和彦にとっては退屈なエッチだったんだろ、どうせ! 経験豊富だと思ってた俺とのエッチが気持ち良くなかったから、…だから簡単にポイッて捨てたんだろ!」 「っっ七海さん!!」  和彦が一際大きな声を上げて、俺はハッと我にかえる。  俺、何を言った…?  抱き締めてくれていた手のひらがまたも俺の肩に乗せられて、ギリ…と強く握られて痛かった。 「……七海さん、自分が何を言っているのか…分かってますか?」 「……………………」 「僕の事許せないって…そういう意味で許せないって思ってくれたんですか?」 「…………そういう意味って何」 「もしかして、気付いてないの…?」 「……………………」  気付くって、……そういう意味でって、………何だよ。  ………分かんないよ。

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