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僕がいつも一人で食事をしている一階の大広間で、七海さんと隣合って夕飯を食べた。
特注の長机は二十名分の席があって、僕ら二人だけだとまだ違和感はあったけれど、七海さんが居てくれただけで食事がとても美味しく感じられた。
無機質な空間にも、出てくる料理の品数にも驚いていた七海さんは、終始恐縮しながら箸を進めていて愛おしかった。
食事を心から楽しめたのも、隔週でやって来る両親以外の誰かとあの部屋で料理を食べる事も、僕は初めてだった。
寂しいと感じた事はなかったけれど、無だ。
コンビニに入って行った七海さんが同僚と楽しげに会話しているのと同じように、僕にとってはそれが日常的で、当たり前で、普通の事。
「可愛い…。 愛想笑いでも可愛いな…」
コンビニの制服が大きいのか、七海さんのそれは少しダボついている。
商品の陳列を始めた七海さんの元へ、同僚が寄って行く。
二人が会話を楽しんでいる姿を、僕は複雑な気持ちで車内から眺めた。
「今日はたっぷりお話したかったな…」
何せ今日は、七海さんが僕を舞い上がらせるような嬉しい事をたくさん言ってくれた、記念すべき日なんだよ。
七海さんの自覚がないだけで、あれはもう、告白に近い。
ひどい事をした僕を一生許せないだろうから、一日でも早く忘れてほしくて離れただけで、無視なんてしてない。
度重なる運命の悪戯で七海さんと接触する度に、どうしようもない気持ちになるから目を合わせられなかっただけ。 意図的に避けてなどいない。
瞳に涙をたくさん溜めて、「心と体が重たい」と苦しげに叫んでいた姿が目に焼き付いている。
どうしてそうなるのかが分からなくて、七海さんは怒りという分かりやすい感情だけを募らせて僕を憎もうとしていた。
責任を取ると言った僕の台詞を覚えていた七海さんは、僕がそれを守らなかったから悲しくて恨めしくて…一人思い悩んだ。
恋する事を夢見ていた七海さんの「初めて」を奪った僕は、罪深い。
なぜなら、自覚のない七海さんの初めての「恋」も奪ってしまっているから。
僕と日々を過ごす事で少しずつでも気付いてくれたらいいと思う反面、これで本当に良いのかなって、不安にもなる。
だから話をしたかった。
「好き」としか言えないけれど、まだ同じベッドで眠る事も叶わないけれど、七海さんがどうして僕を憎みきれないのかを悟ってもらうには、直接的な言葉を掛け続けていくしかない。
強引にではなく、七海さんの顔色を伺いながら、僕の後悔と絶え間なく溢れる好意を伝え続けていくしかない───。
僕の運転で七海さんのバイト先までやって来て降りる間際、「帰りは自分で帰る。 迎えに来てたら怒るからな」と、僕の言う事を聞いてくれなかった。
それが、僕を気遣う七海さんらしい優しさだと言えば聞こえはいい。
七海さんのバイト先であるこのコンビニは、彼の自宅からはそう遠くない。
けれど、調べてみればここから僕の家へ帰るとなると、駅まで徒歩十五分、それから始発電車に乗ってさらにバスに乗り換えないと辿り着けない事が分かった。
それなのにのんびりと寝てなんかいられなくて、迷った末に、まだ辺りが真っ暗闇な中を運転して迎えに来た。
ちゃんと帰って来られるのか、変な人に話し掛けられて連れ去られでもしないか、心配で心配でジッとしていられなかった。
怒られてもいい。 これが七海さんの迷惑になったとしても、バイトを辞めないなら僕の譲歩は何としてでも聞いてもらわなきゃ。
「七海さん、お疲れ様です」
「…っ? あっ、和彦!? 来るなって言っただろ!」
五時を少し過ぎて出てきた、バイト終わりの七海さんに声を掛けると案の定怒られた。
「もう…何してんだよ。 俺の念押しってそんなに効果ないの?」
「心配だったんです。 疲れたでしょう? ささっ、帰りましょう」
「はぁ……。 でも、……ありがと」
「えっ、 …そんな、お礼なんて…」
助手席に乗り込んだ七海さんは、溜め息混じりにシートベルトを装着した。
ハンドルを握る手が七海さんに触りたくなってウズウズしたけど、…我慢する。
七海さんの意見を無視して勝手に来たのに、ありがと、って言ってくれた。
怒ってるけど、怒ってない。
………嬉しい。
「和彦は俺の言う事聞かないって忘れてた」
走り始めてからしばらくして、赤信号で停車中に七海さんがほんの少し微笑んだ気配がした。
愛想笑いなのか、本物の笑顔なのか確認したくても、暗くてよく見えなかったのが残念だ。
「……これは聞けないですよ。 その他は、七海さんの言う通りにします」
「ふっ……怖い怖い」
「どうして怖いんですか」
「分かんないけど、怖いよ。 和彦マジなんだもん」
「本気が伝わっているなら、今はそれだけで充分です。 僕は変ですからね。 七海さんの理想とは違うかもしれないけれど、そうなれるように努力します」
「意味分かんない。 まわりくどいー」
「………そのうち分かりますよ」
「えー。 何年後くらいに分かる?」
思わず七海さんを凝視してしまった。
可愛く首を傾げた七海さんも、僕を見詰めてくる。
吸い込まれそうになって、信号が青に変わっても七海さんから目を逸らせなかった。
「何年後って…。 僕、そんなには待てないかもしれないですよ…」
「待てないって? じゃあハッキリ言ってよ」
「こんな言い方はしたくないです。 伝わると分かったらちゃんと言います」
「それもまわりくどい! 疲れるよ? 考えながら喋んのは」
「そうでもないですよ。 楽しいです。 こうして七海さんとお話が出来ているだけで、僕は有頂天なんです」
「有頂天…………あ、青だよ」
七海さんが僕から視線を外して、前方を指差した。
分かってたよ、二分前から。
名残惜しく七海さんの横顔を数秒見た後、アクセルを踏んだ。
朝焼けで空がじんわりと赤く染まり始めていた。 黒、青、白、赤のコントラストがとても幻想的だ。
「……七海さん…?」
空が綺麗ですよ、と声を掛けようとした僕の左肩に、わずかな重みを感じた。
七海さんが僕に凭れて寝ているのを見ると、信号待ちの度にその寝顔をそっと覗き込んで幸福に浸った。
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